大阪で発達障害のある(と診断された)児童へ無理に給食を食べさせようとした学校側に対し、そのことがきっかけでPTSDを併発したので慰謝料を払うよう判決が出たらしい。判決についてのコメントを書いている。
発達障害の配慮義務違反は問えるか? Archie's Blog~セラピストの視点
「Archie's Blog~セラピストの視点」で書かれている文は、ボクのような思いつきで発言するタイプではない。いつも慎重に物事を推し量りコメントしている。
さて、画期的な判決であり、児童精神医学の面からは賛成すべきことも多い。ただし単純に児童精神医学の問題と、教育や福祉の問題はリンクしているようで、していなかったりケッコー複雑だ。
まず画期的だと思われるのは、発達障害者支援法・・・実態のない法律になっては困るが、この法律の趣旨をあらためて見直す機会になること。
特に教師は、特別支援教育のことも言われていて、学校での研修も大ブーム(?!)である。
にもかかわらず・現場での注意義務違反・・といったところを争点としているのだろう。
また、発達障害であるにしてもないにしても、ひとりひとりがユニークであること(uniqueの言葉自体がそういう意味だったのではなかったですかね。)
一律にみんな同じように、オレの20年の教師経験では、だって集団生活だから・・・では教育自体が成り立たなくなってますよという警鐘。
じゃ現場の教師は大変だ・・・と騒ぐのでなく、だからマンパワーが必要なのだと、文部省に義務教育費の倍増を呼びかけることにもつながる判決だ。(教師の給与引き下げ、義務教育費減額と教育界への財政的な切り捨てが始まろうとしている時代だからこそ画期的だ。)
一方、危惧する面。
これは純粋な医学的な問題ではない。副次的な問題だが、学校現場はこんなところでつまずく。
発達障害が6.3%(と文部省が発表している)もいるのに、こんな判決が出たら、とてもじゃないけど普通の学校で・普通の学級で教育することは難しい・・・と逆に疎外されないか。ここは文部省は苦肉の策を出している。学校コーディネーター制度。
養護学校やろう学校からの教師が普通学級の教師へアドバイスするなど。(結構苦肉の策で現実的には難しいだろう)
この考え自体をもう一度文部省に再考を促すきっかけになる。
参考にしたblogやコメントでも述べられている過剰診断の面。(沖縄では全く逆なのですが)
ADHDやアスペルガー症候群の診断は、難しい。しかし、教育委員会は今日診察して明日には診断書をもらいたいなんてことを口にする。
多動の問題なのか、この子が持つ認知の偏りなのか、正常範囲内なのか、病的と診断すべきなのか、環境や心因の問題はないのか、聞くと小児科の先天性疾患があったり・・・・まあとにかく診断は難しい。
それといつも述べている診断が一人歩きする危険性。
世の中の流れから行くと、神経質になることはないが、この子はもしかして・・・と見る分には間違いはないはずだ。
ただ、この裁判官の視点からすると、虐待に関してはどのような判断をするのだろうか?と気にはなるが、話しがそれるので後日考えよう。
発達障害の配慮義務違反は問えるか? Archie's Blog~セラピストの視点
「Archie's Blog~セラピストの視点」で書かれている文は、ボクのような思いつきで発言するタイプではない。いつも慎重に物事を推し量りコメントしている。
さて、画期的な判決であり、児童精神医学の面からは賛成すべきことも多い。ただし単純に児童精神医学の問題と、教育や福祉の問題はリンクしているようで、していなかったりケッコー複雑だ。
まず画期的だと思われるのは、発達障害者支援法・・・実態のない法律になっては困るが、この法律の趣旨をあらためて見直す機会になること。
特に教師は、特別支援教育のことも言われていて、学校での研修も大ブーム(?!)である。
にもかかわらず・現場での注意義務違反・・といったところを争点としているのだろう。
また、発達障害であるにしてもないにしても、ひとりひとりがユニークであること(uniqueの言葉自体がそういう意味だったのではなかったですかね。)
一律にみんな同じように、オレの20年の教師経験では、だって集団生活だから・・・では教育自体が成り立たなくなってますよという警鐘。
じゃ現場の教師は大変だ・・・と騒ぐのでなく、だからマンパワーが必要なのだと、文部省に義務教育費の倍増を呼びかけることにもつながる判決だ。(教師の給与引き下げ、義務教育費減額と教育界への財政的な切り捨てが始まろうとしている時代だからこそ画期的だ。)
一方、危惧する面。
これは純粋な医学的な問題ではない。副次的な問題だが、学校現場はこんなところでつまずく。
発達障害が6.3%(と文部省が発表している)もいるのに、こんな判決が出たら、とてもじゃないけど普通の学校で・普通の学級で教育することは難しい・・・と逆に疎外されないか。ここは文部省は苦肉の策を出している。学校コーディネーター制度。
養護学校やろう学校からの教師が普通学級の教師へアドバイスするなど。(結構苦肉の策で現実的には難しいだろう)
この考え自体をもう一度文部省に再考を促すきっかけになる。
参考にしたblogやコメントでも述べられている過剰診断の面。(沖縄では全く逆なのですが)
ADHDやアスペルガー症候群の診断は、難しい。しかし、教育委員会は今日診察して明日には診断書をもらいたいなんてことを口にする。
多動の問題なのか、この子が持つ認知の偏りなのか、正常範囲内なのか、病的と診断すべきなのか、環境や心因の問題はないのか、聞くと小児科の先天性疾患があったり・・・・まあとにかく診断は難しい。
それといつも述べている診断が一人歩きする危険性。
世の中の流れから行くと、神経質になることはないが、この子はもしかして・・・と見る分には間違いはないはずだ。
ただ、この裁判官の視点からすると、虐待に関してはどのような判断をするのだろうか?と気にはなるが、話しがそれるので後日考えよう。
さて、この問題は難しいのが、一般論としての教育のあり方と発達障害を持つ子への教育の方針というふたつの側面を見ないといけないのだろうと思います。
だとしても、一般の教育論のレベルでこんな先生アウトと思いますが・・・
でもふと思うのは結構熱血教師で他の父兄からは良い先生といわれていないかなあとも思ったり。想像は膨らみますね、この出来事は。
さて、juhiさんのblogで扱われているニュースですが、ボクはblog読むまで知りませんでした。
発達障害の子はコミュニケーション不足になるのは分かりますが、教師学校の側が今回は他人と意思疎通を図る能力に欠けていたのかと思われます。
教育委員会で話すときは、子どものカルテとはもちろん言わないけど、引き継ぐべき点はきちんと、進学・進級する側の学校・担任に伝えることが最低限必要だと言っています。
子どもだって、この子なりに歴史があるのだから、連続性を無視した教育は成り立たないと思います。
教師が他職種、他機関、関係機関とのコミュニケーション不足が目立ちますね。