ファミリー メンタル クリニック

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臨床とことば 河合隼雄 鷲田清一対談集

2015年09月30日 | 精神保健・医療行政
週末から,今日までに 沈む日本を愛せますか? 内田樹×高橋源一郎 対談集(編集 渋谷陽一)
臨床とことば 河合隼雄×鷲田清一 対談集 を読んだ。



鷲田の 「聴く」ことの力 を読んでいる途中。相変わらず乱読行き当たりばったり読書なので、臨床とことば を先日購入したので,こっちを先に読み終えた。
鷲田清一 に関しては,内田樹と共著があり面白いと読み始めた、哲学者.大阪大学総長まで歴任した人物.一般向けの著者は語り口が柔らかい。
語り口といっても、実際は話を聴いたことはない。対談集を読んで,聴いた気になっている。

その鷲田は臨床哲学という分野で研究し、臨床心理学の第一人者河合隼雄と対談しているのが本書。
ひとつひとつの事例、ひとりひとりの患者さん(クライエント)の臨床を意識する。そして一つの事例から普遍化する。
日本の大学では、博士論文を症例報告で書くスタイルは学術的でないと批難される。(ことがまだある)
ラカンの学位論文は 二人であることの病 症例報告だ。そして、その論文が出版される.そんなアカデミズムがある。

本書では、対談が終わり,後半に鷲田の論述がある。哲学者の細やかな文体。
声、語り、聴く,共振,声の肌理(きめ)、語り手と聞き手の間に生起すること・・・
病棟での面白いエピソードを著している。
覚束ないおじいちゃん、看護婦が来る。カーテンを閉めて,老人の膝元に頭を垂れ,その看護婦は寝る。
日頃、どんよりしたようなおじいちゃんは,その看護婦が寝ている間、いつもと違って目を見開きしっかり廊下を見ている.
婦長に見つかったら、この疲れた看護婦は怒られる。廊下を監視しているのだろうと。
その証拠に、廊下に看護婦が来ると力が十分に入らない、そのおじいちゃんが、手を動かし、寝ている看護婦をゆすって起こす。

家族も相手にしないような、おじいちゃんが、人の役に立つために、しっかりと意識を働かせている。
もしかして、これがケアに繋がるのではないかと,一つの極端な例を挙げて、普遍性に迫る。

ま、こんなことを、たらたら解説しても仕方ない.
心理士だけでなく、ケアをする職に就く人は、是非この本を読んで欲しい。




沈む日本を愛せますか? その続編が どんどん沈む日本を それでも愛せますか?
順番は逆に読んでしまった。

政治家の言葉について高橋の指摘が鋭い。
彼は,この対談から何年か経ち、僕たちの民主主義なんだぜ を上梓する.

言葉がなく、ビジョンがない。
そして、今回の 戦争法案で 内閣法制局には意見書の存在がない。
ドキュメントがない。

文書がない=歴史的事実がない
そんな公式が現政権では、当然の如く口にされる。

臨床とことば を読んで,この対談集と併せて考える。

アベ、イシバ、キシダ、彼らの言葉には、相手に理解して欲しいという、言葉以前の世界を感じない。
魂と言っても良いだろう。言霊と言っても。

信念もビジョンもなく,相手に聴いて欲しいと思ってもない。
出来れば、相手に聴かれたくない、答えたくない.

そんな、ムダな言葉が空転する。

しかし、俺たちの臨床では,言葉にならない言葉を聞かないといけない。
苦しんでいる人が苦しみから少しでも脱するために,言葉を聞く。

中島みゆき 銀の竜の背に乗って その歌詞を思い出す.
~柔らかな皮膚しかない理由(わけ)は 人が人の痛みを聴くためだ~

臨床でことばを聴く、話す,やりとりをする。
人と人との言葉。
そんな日々の臨床と,政治家の屑箱に捨ててしまいたくなる言葉。

うまく云えないのだが,そんな 言葉、文体などを考える。
無意識は言語のように構造化されている という命題を 連想しつつ。

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