明日から元のシフトに・・・・・しゃちょぉ~せめて今月いっぱいはフルタイムで働かせてよぉ~
いや、仕事はあるのだが材料となる杉板が無いのだ。天日干しした乾いた物でないと使えない。
強制乾燥させると板が反り返ってペーパーが掛からないのだ。真ん中が凹んでしまうのでどうしてもペーパーが掛からない。
そんな訳で泣く泣くと言うよりもぶっちゃけ支払いをしたくなくなったパーカーを返品した事は正解だった。
フルで働けるなら何とかなる・・・・・と思ってはいたが、1年もチマチマと支払って行く・・・・・自分で支払い回数を決めたのにそれが物凄く耐えられなくなったのだ。
やはりいつもニコニコ現金払いが一番向いてるのかも知れない。
だが、高額となるとポンって出せるほど稼いでいないので必然的に分割になってしまう。
わたしの様に金銭感覚と管理が出来ない人間はクレカを持ってはいけない。
さて、本日1日仕事をしながら考えてた事は「人間と言う職業を辞めたくなった場合どうすべきか?」である。
いや、だから、あの世に行きたい訳ではない。生き汚い人間なのよ、わたしは。
しかし、なんかこう、自分と言う職業を辞めたくなってしまったのだ。
仕事が嫌とかじゃなくて、何と言えば伝わるだろう?
語録が貧困だから伝えたい事を伝えられない・・・・何ともどかしい事よ。
他人には傷口に塩を塗り込むくらい厳しいのだが、事自分の事になるとトコトン甘い。
砂吐きそうなくらいに甘いのだ。人はこれを「身勝手」と言う。
外面の取り繕いだけはしっかりと親譲りだ・・・・他の事に関しては反面教師なれなかったのにねぇ。
何しろ母は、家族(子供より)自分を選んだ人間だ。
わたしが小学生の頃、父とひと悶着があり実家に帰ったのだ。
で、何とかしないとと思い電話をしたら母は出ずに伯母が出てこう言った。
「帰りたくないって言ってるよ」
もうこの時点で最低最悪な人間とレッテルを張り付けたわたし。小学生が思うと言うか考える事じゃないよね。
そんな母は本当に人の気持ちを考えない人で「あんたは貸衣装でいいね」
これは姉が二十歳の時に着物を作ってやった時の言葉だ。
当時わたしは高校生で一応は多感な年頃だったのだ。そして、わたしの反撃が始まった。
出稼ぎ?で東京で働きだして2年。二十歳になった頃から着物をこれでもかっーくらいに買ってやった。
総額にして300万は注ぎ込んだであろう。その着物を仕舞う為に桐たんすを買わせたくらいだ。
今にして思えばその分貯金しろよ、なのだが当時のわたしは仕返しで買いまくってやった。
思っていても口にしていい言葉とそうでない言葉がある。母はそんな事はお構いなしな人間なのだ。
「出来損ない」と言われた事もある。
こうなると「目糞鼻糞を笑う」でその出来損ないを作ったのはあんたじゃん。
だが、わたしはこの言葉を言わなかった。
糠に釘、暖簾に腕押し。
一応として母である。同じ屋根の下で暮らして行けばどう対処すればいいかを学習する。
もう、書き出せばキリがない。
ある時、友人がこう言った。
「尊敬できる人って言われたら、両親って答えられる」
・・・・・・口が裂けたってわたしには言えない言葉だ。
この先暮らして行くのに何不自由なく暮らして行けるようしてあげる、と言われても断るであろう。
そうか、だから、自分と言う職業を辞めたいんだ。
かと言って今更アパート借りて一人と猫何匹かと暮らす生活は無理だ。
どうやらわたしは「ワーキングプア」らしい。
先日、市役所の納税課に気になってた事があったので確認の電話をしたら「非課税になってます」と言う返事を貰った。
これは喜んでいいのか?いや、喜べないだろう。
確かに、一番稼いでいた時の4分の1の稼ぎしかない。目前に迫りくる還暦・・・・・呑気に構えてる場合ではない。
10年20年なんてあって間に過ぎ去って行くのだ。マッハ老後ってヤツだ。
段々収集がつかなくなって来たんで一旦お終い。