旅のひとコマ~プー太郎突入~

旅での出会い、発見、感動など、断片的な過去の記憶をたどる。同時に日々の行動や想いも気の向くままに掲載。

一目惚れ【Part1】

2004-12-12 10:00:20 | 日常の独り言
一目惚れってあると思う?
私の一目惚れ談をご披露しようか。
基本的には良く知っていくうちに、好きになるパターンが
多いのだが、あの時は、「やられた!」って感じだった。

あれは1年半前の夏。
仕事である大きな案件を任された時だった。
3億規模のシステム提案ともなると、営業だけでは何もできず、
それぞれの技術におけるスペシャリスト達を集めて一つの提案書を作り上げることが常である。
その案件の受注に向けての戦略立案、他部署を調整することや、お客様との交渉、
協力会社とのやりとりなどが営業のミッションであった。

この案件は、営業では私の上司と私が担当することになった。
彼は「係長」クラスの人間であったが、たいして仕事ができない私が言うのもなんだが、
ちょっとずれていて、お世辞でも営業に向いているタイプではなかった。
(後に彼は今の私がいる部署を異動、となる。厳しいものだ・・。)
急な案件の勃発に、緊急に打ち合わせを行い、1週間後に提出が迫る提案依頼をした。
その時の打ち合わせである、Sさんと初めて会ったのは。

はっきり言って、この打ち合わせはボロボロだった。
10項目、3億の提案と見積もりに1週間で対応といいうのは、通常ありえない話である。
「今から1週間、おまえらとりあえず寝ないで取り組めよ。」と言っているようなものだ。
打ち合わせに出てきた他部署のスペシャリストの方々は誰もが勘弁してくれよ、と
思っていたに違いない。
そんな空気をよそに、うちの係長の説明ときたらひどいものであった。
Sさんは冷静沈着に、けれども腹のうちに怒りを込めて、低い声で淡々とその状況を批判した。
「営業として、顧客の真の要望も、コンペチタ情報も何もなく、ただ1週間後に対応しろとは
いかがなものか」と。
ごもっともであった。
入社1年ちょっとの私に、そこで不愉快極まりない10人以上の敵を相手に雄弁に事態を
緩和する試みができなかったことは、敢えて述べる必要もないだろう。

そして、10人以上の年配の技術専門の人達の中で、一番若手のSさんが何故かその場を
取り仕切り、打ち合わせは進んで行った。
私の中のSさんの評価は「怖くて嫌味なやつだけど、クールで切れ者」。
そして全くかっこよくもないのに、その打ち合わせが終わる頃にはなんとも言えない気持ちに
なっていた。
そんな場合じゃないのに、である。
一言も会話を交わしていないのに、である。

打ち合わせ後、しばらくして、Sさんから電話があった。
なんだろう!?手が震えた。
私がしたミスに対する指摘だった。
「こうゆうことは普通常識としてしないでしょ・・・」
あきれた感じの皮肉な笑いをこめて言われた。
恥ずかしくて穴があったら入りたくなった。
ますます私はSさんとの距離の遠さを感じた。

その日の夜、残業の合間にUさん(いつも登場するUさんである。)ともう一人の先輩Yさんと
3人ですきやの牛丼を食べに行った。
その時たまたま今日の打ち合わせの話になり、Sさんという切れ者がいてかっこよかった、
という話を2人にした。
そしたら意外にもSさんのことをYさんもしっており、また、偶然にもUさんの同期だという。
どうやら私の反応がかなり惚れてます系だったらしく、おもしろがったUさんはいきなり
その場で電話を掛け始めたのだった。

U「もしもしS?久しぶり。お前今、えりりん(仮)という女と一緒の案件やってる?
いや~そいつがさ~お前に惚れちまったみたいでよ~」
私「・・・!!!!」絶句。ありえない!!
私「ちょっと、Uさんっ!!てか、U!!まじでほんとやめてよ!!」
とUさんの手から携帯を取り上げようとするが、時、既に遅し。
「あははは、今えりりんが横で真っ赤な顔して『やめて、やめて』と叫んでるよ(笑)」
楽しそうにSさんと話すUを横目に、私は何もかもをあきらめた。

・・・終わった。
愕然とした。
次からどんな面してSさんと会えってゆうんだ!!
そんなもんだよね、Uってオトコは。。。
Yさんはそんな私を見て楽しい気分になったのか、牛丼をおごってくれた。
かくして私たち3人は、妙にハイテンション(ある意味私はローテンション)で職場に
戻ってきたのである。 (2に続く)

からくりテニス同好会スペシャルマッチ観戦

2004-12-11 00:31:44 | 日記
さんまのスーパーからくりテレビの「さんま美代子一成」VS「修造玉緒」
のテニスの試合の収録を有明コロシアムで見てきた。
有明コロシアムは、だいぶ前に伊達公子の試合を見に行って以来だったが、
今回はからくりTVの収録のため、様々な仕掛がしてあり、たいそう金をかけたようだった。
カラテカの前座は長かったものの、大音響とライト、そしてさんまの登場に
9000人の観客でコロシアムは大盛り上がり。
ロイヤルボックス席だったため、わずか5Mの距離にいるさんまや松岡修造を
拝むことができた。
たいしてファンでもない私も、掛け声をかけて手をふったら、こちらを見て
手をふりかえしてくれた。

もともと、なぜこのような観戦することになったのか、というと。。。
去年会社でテニスサークルを作り、私はその名ばかりの(ほんとに名ばかりで
コーチも会計も合宿もみんなにお任せだけど)会長をしている。
丁度からくりTVの企画で、上記試合に向けての練習試合をするグループを募集しており、
それに私たちのテニサーが応募したため、今回の観戦に招待されたのであった。

松岡修造は、懸命に打っているフリをしていて、熱い試合が繰り広げられていた。
しかし、何年もテニスをやっている私から見ると、「手抜き」をしているのが
バレバレだったのが残念であった。
みんなから見たら、さんまもけっこうテニスが上手く見えるんだろうな~なんて
冷めた目で見てしまい、一緒に観戦してた皆に申し訳ないことをしたと、
あとから反省した。

さんまさんの歯はやはり輝いており、
意外に長島一茂がかっこよくて、
安住アナは大人気で、
みよちゃんの足の細さにびっくりしたり、
玉緒さんがいいキャラだしててかわいかったり、なかなか楽しませてもらった。
放送はクリスマス付近だろうな。

ブログを書く元気

2004-12-09 01:24:42 | 日記
先日の記事じゃないけど、まさに現在リーマン状態。
なんか一日中バタバタしてたら疲れた・・・。
私が一番嫌っている「ドタキャン」というやつをしてしまった。
こうゆうのって仕事だから仕方ないと割り切れる人もいるけど、
なんだかやるせない。

話は変わるが、ブログを書き始めて早2ヶ月半が過ぎようとしている。
今やブログは私にとって日課となっている。
疲れていて、眠くて、今日こそは早く寝ようと思うのだが、
書かずに寝るのはなんだか何か大切なものを忘れたようで
気持ち悪いのである。(これってブログ依存症というのだろうか!?)

いただいたコメントにも返したいし、
きてくれた人のブログに遊びにいってみたいし、
よく行く人達のブログにもコメントを書きたくてしょうがない。

でもまた明日あの気分の悪い朝を迎えると思うと、今日は控えておこうと
後髪をひかれる思いでベッドに入るのである。

昨日は記事を書いていないのにもかかわらず、トップの写真により
490IPの48位というランキングをいただけたことに
皆様のお陰であると深く感謝いたします。

明日こそは気合の入ったブログが書けますように・・・。

自分がリーマンだと思う時

2004-12-07 01:13:21 | 日常の独り言
他の先輩と比べると、たいして働いているわけではないが、私の生活は、
普通のサラリーマンとはちょっと違う仕事をしている父親や、
専業主婦の母親、モト銀行員のOLだった姉、学生の弟から見ると、
(そう、私は5人家族、3人兄弟の真ん中っこであるのだが・・・)
俗に言う「リーマン」だと言う。
ちょっと夜中に会社のPCで資料などを作っていると、
「リーマンみた~い!」なんて扱いをうける。

※注)広義ではサラリーを貰っていればみなサラリーマンなのだが、
 ここでは所謂狭義のリーマンを指す。

とはいえ、自分でも「私リーマンみたい?」と思う時は何度もある。
例えば・・・

・残業で終電になった時
・仕事で会社に泊まった時
・満員電車で資料の確認をしている時
・駅近くのカフェでPCにてメールチェックを行っている時
・出張で新幹線の中で日経新聞を読んでいる時
・出張帰りの新幹線の中でビールをしこたま飲んでる時
・休日に漫画喫茶で大好きな漫画も読まずに自分のPC持ち込んで仕事をしている時
・スクリーンを使ったプレゼンテーションをしている時
・ネクタイを頭に巻いた酔っ払いおやじと一緒に飲んでる時
・業績評価(ボーナスへの反映)の通知を受ける時
・接待がある時
・トラブルが発生し、お客様に謝っている時
・友達との約束に仕事が入って行けなくなった時
・喫煙室で「やってらんね~よ」大会をしている時
などなど・・・

花のOLにも憧れがないわけではないが、私には合わないことは一目瞭然。
色々考える今日この頃は、リーマン以外の選択肢もいいなと思う。
しかしながら、こんな生活もさほど悪くない。(今の仕事は如何は別にして)
ただでさえ女らしくない私なので、リーマン生活を続けることで
「おやじ化」してしまうのではないかと心配だ。

「3年間は続けよう」と決めていた3年はもう目前だ。

※写真はリーマン仲間達と会社帰りに野球観戦~阪神V.Sヤクルト戦
(別に阪神ファンというわけではないが)

六本木イルミネーション

2004-12-05 21:45:08 | 日記
今年は六本木のイルミネーションが必見。

六本木ヒルズのメインエントランス66プラザでは、
明るいオレンジの光を放つイルミネーションが点灯されている。
さらに進むと、バックに東京タワーを背負った毛利庭園一帯がホワイトとゴールドの
クリスマスイルミネーションで彩らている様子を上から見下ろすことができる。

また、メインのけやき坂通りには、両サイドのケヤキが
見事なホワイトブルーの電球達でゴージャスに飾られ、キラキラと輝いている。

眩しいほどのイルミネーションの横を、冷たく降りしきる雨など全くお構いなしの様子で
たくさんのカップル達が、幸せそうに腕を組みながら歩いていた。
クリスマスまであと少しだ。

17歳の頃

2004-12-04 01:49:14 | 日常の独り言
私にとって17歳~seventeen~は特別な響きと特別な意味があった。
でも実際は、私の17歳は平凡な毎日だった。
平凡な中に、大切なものがいっぱいつまっていたんだろうな、と今は思う。

私は都内にあるキリスト教の女子校に通っていた。
「○○女学園」なんて名前だけはいっちょまえにお嬢様でもいそうな
学校だったけど、中身はなんてことはない。
私の通っていた学校は、頭が悪くもなく、めちゃくちゃいいわけでもなく、
所謂ギャルのカテゴリーは少ない方だった。
私もギャルではなく、部活をやりつつ、受験勉強なんかもしながら、
たまにはコンパや男の子とも遊んでいるくらいの、
スーパールーズをはいてベルを持っていたごく普通の高校生だった。

女子校ってどんなイメージを持ってますか?
ドラマ「高校教師」みたいな感じ?
花園みたいな感じ?
それとも女ならではの下品で陰険なイメージ?

大学に入って、所謂女子校っぽい雰囲気もなく、男女限らず同じように女ッ気なく
さばさば話す私を見て、「女子校あがりっぽくないよね」と言われ続けたが、
結局トータル6年間女子校通いだった。
今思えば、周りを見れば「女しかいない」状況なんて、もう滅多にないだろうし、
あんな世界も悪くなかったと思う。

中学1年の時には、憧れの女の先輩がいた。
中学2年の時にはスカートめくりやブラホックはずしが流行った。
やたら下ネタで盛り上がっていたのもこの時期だろう。
人間関係に悩んだこともあった。
中学3年の時には、部活の副部長や生徒会の役員なんかをやっていた影響もあり、
後輩のファンがいっぱいできた。
文化祭では「一緒に写真とってください」、バレンタインにチョコ、ラブレターと、
レズに非常に近い状態であった。
ギャグではあるが、女同士でキス、ということもそこまで珍しくなかった。
体育祭では、髪の毛のひっぱり合いや蹴りあいがあるくらい、騎馬戦や棒倒しに燃えた。
オトコがいないって、怖い・・・と思った。

高校に入り、全然かっこよくない体育教師にバレンタインチョコをあげている子もいた。
スカート膝上20センチまで折り、ルーズがいい位置でとまるようにソックタッチ
なんかをつけりしていた。
いいたるみ具合を作るために、靴下の中に辞書をいれてのばしたりした。
学校内では、上履きのかかとを踏み、スカートの下にジャージを着用。
体育の後は、清汗スプレーが教室中に充満し、
その後の授業では大また広げてスカートの下に下敷きでパタパタ・・・なんてのはよくある光景。
ナプキンが飛び交うのも日常茶飯事。
いかにも25年間彼氏が居ないだろうという女教師の授業の時に、
教台にコンドームをおいておいて反応を見る、なんて悪戯をしていた人もいた。
国語の教科書を立って音読しているのに、胸元のベルがブルってあせったりした。
「おはよう」とか「今授業終わった」とか、たいして意味のないベルを打ちに
休み時間に電話ボックスまで走った。
数字も早打ちできたが、今考えると、たった12文字に何をいれられたのだろう。
大学生の彼氏ができて、車で海にドライブに行ったことが妙に嬉しかった。
夜中に急に居た堪れなくなって、タバコを吸ったりした。
朝まで友達と長電話をして親に怒られたりした。
社会人の彼氏ができて、親に言い訳して家に泊まりに行った。

毎日が楽しかったけど、やたら落ち込むことが多かったあの時期を
人は思春期と呼ぶのかもしれない。
色んなことを考えながら過ごしたあの時期があるからこそ、今の私があるんだろう。

あの頃、考えていたことを、日記にしていてよかったなって、今は思う。
その時の思いを10年後、覚えていることは困難だから。
もし今17歳に戻れたら、私はどんなことをするだろう。
妙に懐かしくなり、そんなことをふと考えていた。

トイレさん今日もありがとう~昼寝の効用~

2004-12-03 00:24:54 | 日常の独り言
皆さん、「お昼寝」してますか?

最近昼寝の効果が相当色々なところで評判になっている。
一日に15~20分の昼寝が効果的だとテレビでも取り上げられている。

広島大学総合科学部の堀忠雄教授の研究室の研究では、

1)昼寝で(時間は15分)午後からの強い眠気が消え、うっかりミスを防ぐ効果があった
2)作業成績が上がった
3)血圧が下がってリラックス効果があった

などの報告が出ている。
血圧の低下は脳卒中など脳血管障害の危険をなくし、また、昼寝習慣を持っている高齢者は、
意欲的だったという興味深い結果も得られたという。

実は最近私はこの1日20分の昼寝を実行している。
別に意識的に行っているわけではない。

午後お昼を食べた1時間後くらいから、眠くてたまらなくなるのである。
もともと少なくとも6~7時間は寝ないとダメな私は、最近やたら睡眠不足なのが原因だろう。
絶対1:00には寝るぞ、と意気込むのだが、また夜になると3:00近くまで起きてしまう。
PCに向かってると眠くて仕事にならないので、そんな時、会社のトイレで寝ることにしている。
寝るのは一番奥の個室と決めており、便座に腰を下ろしてから意識を失うには数十秒とかからない。
仮にも年頃の女性が、トイレの便座で居眠りとは、絵的にはイケテナイことこの上ない。
しかしこの時期、ホットな便器君がお尻をジワジワと暖め、
より心地良い眠りの世界へといざなってくれるのである。

そして不思議なことに丁度15~20分で目覚める。それもスッキリ、パッチリと。
目覚めた後はそれまでと打って変わって仕事がはかどるのである。
昼寝の数十分は、数時間朝寝坊をしたのと同じ効果があるとさえ言われており、
実際睡眠不足の私が、やっていけているのはこのトイレでの昼寝のお陰といっても過言ではない。

眠るということはなんと幸せなのだろうか。
しかし、考えてみれば、1日6時間睡眠の人は人生の4分の1を、
1日8時間睡眠の人は3分の1を眠りに費やしている。こう考えるとほんとに驚きだ。
それだけの時間を費やす睡眠は今見直され始め、「眠りの質」が求められる現代において、
テンピュールの枕の人気へとつながっているのだろう。

また、例えば、1日5時間睡眠のAさんと、8時間睡眠のBさんがいたとする。
2人が80歳まで生きたとしたら、1/8×80=10年間もAさんの方が
長く生きたのと同じだけの時間差ができるのである。
もちろん、だからといってAさんの方が良い時間をすごすことができたとは言えないが。

このように考えると、どんどん寝るのがもったいなくなってくる。
しかし、眠りそのものにも幸せを見出せるわけだから、やっぱり寝れる時はよく寝ることにする。

また話がだいぶ横道にそれてしまったが、昼寝はとにかくお勧めなので、是非お試しあれ★
リクライニングシートで昼寝ができるサービススペースがオフィス街に
今後増えてくることだろう。

なりたい自分になるために

2004-12-01 00:14:51 | 日記
日記:11月30日(火)

今日、同じ職場だった3つ年上のUさんと久々に昼を食べた。
彼は私に自慢話をしたかったらしく、お昼に誘ってきたわけだが、
私も丁度、刺激が欲しくて、彼を誘おうと思っていたところだった。
気づいたら1時間半以上話していたようだ。

本人が私のブログを読むだろうことが想像できるため、
書きにくくてしょうがないが、読んでいない前提で書くことにする。

前に一度そんなコメントをしたことがあるが、
彼は、ある切り口から見ると実に最低で残念な男である。
それを私は何度となく指摘しているのだが、なかなか認めない。
しかしまたある切り口から見ると、とても尊敬できて、魅力的な人間でもある。

私が入社してからかれこれ3年近い付き合いになるが、
普段から付き合う友達とはまた違うちょっと異質な存在である。
ズバズバと冷酷残忍な言葉で人を傷つけたり、
時にはその適当さや自分勝手さや子供っぽさに本気でカチンとくることもある。
けれども彼はいつも私が何かを始める「きっかけ」を作ってくれた人である。
あるときは彼は私に熱く夢を語り、またある時は私に「気づき」を与えてくれる。

そもそもこのブログを始めたのも彼の影響だし、
私がこのままではいけない、と本気で考え出したのも、
転職活動を始めたのも、また今何かをしようとしているのも、
彼の言葉がきっかけの一つとなったことは否定できない。

今から2年近く前、何かを始めたいと言っていた彼を見てきた。
彼はあの頃とは全く別のところにいる。
彼は、自分が実現したいことを常に言葉にし続けてきた。
そして自分の進むべき階段を一段飛ばしに登っていった。
「言霊」というものが本当にあるように、彼は着実に「なりたい自分」に近づいていた。

そして、「現在模索中」と言った私に対して、
「そんなことを言っていたら、10年たっても20年たってもお前はそのままだ」
と言い切った彼の言葉を胸に、なりたい自分になれるよう、行動をしていきたい。

今はまだ漠然としていて何をすればいいか見えないけれど、私の目標は、
「自分の大好きなことをしながらお金を稼いで自由な時間を満喫する」
ことである。

自分の話をするつもりで書き出したものの、ほとんどUさんの話になってしまった