25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

宝物

2015年09月22日 | 日記

前の浜のいつもの突堤でハゼ釣りをしていた。名古屋ナンバーの車を停め、叢の草を刈り取っている男がいる。そこの土地の持ち主なのだろうか、と思い「ながら、ハゼを釣っていた。すると、その男性が僕のところにやってきて、「ハゼ釣っとんの。オレ、若く見えるけど、50歳でさあ、もう尾鷲に30年通ってるんよ。今日は夜釣りするんで、暇なもんやから、そこの草刈りやっとったんよ。よくやるんよ。海の掃除。ほら、あそこに浮いてるのも、なんか嫌でしょ」と、市場の岸壁の下に溜まったごみを指さした。その男はネックレスをし、なんかだかんだと飾り物を上衣につけ、人懐っこく喋ってくる。僕は「夜は何を釣るんですか」と訊くと、「シーバスやマゴチやね」 「ここで?」「そう、あそこ」「で、釣れるんですか?」「よう釣れる。よ。尾鷲の人はスズキ(シーバスのこと)とかマゴチあんまり釣らんでな。オレ、ここみんあ知ってるで。ウナギいっぱいおるわ。あそこではアサリが採れる。で、ここの先っぽからだと、マゴチ、スズキ、ヒラメやね」   僕は思わず、「本当ですか。ルアーでやるんですか」と訊くと、「そう、ルアーやね。おとうさん、ほら、そこに3匹ほどいるで」と言って、僕に釣れと促す。相当目がよいらしい。風波もあってハゼの姿は僕には見えないので、僕は目釣りではなく、脈釣りをしている。「あおの石、そう、そう、そこ、あっ、もうくいついてるわ」と言うと、、僕の竿にもプルプルと振るえがあった。上げると型のよいハゼだった。おとうさ、と呼ばれるのは可笑しかったが、彼はまた、「あそこにもいるよ」と言って、「おとうさん、ちょっと針が大きいんじゃないの」「小さいハゼを釣りたくないんで、わざと大きいのをつけとるんや」と言うと、「ちょっと待っとりなや」と言って、彼は車の方へ行き、小さい針の仕掛けを作ろうとする。「いらんで、これでええんや」と言っても聞かず、僕は苦笑いして、彼が仕掛けを取り替えるのを黙って見ていた。「これでやってみい、爆釣りやで」と笑った。そしてその通り、僕はどんどん釣った。20センチくらいのまで釣った。するといつの間にか、彼はいなくなり、車もなかった。「夜この辺で灯りがついていたらオレだからね」と言っていた。 僕は宝物のような釣り場のすぐ近くに住んでいるのだと思った。ウナギ、ハゼ、マゴチ、スズキ、ヒラメ、それにアサリか。こりゃあ贅沢なことだ、と思っていたら、娘と孫が加わって、爆釣りをしたのだった。