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スペイン王室の現在②

2020-09-27 11:25:18 | ヨーロッパ
日本の皇室は世界最古である。


一方、ヨーロッパの王室は例えば「全ドイツ人の君主」でヨーロッパ随一の名門王家と言われたハプスブルク家ですら、1918年に第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制(第一共和国)となって 君主制が廃止。


イタリアでは1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票(referendum istituzionale del 2 giugno 1946)が行われ、1946年6月2日に施行。


■現在のスペインの王室の由来
スペイン王家は17世紀に国王カルロス2世の死去に伴い断絶したアブスブルゴ(ハプスブルク)家に代わってボルボン(ブルボン)家のアンジュー公フィリップが祖父のルイ14世の後押しによって国王として即位しフェリペ5世と名乗った。


これはスペイン継承戦争を引き起こしたものの、王位が承認されてからは幾度もの中断期を挟みながらも現在に至っている。 


第一共和政(1873年 - 1874年)第二次共和制(1931年 - 1939年)を経て、フランコ時代の軍事独裁時代(1939年‐1975年)の後にフランコが指名したファン・カルロス前国王が1975年に国王として即位して王政が復活したという歴史だった。


■即位したときには誰からも祝福されなかったファン・カルロス
「1975年11月22日にフアン・カルロスとソフィアが国王と王妃に即位した日国王は誰からも祝福されなかった」


「即位ではなく、退位したかのようだった。王の他の親族はおそらく、裏切られて“敗者”となったバルセロナ伯フアン・デ・ボルボン(フアン・カルロス1世の父)と一緒にいたであろうし、右派は、亡きフランコに別れを告げるため弔問の列に並び、一方、左派はフランコの死を祝っていたか、彼の死を自らの目で確かめるために同じく、弔問の列に並んでいた」



しかし即位後にフアン・カルロスがスペインの民主化プロセスで果たした役割をスペイン国民は感謝しており、それゆえに前国王は国民に「ファン・カルリスタ」という熱烈な支持者を生むほど人気があった


「民主化は理想的な形で実現」し、その功績からファン・カルロス前国王は今後もスペイン史における重要人物であり続けるだろうといわれている。


しかし現在、ファン・カルロス前国王は書簡でスペインを去ると発表したが、行き先は明らかにしておらず、首相であるペドロ・サンチェス氏ですら前国王の行き先を「知らない」という状況


BBCによれば、フアン・カルロス氏は4日に同国に入国したとされているが、ドミニカ共和国の入国管理局の報道官は、そうした事実はないと説明。ただ、同氏が今年の2月末から3月初めにかけて同国を訪れていたことを明らかにした。


「今後はスペイン王室は衰退していくだろう」と、王室ジャーナリストのハイメ氏は語る。


「なぜなら王室は中世的な制度で、極めて厳しい形で21世紀を迎えたから。英国王室以外の王室はすべて消滅する、というのが自然な流れでしょう。」と。 


■ギリシャの王女だったソフィア前王妃


前国王フアン・カルロスに退位を勧めたのは、レティシア現王妃と現国王であるファン・カルロスの息子のフェリペ6世、そしてファン・カルロス氏の妻のソフィア前王妃だったそうだ。


ジャーナリストのハイメ・ペニャフィエル氏の語るところによれば、「ソフィア前王妃は(王妃として)多くの困難に対し尊厳を持って耐え、『プロフェッショナル」だった、その点では現在のレティシア王妃とは異なる。


しかし2人にはそれぞれ結婚前に別の相手がいた。その相手とは結ばれず、結果的にファンカルロスはフランコの勧めに従ってソフィアと結婚。


結婚前のソフィア前王妃にはノルウェーの現国王ハーラル5世が、フアン・カルロスはイタリアの旧王族マリア・ガブリエッラ・ディ・サヴォイアという本命の相手がいたのだそうだ。


ノルウェー国王ハーラル5世はしかしソフィアとは別の女性を密かに愛しており、一方フアン・カルロスの場合は、彼の運命を握っていたフランコが『マリア・ガブリエッラはモダンすぎる』と言って、彼女と一緒になることを許さなかった。


結婚相手として許されなかったあるいは選ばれなかった故に、結ばれた相手との結婚によって(忍耐を鍛える修行を積み)「人情味が増した」ということらしい。


■ソフィア王妃
ソフィア前王妃は1938年にアテネ郊外プシヒコでギリシャ国王パウロス1世と妃フリデリキの長女で王女として誕生。


弟は最後のギリシャ国王コンスタンティノス2世、妹はイリニ王女。同じギリシャ王家出身のイギリス王配エディンバラ公フィリップと彼女の父パウロスとは従兄弟の関係にある


父方の曽祖父はドイツ皇帝フリードリヒ3世、母方の曾祖父も同じくドイツ皇帝でフリードリヒ3世の息子であるヴィルヘルム2世。


スペイン人とはいえ、労働者階級出身のジャーナリストで、離婚歴や堕胎暦のある現王妃のレティシアとは全くバックボーンが異なる生粋の王族だったのだ。


1961年ヨークで行われたイギリスのケント公爵エドワード王子(王子の母マリナはギリシャ王女で父パウロスの従妹)の結婚式に出席した際、将来の夫となるフアン・カルロス王子と出会った。


1962年ギリシャで結婚。その際にはカトリック教会での宗教婚、アテネ王宮での民事婚、ギリシャ正教会の儀式に則った宗教婚と、3度の式を挙げたそうだ。


この結婚式には、新郎の父方の祖母がスペイン王妃ビクトリア・エウヘニア(イギリス王室出身)であることからヨーロッパの各王室から多くの代表が参列。結婚に際し、ギリシャ正教からカトリックに改宗。


1962年にソフィアとフアン・カルロスはギリシャで結婚式を挙げた



ファン・カルロス国王との間に長女エレナ王女(1963年 - )、次女クリスティーナ王女(1965年 - )、長男で現国王のフェリペ6世(1968年 - )の3子が誕生。


■現天皇皇后両陛下の出会いのきっかけとなったエレナ王女の来日
ファン・カルロス前国王の長女エレナ王女が1986年に来日した際、10月18日に東宮御所で開かれた歓迎レセプションパーティーで当時の皇太子(現天皇陛下)と小和田雅子(現皇后陛下)が最初に出会ったことは有名。



エレナ王女は1995年5月18日、ナバラ=バスク系貴族ハイメ・デ・マリチャラル(Jaime de Marichalar y Sáenz de Tejada)とセビーリャ大聖堂で結婚し、この結婚に伴い夫妻にはルーゴ公爵の称号が授与された。


同夫妻の間にフェリペ・フアン・フロイラン(1998年 - )とビクトリア・フェデリカ(2000年 - )という2子が誕生。


2007年にインファンタ・エレナとルーゴ公爵ハイメの別居が公表され、2009年にルーゴ公爵ハイメとの離婚が合意したと発表されている。


1986年に来日したエレナ王女と皇太子殿下(当時)



■クリスティーナ王女の事件
クリスティーナ王女は五輪のセーリングの代表選手として、ソウルオリンピックに出場している。1989年にマドリード・コンプルテンセ大学を卒業。1990年にはNY大学で学び1991年にはUNESCOパリ本部で働いた。カタルーニャ語、英語、仏語、ギリシャ語が話せる。


1997年10月4日、FCバルセロナ所属のプロ・ハンドボール選手のイニャキ・ウルダンガリンとバルセロナで結婚。彼はバルセロナオリンピック、アトランタオリンピック、シドニーオリンピックのハンドボール・スペイン代表選手で、クリスティーナと出会ったのはアトランタオリンピックの際であったそうだ。

結婚により、夫妻には1代限りのパルマ・デ・マヨルカ公の称号がフアン・カルロス1世より授けられた。


夫妻には、フアン・バレンティン(1999年 - )、パブロ・ニコラス(2000年 - )、ミゲル(2002年 - )、イレーネ(2005年 - )の四子が誕生。


UNESCOスペイン委員会の名誉総裁を務め、自然・芸術遺産の保護活動に重点を置いて活動。2001年10月、第2回世界老化会議において国連親善大使に任命された。


2009年より夫イニャキ・ウルダンガリンがテレフォニカの北米及び南米の広報担当取締役に就任し一家は米国のワシントンD.C.に在住。


その後、イニャキ・ウルダンガリンは、非営利団体の公的資金を私的に流用した事件で容疑者となり、この事件に絡み、クリスティナにも共謀した疑いでスペインの検察はクリスティナにも裁判所に出廷するよう命じた。(2013年5月7日、捜査担当の予審判事は、従来の方針を覆し、当面は王女に出頭を求めないと発表)


騒ぎを嫌ったクリスティナは、2013年の夏に子供達を連れてスイスに移住。


2013年スペインの予備判事はウルダンガリンの資産の差し押さえを命じた。


2014年スペインマヨルカ島の裁判所はクリスティナに対し、税金詐欺とマネーロンダリングの容疑で出廷命令を出し、クリスティナは2月に予審法廷に出頭し事情聴取に応じた。


王室の人間(国王の次女夫婦)が、刑事事件の被疑者となったこのスキャンダルも父のフアン・カルロス1世の退位の契機のひとつとなったといわれる。


2014年6月スペインの裁判所はクリスティナと夫イニャキ・ウルダンガリンを詐欺罪に問うべきという裁定を下し、またスペインの予審判事は、捜査を終了。


王女の合意がなければウルダンガリンが不正を働くのは難しいとして、(刑事取引で)クリスティナを(横領ではなく)マネーロンダリングや税逃れの罪で起訴する方針を決定。


2014年12月スペインの裁判所は、クリスティナとウルダンガリンに、脱税をめぐる裁判への出廷を命じたが、スペインにおいて、王族が被告として公判に立つのは初めてのことだった。


2015年5月保釈金の270万ユーロ(約3億3千万円)が払えずに資産差し押さえが決定。国王フェリペ6世は姉が保有するパルマ・デ・マヨルカ公爵位を剥奪する予定であることを、事前に私的に公表した。


国王と個人的に面会した上で、クリスティナ王女は国王あてに自らが保有する爵位の剥奪を要請する書簡を送り、ただちに爵位剥奪の勅令が発行された。


しかし2017年2月スペインの裁判所は「経営は夫に任せていた」などとした主張を認め、クリスティナに無罪判決。


一方、課税を逃れた収入に相当する26万5千ユーロについては「民事上の責任」として、クリスティナに納付を命じ、夫のウルダンガリンは禁錮6年3カ月(5年10カ月に減刑?)の有罪判決を受けた。


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