未来の読書ノート

読んだ本のメモ。あくまでもメモでその本を肯定したとは限らない。そんなノート。

『季論21』第5号 柏木新「禁演落語と時代背景」

2009-08-14 | 小林多喜二
 天皇制政府によって「満州事変」(中国東北部への侵略戦争)が起きたのが一九三一(昭和六)年九月。そして一九三七(昭和十二)年七月、中国への全面侵略戦争を開始した。それとともに、国民への思想攻撃と戦争への動員は激しさをましていった。
 一貫して侵略戦争反対を貫く日本共産党への野蛮な弾圧は強まり、一九三三年二月二十日、今日『蟹工船』で話題を呼んでいる日本共産党員のプロレタリア作家小林多喜二が築地署に検挙され、拷問によって虐殺された。日本共産党への弾圧は、国民の中に真実を語れない自由にもののいえない空気をつくりだし、国民を侵略戦争に総動員する地ならしであった。 ㌻263

 未来記=忘れてはならない歴史だ。そして、小林多喜二虐殺後にも侵略戦争に反対して闘った人がいることも忘れてはならない。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも歴史に学びながら現代を見つめることが求められる。

湯浅誠著『どんとこい、貧困!』

2009-07-17 | 小林多喜二
 それはちょうど、死にたくなっている人に「生きてりゃそのうちいいことあるさ」と言うのと同じだ。「生きてりゃそのうちいいことあるさ」と思えるんだったら、そもそも死にたいなんて思わない。そんなふうに考えられなくなってしまったからこそ、死にたくなっているんだ。
 だから私はいま、こう思っている。大事なことは、他人が呑気に「生きてりゃそのうちいいことあるさ」と言うことではなく、本人が本気で「生きてりゃそのうちいいことあるさ」と思えるような状況をつくることだ、と。 ㌻175

 未来記=ここのところを読んでいて、小林多喜二の日記を思い出した。ただ、言うだけでなく、状況をつくるために行動することこそ大事だと気づいた多喜二を。
 26年8月15日(22歳)日記=「師走」を書くときも、古くは「駄菓子屋」を書くときも、自分の意識は、「救い」だった。そういう生活に一導の光明を与えたいと思う気持ちだった。しかし、・・・事実は反対の方へ行く事だ。救いを出そうとすると、それが、こんな生活の場合うそのように思われる。
 『駄菓子屋』 「おっ母さんの今までの苦しみも決してそのままに、無駄になる筈はありません」「もう少しですよ。もう少しの我慢ですよ」