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スペイン王室の現在③

2020-09-27 12:07:10 | ヨーロッパ
エジプトでは1953年7月26日、ファールーク1世が退位し、幼いフアード2世を残してイタリアに亡命。 フアード2世が新たな国王に即位するものの同年6月19日に革命政権は王政の廃止と共和制移行を宣言し、エジプト革命は終結している。


王位を追われたファルーク国王は「嬉々としてフランスのコートダジュールに亡命した」


そして王座を失って悲しいかと問われると、彼はこう答えたそうだ。「いや。何年か後には、王という存在は世界に5人しか残っていないだろう。トランプの4人とイギリスの女王だ」と。


「トランプ4人」というのは、現在ヨーロッパの立憲君主国であるデンマーク(当時の国王マルグレーテ2世♡)、オランダ(ベアトリクス元国王♦)、ノルウェー(ハーラル5世♠)、スウェーデン(カール16世グスタフ国王♧)あたりを指しているのであろうか。


エジプト革命当時のスペインはフランコ政権時代であったから、ファルーク氏がいう「トランプ4人」にはファン・カルロス前国王は含まれていない。


スペインで約60年王室ジャーナリストだったハイメ・ペニャフィエル氏が語るところによれば「実際、世の中はその方向に動いている。というのも、王室に存在意義はないからです。スペインの王室がいつ消滅するかはわかりません。でも彼らに残された時間は限られています」なのだそうだ。


「(現在のスペインの)左派のリーダーたちの声を聞けば明らかです。社会労働党のペドロ・サンチェス首相と左派政党ポデモスのパブロ・イグレシアス党首は、(フェリペ)国王をどんどん隅に追いやろうとしています」



ハイメ氏によれば「フランコ体制を生きた者は皆、フアン・カルロス前国王がスペインの民主化プロセスで果たした役割に感謝しており、退位直前のスキャンダル(象狩り旅行や隠し子騒動)によって『フアン・カルリスタ』をやめたわけではない。この国では愛人の存在は問題にならない」という。


しかし今後は「スペイン王室は衰退していく」とハイメ氏は語る。


なぜなら王室は中世的な制度で、極めて厳しい形で21世紀を迎えたから。英国王室以外の王室はすべて消滅する、というのが自然な流れ」なのだと。


■「英国王室は観光資源」
彼によれば「英国国民も(スペイン同様)決して君主制を支持しているわけではないものの、エリザベス女王に対しては、国民が畏敬の念を抱いており、同時に英国王室は、ビッグ・ベンのように観光資源であるから」と分析。


「一方、スペインの場合は(存続することは)とても難しい。その理由は王室に対する尊厳の意識が欠けてるから。王室に存在意義はなく、消滅したところで国民の生活は何一つ変わらない」と彼は断言している。


■「フェリペ6世現スペイン国王は無能」
ブルボン家に連なるフェリペ6世は1968年1月30日生まれ(現在53歳)。2m近い長身で、ヨット選手としてオリンピックにも出場経験のあるスポーツマン。


モデルや貴族令嬢、米国の女優のグウィネス・パルトロウとの交際も噂されるなどマスコミ注目のプリンスだった。


フェリペ国王の皇太子時代の初めての恋人はイサベル・サルトリウスという3歳年上の女性で、彼女はスペイン貴族の出の金髪碧眼の美人、文句なしの相手と言われたが「両親が離婚している」と言う理由で、皇太子の両親(ファン・カルロス夫妻)に反対され、皇太子が米国留学するのを機に、二人は引き離されてほどなく関係が終わったとされる。


その後フェリペ皇太子が付き合った女性たちは(フェリペ皇太子自身が2m近い大男で、お相手も高身長の)モデルが多く、国籍はパキスタンとフランス人のハーフとかチェコ人とかノルウェー人など多彩。


「ルックス重視」だったとされ、メキシコ人企業家の娘は母親が元ミスアルゼンチンだったなどとも。唯一ルックスが関係なさそうな恋人は在ベルリン大使館スペイン大使令嬢だったとされる。
 

様々な女性と交際していたフェリペ皇太子がイサベル・サルトリウス以外に長く続いた相手はレティシア妃と出会う前に交際していたノルウェー人モデルのエヴァ・サナムという女性だった。計4年の交際中の2001年8月に行われたノルウェーのハーコン皇太子の結婚式に彼女が同行。


2001年8月にノルウェーのハーコン皇太子の結婚式に列席したフェリペ皇太子(当時)の隣にいたのは現在のレティシア妃ではなく、当時の恋人エヴァ・サナムだった。


しかし彼女との結婚についてはフアン・カルロス国王夫妻の反対と、元々スペイン国民自体が、“外国人モデル”を未来の王妃に望まなかっこと、結婚前に彼女のビーチでのトップレス写真が出回り、結局は 同年12月に破局。

エヴァ・サナムとフェリペ皇太子(当時)


■フェリペとレティシアの出会いと結婚
フェリペ皇太子(当時)が最初の交際相手で結婚を考えていた貴族出身のイサベル・サルトリウスは両親が離婚していたという理由でファン・カルロス夫妻は結婚を反対したとされるが、現王妃であるレティシアは両親のみならず本人自身にも離婚歴があり、平民出身


二人の出会いは共通の知人らとの夕食会で2ヵ月後、重油流出事故をリポートしていたレティシアと現地視察中のフェリペ皇太子(当時)が偶然再会。環境問題に興味をもつ者同士、親交が深まり、本格的な交際が始まったのは2003年の春で、9月中旬、国王ファン・カルロス1世、ソフィア王妃に紹介したそうだ。


ハプスブルク家からブルボン家と名門によって継承されてきたスペイン王室にとってはレティシアは初の民間出身者で、しかも離婚歴があり、フェリペ皇太子は将来の王位も捨てる覚悟でファン・カルロス国王夫妻を説得したとされる。


国王夫妻が理解を示すと徐々に国民の間にも賛同の和が広がり、正式婚約にいたったのだそうだ。


2004年5月22日、マドリードの王宮正面に位置するアルムデナ大聖堂で挙式。
バロック様式の壮麗なこの教会は、マドリードの守護聖母アルムデナを祭る首都のシンボル。20世紀に政変が続いたスペインでは、皇太子の結婚式が行われるのは1906年以来のことだったそうだ。


スペイン女性が皇太子妃となるのも19世紀末のマリア妃以来だったことで国民はこの結婚を熱狂的に歓迎した。前国王ファン・カルロスの妃ソフィア王妃はギリシャの王族出身の「外国人」だったのだ。


しかし、ヨーロッパの王室はしばしば外国の王族との婚姻がみられ、例えば英国の女王エリザベス2世の王配であるエディンバラ公フィリップは同じギリシャ王家出身で、ソフィア前王妃の父パウロスとは従兄弟の関係にある。 


レティシア妃は5mのトレーンと3mのベールが華やかなウエディングドレスで、伝統的なさまざまな儀式が行われ、王宮の中庭に特設テントをしつらえた昼食会は、前日の予定から急遽変更し、その費用をテロ被害者のためのチャリティにあてたため多数のゲストが訪れたといわれる。


実は二人の結婚の2か月前にマドリードで列車爆破事件(テロ事件)が起きたばかりで、2万人近くの警官、保安要員を動員、上空には空軍の偵察機が飛ぶという厳戒態勢が敷かれての結婚式だった。 


雨の中、バルコニーのふたりを見るために数万人が集まり、2,500万人以上がテレビで式を見守ったそうだ。


皇太子は「どのくらい彼女を愛しているかということをお伝えできて嬉しい。人生を分かち合える女性です」と述べ、レティシアも「希望と責任感と使命をもってスペインのために尽くします」誓った。


当初、世論調査で国民の90%が好意を示すほどに。レティシアとフェリペ皇太子(当時)の結婚は劇的なシンデレラ物語だったといえる。


2005年10月31日には、第一子レオノール王女が誕生。レオノールは、2014年の父王の即位にともない、王位継承権のあるアストゥリアス女公となった。


アストゥリアス公とは、王位継承者の称号で、フェリペ皇太子もアストゥリアス公だった。


2007年4月29日には次女ソフィア王女が誕生。


2014年、ファンカルロス前国王の退位に伴い6月19日スペインの首都マドリード(Madrid)新国王フェリペ6世(King Felipe VI)が議会での戴冠式に臨み、即位の宣誓を行った。


■ハイメ氏は「無能な国王フェリペ6世」と切る捨てる
王室ジャーナリストのハイメ・ペニャフィエル氏はフェリペ6世現国王の母であるソフィア前王妃を「妻としても母としても失敗した」と言い切り、フェリペ現国王を「父親ほどの能力もない」と切り捨てている。


彼の妻レティシア王妃については「平民を王室に入れて、品位を落としただけ」と、一刀両断。


ハイメ氏いわく「フアン・カルロスに退位を勧めたのは、妻のソフィア前王妃とレティシア現王妃、そしてフェリペ本人だったが、フェリペ国王は今それを後悔してるのではないだろうか」と指摘。


「フアン・カルロスを退位させることは家族の企みで、ソフィア前王妃は周知の理由(愛人及び隠し子騒動)からと、フェリペとレティシアは権力欲から、退位を迫った」


「(即位後のフェリペ6世国王については)彼は、本当についていないと思います・・・彼(フェリペ)自身、このような状況になるとは思っていなかったでしょうね。フェリペは父親ほどの能力を持っていませんし、右腕どころか左腕的な存在もなく、たいした経験もしていません。」


心根の良い人ですが、いつも不安そうで悲しそうにも見えます彼は、民主主義の最も厄介な面と対峙している元首です。(スペインには)こんなに多くの党があるのですから……。 」


■スペイン王室初の平民出身のレティシア王妃
1972年9月15日、スペインのアストゥリアス州オビエドに生まれる。14歳まで地元の公立学校に通い、私立の高等学校に進学。15歳の時に父の転勤に伴い、マドリードの高校へ転校。そこで、最初の夫となる教師のアロンソ・ゲレーロ (Alonso Guerrero) と出会う。


その後マドリードのコンプルテンセ大学情報学部に進学、情報科学を専攻し、1995年にジャーナリズムの学士号を取得。大学卒業後は、オーディオ・ビジュアル・ジャーナリスト学院で修士号を履修。


その後メキシコに渡り、卒業はしていない(博士号を取得していない)がジャーナリズムの分野で博士課程を受講。 


1998年マドリードの高校時代の教師ゲレーロと10年の交際期間を経て結婚するも1年後に離婚。


彼女の家族をみてみると、父ヘスス・ホセ・オルティス・アルバレス(Jesús José Ortiz Álvarez)はジャーナリストで、全国放送アンテナ3ラジオ(Antena 3 Radio)のアストゥリアスでの創設者。1987年まで責任者を務めた。


母マリア・パローマ・ロカソラーノ・ロドリゲス(María Paloma Rocasolano Rodríguez)は看護師で、マドリードの病院に勤務。


祖母メンチュ・アルバレス・デル・バジェ (Menchu Álvarez del Valle) はアストゥリアスでは有名なラジオ・アナウンサーだった。


両親も1999年に離婚している。


テルマ (Telma) とエリカ (Érika) という2人の妹がおり、テルマは国境なき医師団の一員として2008年3月に出産帰国するまで活躍。エリカは2007年2月6日、大量の薬物を服用し、6歳の女児を残して自殺


レティシアは、早くからジャーナリズムの道を目指し、スペインに帰国後、24時間ニュースチャンネルのCNN+やブルームバーグテレビジョンのスペイン支局で働き始め、2000年からスペイン国営放送テレビション・エスパニョーラにTVキャスターとなる。


NY同時多発テロやイラク戦争でも現場に立ち取材し、30歳以下の優れたジャーナリストに贈られるLARRA賞を受賞。


■「堕胎暦」まで暴露されたレティシア王妃
2013年4月フェリペと出会う前に彼女は「スペインでは違法な人工妊娠中絶手術を受けていた」と主張する暴露本が出版された(執筆者はレティシアのいとこだったそうだ)


カトリックでは「離婚」は認めれておらず、レティシアの場合、最初の結婚は教会を介さず、結婚したとも(離婚したとも)見なされず、よってフェリペ皇太子とカトリック式に結婚しても、何ら問題はないという理屈を展開しての結婚だったそうだ。


しかし「堕胎暦」は流石にスペイン国民も知らされていなかったようだ。敬虔なカトリックの教義において「堕胎」は赦されない行為なのであり、「人工中絶」は違法とされる。


ハイメ・ペニャフィエル氏は現在のスペイン王室の危機的状況を以下のように語っている。


以下、「クーリエジャポン」の記事からそのまま引用。
ハイメ氏:「(首相の)サンチェスはフェリペ国王の最大の敵です。にもかかわらず、フェリペが彼にあそこまで親切なこと(注)に驚きますね」


ハ氏:「もっとも、首相がフェリペの敵というのは当然です。左派は共和制を支持しているので、フェリペを王座から降ろしたいという彼らの思いは一貫しています。


「スペインは、なんでもありの国です。この国では、いろんなことが起きるが、これといったことは起きない。王室が消滅しても、スペイン人の生活は何も変わらないでしょう」


ハ氏:「あまりに複雑な政治的状況に直面して、先が見えないからです。いまカタルーニャの独立問題が激化していますが、これは昔からあったことです。この問題は人々の感情に訴えるもので、感情というのはどうにもなりません。


「私は、自分はスペイン人だという意識はありますが、(アンダルシア地方出身でも)アンダルシア人だという意識はありません。けれども多くのカタルーニャ人は、『自分はカタルーニャ人だ』という意識を持っています」


「そういった感覚は、変えようとしても変えられないのです。ところが、政治的観点からこの問題に取り組んでいるため、この事実を忘れて、現実とはそぐわない対策が提案される事態に陥っています」



前国王のファン・カルロス国王はカタルーニャやバスク地方の独立気運を抑え、国を一つにまとめてきた。それも彼の手腕だった(人気によるもの)とされている。


「ファン・カルリスタ」であるハメイ氏はソフィア前王妃に関する本を出版しておりその中で、彼女についてあまり肯定的には書いていないようだ。


ハ氏:「ソフィア前王妃は多くの苦しみに対して、尊厳を持って耐えてきました。その点ではレティシア王妃とは異なります。」


「ソフィア前王妃が、人前で辛そうにすることはありませんでした。でも、本当はとても苦しい思いをしていたのです。本当は離婚すべきでした。別れられなかったのは、彼女の大きな失敗です(中略)」



現在、ファン・カルロス前国王は事実上亡命状態であり、ソフィア前王妃とは別居中、事実上の離婚状態であるといってよい状況。


「フアン・カルロスが過ちを犯したのは事実です。けれども、私はその欠点も含めて彼を尊敬しています。彼の人間性は、彼の子供たちよりもはるかに上回るものです。(現国王)フェリペは妻(レティシア王妃)に影響され過ぎています。彼の結婚は失敗でしたね 」


「意外に思われるかもしれませんが、この問題に関しては、レティシアの肩を持ちたいと思います。彼女が本性を偽ったことはありません。婚約発表をしたその日に、彼女はすでにフェリペに黙るよう指図していました。以来、彼に対するそうした姿勢を変えたことはありません。」


「それが彼女の人格であり、それはそれで大変結構なことです。でも彼女は「配偶者」であることを忘れていることがあります。フェリペとレティシアは王と女王ではありません。王と王妃、つまり王とその配偶者なのです。



要するに、妻の尻にしかれ、彼女が何か言うたびに「ビクリとする」国王には威厳がなく、その人望で国をひとつにまとめる象徴にはなりえない、ということをいいたいらしい。


注:スペインの首相夫妻が国王夫妻の「横に並ぶ」というプロトコール違反を犯した問題の瞬間。(ペドロ・サンチェスは国王夫妻と握手をしたあと、すぐにその場を立ち去らなけらばならなかったのにもかかわらず、レティシア王妃の隣に立ち、後に続くゲストたちと握手をしようとしたことが話題になったそうだ) 国王への畏敬の念のなさの表れのよう。映像をみると首相夫妻の方が堂々としており、国王夫妻は何か不安げなようすですらある。映像は2018年12月のもの。




引用元:






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2 コメント

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お早うございます (井頭山人(魯鈍斎))
2020-10-01 09:29:12
西班牙は、一時、共和政権により王制が廃止されて王は海外亡命していた?のでしょう。それが再び王制(議会制ですが)に戻った。何故なんでしょうね。フランスもドイツも戻らず元首として(大統領)を創った。カトリックとか辺境と謂う事もあるのでしょうか?フランスも一応カトリックと謂う事に成っている。1920年代~30年代にかけて西洋史ではスペイン内戦が書かれていますが二つの陣営に分かれて外国の干渉をうけました。フリーメーソン国家と第三帝国の闘いだった。西班牙は元の国民国家に戻ったと考えて宜しいのでしょうか?
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こんにちは (kamakuraboy)
2020-10-02 18:51:12
>井頭山人(魯鈍斎)さん、コメントをありがとうございます。共和政権により王制が廃止されて王は海外亡命していたスペインで再び王制に戻ったのは何故なのか、というテーマはスペインの地政学的が問題や内政問題、国の抱えている問題とも関係があると思います。フリーメーソン国家と第三帝国(連合国VSドイツのことでしょうか)との関わりもあるのかもしれませんが、フランコ将軍のようなやはり独裁体制のあとで、王制に戻っているのはフランコ自身がファン・カルロスを後継指名したからではあります。緩やかに立憲君主国と移行したということで、ファン・カルロス前国王に時代の流れが読めていたのでしょうが、現在のフェリペ6世は人望がいまいちのようですね。
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