未来の読書ノート

読んだ本のメモ。あくまでもメモでその本を肯定したとは限らない。そんなノート。

マルクス「ヘーゲル国法論(第261節-第313節)の批判」(第1巻)

2012-01-15 | マルクス=エンゲルス全集
 「ヘーゲルは術語を、客体を自立させるが、しかし自立させるといってもそれは、それらの現実的な自立性、それらの主体からきりはなして自立させるのである。」
 「だから、現実的な主体になるのが神秘的な実態なのであって、実在的な主体はなにか別な主体として、神秘的な実態の一つの契機として、あらわれる。」P256

マルクス「木材窃盗取締法にかんする討論」(第1巻)

2012-01-15 | マルクス=エンゲルス全集
 「われわれは貧民の手への慣習法(慣習的権利)の返還を、しかも地方的でない慣習法、あらゆる国々の貧民の慣習法であるような慣習法の返還を要求する。われわれは、さらにすすんで、慣習法あるいは慣習上の権利というものは、その本性上、このような無産で、根源的な、最下層の大衆の権利以外ではありえないのだ、といいたいのである。」P133

 「だがなによりもまず、人倫感のつよい立法者なら、これまで避難されることのなかった行為を犯罪行為の領域にひっくるめてしまうことは、もっともゆゆしく、もっとも心苦しく、そしてもっとも危険なやりくちだと考えることであろう。」P141

マルクス「『ケルン新聞』第一七九号の社説」(第1巻)

2012-01-04 | マルクス=エンゲルス全集
 「哲学が世界のそとにないことは、脳髄が胃の中にないからといって、人間のそとにないのと同じである。」P112

 「はやくはマキヴェリ、カンパネラ、のちにはホッブズ、スピノザ、フーゴー・グロティウスから、さらにルソー、フィヒテ、ヘーゲルにいたるまで、国家を人間の目で観察して、神学からではなく、理性と経験とから国家の自然諸法則を展開しはじめた。」
 「最新の哲学は、すでにヘラクレイトスやアリストテレスがはじめた仕事をおしすすめたにすぎない。」P119

 「無知は一つの魔物である。われわれは、それが今後も少なからぬ悲劇を上演するのではないかと気づかっている。」P120

 未来=「学ぶ」ということ、「無知」の弊害などについて、鋭い。

マルクス「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」(第1巻)

2012-01-01 | マルクス=エンゲルス全集
 「事物にたいする憤怒は人にたいする憤激となる。人々は人を変えることによって事物を改変したと信じる。」P5
 「真理は普遍的なものであり、それは私に属するものではなくすべてのものに属する。真理が私を所有しているのであって、私が真理を所有しているのではない。」P6
 「もし強制国家が誠実であろうとすれば、その国家自身が廃棄されるであろう。」「検閲制度の真の根本的治療はその廃止にある。なぜなら、この制度は悪い制度であり、そして諸制度は人間より強力であるからだ。」P6

 未来=「事物にたいする憤怒は人にたいする憤激となる。人々は人を変えることによって事物を改変したと信じる。」とは鋭い指摘だ。この頃は毎年のように首相が変わるが、その度に内閣支持率が高くなる。何も変わっていないのに、「改変したと信じる」国民の何と多きことよ。

『マルクス=エンゲルス全集』第1巻 序文

2012-01-01 | マルクス=エンゲルス全集
 「マルクス主義は、「時代おくれになる」ことはありえない。なぜなら、マルクス主義は、最終的な不変な公式の硬化した体系ではなく、創造的研究と積極的行動への手引きだからである。」
 「マルクスとエンゲルスにとって、科学は、自己目的ではなく、「歴史的に運動する革命的な力」(エンゲルス)であった。彼らは、なによりもまず革命かであり、革命家にとっては、世界を変革することこそ肝要だったのである。」(ドイツ語版序文)

 「われわれの学説は教条ではなく、行動の手引きである」
 「マルクス=レーニン主義理論にたいする教条主義的・経文読み的態度と断固としてたたかっている」
 「マルクス=レーニン主義の創造的性格を理解するよう、個々の定式や引用をならいおぼえるでなく、マルクス=レーニン主義の古典家たちの偉大な学説の真の本質を習得するよう要求している。」(ロシア語版第二版序文)

 「勤労大衆の苦しい物質的状態を分析しているこれらの論文を書いたことは、マルクスの見解を形づくるうえに大きな意義をもっていた。」
 「マルクスは、生活から、大衆の実践的闘争から切りはなされた思弁的理論を断固として排撃し、旧社会にたいする理論的批判と実践、政治、「現実の闘争と」をむすびつけるという任務を提起している。」(第一巻序文)

 未来=マルクス主義を、「最終的な不変な公式の硬化した体系ではなく」「教条主義的・経文読み的態度と断固としてたたか」い、「真の本質を習得するよう」な「手引き」とすべき、との重要な意義がそれぞれの序文に書かれている。
 しかし、その一方で、「ソ連邦の人民はすでに共産主義の明るい高所への移行を遂行している」など、現実に反する認識が書かれている。マルクス主義を「手引き」にせず、逆に「生活から、大衆の実践的闘争から切りはなされた思弁的理論」で覇権的・官僚的体制をすすめた国の破綻は当然の成り行きだと、マルクスも言うだろう。
 私たちは、真に「マルクス=レーニン主義の古典家たちの偉大な学説の真の本質を習得するよう」努力し、現実社会に活かす「導きの糸」としなければならないだろう。