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右翼思想によるテロリズム②~黒幕は「アジア主義」という共産主義的右翼の大物

2019-03-24 21:27:29 | 歴史
2018/9/28(金) 午後 0:37

昨日の続きです。

1932年(昭和7年)三井財閥総帥の団琢磨氏が「血盟団事件」で暗殺される11年前の1921年(大正10年)9月28日(97年前の今日)「三井、三菱、住友、安田」という戦前の日本の四大財閥の一角である安田財閥総帥の安田善次郎氏が「31歳の右翼テロリスト青年」によって刃渡り八寸(約24cm)の短刀で自宅で暗殺される事件があった。



事件現場は安田善次郎氏の大磯の自宅で、犯人は「都市労働者向けの宿泊施設、労働者ホテル」建設への寄付を求めて2日間に渡り安田邸周辺を執拗に粘っており、犯行前に投宿していた長生館という下宿の女将宛に「宿賃も支払わずにこんなことになったが、非常に相済まない」という手紙と佐賀県の父親宛に「非常な不孝を許して」という内容の手紙などの「遺書」や「斬奸状」(注)を準備しており、安田氏殺害後にその場で自害している。つまり、寄付は口実に過ぎず最初から殺害目的だったのだ。



犯人の名前は「朝日平吾」という「右翼テロリスト」とされる人物で、日頃から富豪や有名人から寄付を集め糊口を凌いでいたとされるが、この人物は満州で「大陸浪人」中、「アジア主義」という共産主義的右翼の大物「内田良平」に世話になった経歴をもつ。大方、背後の黒幕に操られてのテロの可能性が大きい。「斬奸状」(注)は朝日の人物像と一致しない。



「朝日平吾」の出自をみると、1890年佐賀県生まれ。長崎に移住し父親は佐世保で製茶商として成功し市会議員まで務めた富裕な家庭。中学の途中で継母との不仲から家出。つまり小学校しか卒業していない人物。1910年佐賀の第18師団55連隊第6中隊に入隊し、1914年第一次世界大戦時には衛生兵として山東半島で従軍し、青島戦での功によって叙勲されている。(勲八等旭日章)しかし、その後の経歴などからも実際のところ、思想的な信念のようなものはこの人物からは全く感じられない。



朝日平吾の経歴の続きとしてその後東京で馬賊(注)の薄益三(うすきますぞう)なる人物と知り合い、1916年に満州に渡り「馬賊隊」に参加するも連携出来ず、中国東北部や朝鮮半島を転々とする「大陸浪人」となった、とある。そこで知り合ったのが「内田良平」だったのだ。



1916年秋に内田良平の添え書を手に朝鮮銀行奉天支店長を介して大連の福昌公司の支配人となったものの解雇され、朝鮮に戻って懇ろとなった平壌の遊女の殺傷沙汰が新聞種になるなどして朝鮮から再び満州に入るも度重なる素行不良で奉天総領事から退去命令を受け19年に帰国。実家で家業を手伝うも長続きせず、様々なつてを頼って行くも方々で断られといった具合で、要するに身辺がだらしなく半端者といった人物。



その後は行く先々で衝突を起こし「社会への不満」を募らせるというお決まりのコースで「平民青年団」「神州義団」なる右翼団体の設立を計画するも挫折。そして1921年「貧民救済事業」と称して渋沢栄一の事務所で事業設立資金の寄付を要求する「切腹騒ぎ」を起こして寄付金百円(当時)をせしめることに成功。しかしこの事業も頓挫。



「戦後恐慌」(=昭和恐慌)で朝日自身は株で大損をし、安田財閥の安田善次郎氏が株を一手に買い占めて2000万円(当時)という噂を耳にしての暗殺事件であったのだ。当初は実在する全く別人の知り合いの弁護士「風間力衛」を名乗って面会を求め、犯行前日に断らてれおり、翌9月28日4時間粘った末に面会を許され、通された十二畳の応接間での凶行であった。



安田善次郎氏は「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っており、東大の安田講堂、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地などがその寄付のよるものであった。「安田講堂」という名前も氏の死後に記念に命名されたものだそうだ。



しかしこのようなことは氏の生前世間に知られるところではなく、社会に何の利益もたらさなかった半端者の朝日平吾がぬけぬけと義賊気取りで、自分の犯罪を正当化するための「斬奸状」(注)なるものを残し、浅はかな世間は犯人に同情し、朝日の葬儀には全国の労働組合や支援者が善次郎に負けない葬儀にしようと駆け付け盛大な葬儀だった、というのだから当時の日本社会のなんと愚かで幼稚だったこと。



朝日平吾の人生をみると、様々なことが長続きせず、思想的な信念も感じられず、行き当たりばったりで、この大胆なテロ事件も自発的な思想的な犯行であるというよりも背後から操る人間がいたと考える方が合理的だと思う。実行犯への報酬は「英雄化」と「盛大な葬儀」だったのかもしれない。単に株で損をしたからといって、株で儲けたと噂される財閥の総帥を自宅まで押しかけて殺した挙句に自決するには31歳は若すぎる。その先の人生だってあったはずなのだから。



今でもマスコミは「幼稚で確信犯的的外れ」なのだが、当時のマスコミや新聞はこぞって朝日を英雄視したため、事件37日後の11月4日に起きた原敬首相暗殺事件を誘発したと言われている。政財界の大物の暗殺事件を犯罪だと思わない社会は健全な社会とはいえない。テロリストの安重根を英雄視するどこかの馬鹿国と一緒ではないか。



ところで、内田良平という人物は韓国「一進会」会長の李容九と結託して「日韓併合の立役者」となった人物なのである。そもそも日本政府は併合に伴う財政負担が大きすぎるとして反対意見が多かったし、朝鮮総督府の初代総監伊藤博文本人も反対派だった。



伊藤が内田良平を朝鮮総督府に帯同していなければ、日韓併合や日中戦争、それに続く太平洋戦争も起こらなかったかもしれない。内田は日本にとってそういう意味で「史上最悪の共産主義的右翼」である。


1931年(昭和6年)に「大日本生産党」を結成し、その総裁となり、1932年(昭和7年)の血盟団事件・1933年(昭和8年)の神兵隊事件などの黒幕と呼ばれ、関東軍支持の立場から「日満蒙連邦建設」「日支共存」「皇謨翼賛運動」などを構想していたそうだ。



黒幕「内田良平」について

内田良平(幼名は良助、後に甲(きのえ)、良平と2度名前を変えている)福岡藩士で武芸の達人として知られた内田良五郎の三男で1879年2月11日生まれ。(誕生日が紀元節であるという生まれながらの右翼)東洋語学校に入学しロシア語を学びシベリア横断旅行をした経験をもつ。1901年玄洋社に入り「黒龍会」を主幹しロシア事情を紹介。1903年「対露同志会」を結成し「日露開戦を強く主張した」とされる。1906年に伊藤博文に随行して渡韓。



この人物は思想的には「右翼」というよりも、今の我々の価値観からは卒倒しそうな馬鹿げた「共産主義的アジア主義者」である。日韓併合など、測り知れないほとの損害を日本にもたらした不見識な共産主義的右翼である。「日満蒙連邦建設」(!!!) とか、誇大妄想的な躁状態で国を操ろうとしていたのだ。この手の人物の本能的なアジア主義という泥くさく単純な発想が他の欧米諸国との対立を生むこととなり国家を危うくする。現代に置き換えてもこの手の人物は「なりすまし反日左翼」同様に要注意である。独善的で浅はかな他民族への同情は無意味。



内田良平の盟友で韓国の当時最大の政治団体「一進会」会長の李容九は「韓日合邦請願」なる要求を伊藤博文の暗殺事件後の1909年に韓国首相の李完用と朝鮮総督府二代目総監曾禰荒助(そねあらすけ)と、二代目の大韓皇帝純宗あてに提出している。彼は元東学党で甲後農民戦争を指揮し、日露戦争後に親日派に転じたそうで、現在の韓国でも国賊扱いされているそうだ。


「一進会」は日韓併合後の1910年9月に解散。李容九はといえば最後は日韓併合の翌年の1911年5月22日に須磨で「憤死」しているそうだ。李容九の要求は日本による併合ではなく、日韓の対等な合邦だったそうで、つまり馬鹿げた双方の思惑違いだったのだ。大方内田に騙されたのかもしれず、いずれにせよ日韓双方にとり不幸な不幸な歴史である。


(注):朝日平吾の「斬奸状」の中身は「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」と記されてあったようである。小学校しか出ていない朝日平吾の代わりに、本当は誰が原稿を書いたんでしょうか。


(注)馬賊(ばぞく):騎馬の機動力を生かして荒氏周る賊。清末から満州国期に満州周辺で活動していたいわゆる満州馬賊が有名。「盗賊団」のイメージが強いが、元々は自衛組織の中の遊撃隊の様な役割。当時の満州では清朝の衰退によって治安が悪化しており盗賊がはびこっていたため、これに対抗するため民衆は自衛組織をつくり盗賊に対抗していた。満州内の混乱が進むにつれ力をもった馬賊が本来の「自衛」を超えて盗賊まがいの行為も行う場合があった。満州で日本軍の支配が強くなるに従い、馬賊は日本人とも衝突するようになり、満州各地で日本軍ないし日本人を襲う事件が発生した。


引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%90%BE


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%B9%B3_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AE%B6)



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%B3%8A


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%B9%E4%B9%9D

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