<233 倉田京子様>
NTTクレドでの展示会初日の様子が、NHK昼のニュースでお茶の間に流れた。
その放送を見て駆けつけましたと、数名の来場者のなか
倉田京子様とその娘さんもそのひとりだ
「行くのなら今日!」との思いで来たと言う娘さん。
娘さんとの由縁はこんなこと
60近く人生を過ごせば、良かれ悪かれ様々な“転機”がある
病を抱えたからというもの、健康という先の見えない出口に
私は悲観する毎日だった
画用紙に例えれば、マイナス思考というよどんだ色の用紙!
その用紙に一気に彩りを施す出来事“転機”がこれだ
“似顔絵展示会”
私には両親以外に3人の親がいる、
私のブログに通の方はピンとくるでしょう
その一人が
『平成の絵師の生みの親』と位置づけている、
オートガーデン大野の大野賢社長(現会長)のことだ。
『平成の絵師の名付け親』である新屋まりさんが、大野社長のギャラリーで
マンスリーライブと称しステージを設ける毎に顔を出すようになった私は、
新屋まりさんの似顔絵を描いたのをきっかけに、ステージに立つミュージシャンや
スタッフ等の似顔絵を描いてきた
完成した似顔絵は大野社長を介してモデルさんに渡して頂いていましたが、
その絵を見る度に惜しげもなくストレートに笑って下さっていた大野社長の
仰天発言、
『似顔絵の個展』の話しである
(当時、私は個展が夢だったと言っていましたが、そのような思いはなかった)
思いもよらぬ話しにすっかりその気になった私ではあったが、開催するにはあまりにも
作品が少なすぎる
そこで何を思ったのか、地方紙、中国新聞の正月号に掲載されていた著名人や
企業経営者の64名の顔写真を描こうと決断
展示会の日程は、大野社長により既にセッテングされているので
急がないと間に合わない
ほぼ仕上がる直前に問題が発生した、
「肖像権」
似顔絵だからいっかと単純に考えていたが、「まずい」という大方の声に
念には念を入れて損はせぬと判断し
全員の方に似顔絵出展の可否について手紙を出すことになった
そこに娘さんのご主人が既に似顔絵となっていた
(やっとここの繋がりにたどり着きました、フーッ)
肖像権の件、娘さんからの返事はOK
「観にいきます」との返事のおまけ付き
口約束とはいえ、当時、展示会場で待てど待てど姿が見えない娘さんとご主人様、
お忙しいご夫婦のこと、急用ができたとのお詫びの電話に逆に恐縮・・・
あれから3年経過した今回の展示会の初日
公共の電波で放送されたお陰で、偶然にもその放送を見られた娘さんが、
お母さんである倉田京子さんを連れて来られたということです。
随分と長話になりましたが、これが娘さんと関わる由縁のひとつでした。
*由縁のひとつと言ううんなら、まだあるの?
あるんです、でも今日はよそう。
トップの似顔絵は、娘さんの依頼で倉田京子さんを描いたものだが、
初日のこと、会場の雰囲気に呑まれてしまった私は、まともに描けなく
到底作品とは言い難い不出来、
倉田さん、娘さんすみませんね。。
変わって話は3月1日のこと、
倉田京子さんのお孫さん、川本睦子さんはジャズシンガー。
3年前まで関西を中心に活動しておられましたが、
現在故郷の広島を拠点とし全国を飛び回って活動し、
またジャズの裾野を広げるべく普及活動もしておられます。
(ボーカル)川本睦子 (ピアノ)なかにし隆 (ベース)山本優一郎
その川本睦子さんのコンサートに行ってきました。
「ジャズで福島応援コンサート」と題し、福島県出身のジャズシンガー
小林ゆうこさんと二胡奏者 趙栄春をゲストに迎えての共演。
コンサートタイトルが示すようにチャリティーコンサートです。
あの3.11は如何に悲惨であったか、誰もが承知してはいるが離れた地に住む者、
時間の経過と共に風化していくのも現実である。
睦子さんが住むすぐ近所に、原発事故で福島から避難して来られた家族を知り、
現実というか事実であることを改めて認識、いてもたってもおれなくなる、
今まで震災県へ募金をしてきたが、身として形あるものができないかと自問自答、
ジャズシンガーとしては唄うしかない
そんなおりボランテア団体、「アスチカ」を知ることになったそうだ。
この団体「アスチカ」の趣旨はこうだ
「アスチカ」とは「明日へすすむ力」という意味を込められているそうだ、
なんのこと?
あの3.11で故郷をから離れざるを得なかった被災者、
生活基盤を広島においた人たち、つまり避難者による避難者のための会なんです
あのガレキ山のように、避難者の方の不安や悩みも山のようにあるんですよ
ひろしま避難者の会「アスチカ」は、問題を抱えた避難者同士のつながりと
広島のサポート達の連携の中で、一緒に解決していく会です
睦子さんはその会の存在を知り、今回のチャリティーコンサートをアスチカの
サポートの皆さんとタッグを組み成功のうちに収めました
最後のアンコール曲、やはりあの歌
“ふるさと”でした
睦子さん本人は勿論、お父様にも挨拶ができた
お母さんとは?
客席の真ん前に陣とって見ていたら
孫さん連れのおばあちゃんが、たまたま空いていた隣の席に座られた
よく見るとそのおばあちゃんは倉田京子さんの娘さんだった
もう一つの由縁
3月20日から5日間、緑井天満屋のギャラリーで開催する似顔絵展示会で
イベントのひとつ「(仮称)青空すずめがひばりを唄って60年」と題した歌謡ショ―の
歌手が、倉田京子様の娘さんでありました。
ちょっとくどい説明にて申し訳ない
最後まで読んでいただきありがとうございました
次のイベントは3月15日、
新屋まりさんの 広島発、東日本復興支援コンサート
「復興への希い(ねがい)」
普段のライブやコンサートでは滅多に唄うことがないあの名曲
「元安川」 「グランドゼロに立って」
を唄います。
新屋まりさんの意気込みは、この2曲を収め完売となったCD「広島の空に」を
再リリースしたことにも象徴している。
聴き逃すことのないように、一人ひとりの善意をこのコンサートにぶつけよう
思い出しました、3人目の親「平成の絵師 育ての親」は
昨年のNTTクレド・この度の緑井天満屋での展示会の企画をしてくださった「游水」様である
よろしくお願いします。