今日は名古屋の知人のところに行った。用件は30分もあれば済むことなので、それ以上話が広がったり、深まらななっかたら30分で辞去しようと思っていた。そして用事も終わり30分になろうとしていた。彼は無口で、怒りやすく、戦後の成功者で、体の不調を抱えている。僕よりは一回り以上の年配者でもある。
難しい人だけれど、さっぱりした人だ。社員のだれよりも早く出社してだれよりも遅く帰宅した。それが成功の自負なのだろう。
「まかした、というたやろが」と言うと、当然こちらも反発が起きる。「まかされたからといって、確認や承諾は必要でしょ・だからわざわざ来たんですよ。」と答えると、彼は、「わかった」という。その思いの中にはお前にまかさたといったのだから、いちいちここまでこなくても電話でよい、あるいは好きにやればよい、文句は言わない」と言っているようにも見える。こういう人は苦手だ。言わない。惻隠の情であり、東映のの主人公である侠客のようである。
尾鷲を10時半に出て、途中で昼食をとってぴったりと13時に約束の時間に着く。直行でいけば2時間1分かかる。30分で用事を済ませたところで、彼がたわいもない雑談を始めた。尾鷲のの賀田あたりに住む親戚の話である。話を受け流しながら、本当はもっと違う話が聞きたいと思う。壮年期の頃のことや、老年期のことの思いや、そんなことである。しかし彼は黙っている。言わない。
意気地なのか、矜持なのか、男はそんなこと言ってもしかたがない、この結果をみよ、と言っているのか。
思えば、僕も若い人に聞かれたら、言ってもしかたがないことと、言っておこうという腑分けはする。理解してほしい、という思いを抑制し、隠すことをする。言えないことは言えないのだ。
13時50分に辞去した。「これで僕の役割もほぼ終わったと思っている」と言って握手をした。
帰りがけ、先のことを思いながらドボルザークの「アメリカ」を聞いた。
早いものだ。15時45分には尾鷲に付き、神保干物屋で「えたれいわし」を買い、コンビニで「山崎」を買ったのだった。今日は一人で今日の50分をねぎらうのである。難しい人だけれど、憎めない人なのだ。そんな人っている。
難しい人だけれど、さっぱりした人だ。社員のだれよりも早く出社してだれよりも遅く帰宅した。それが成功の自負なのだろう。
「まかした、というたやろが」と言うと、当然こちらも反発が起きる。「まかされたからといって、確認や承諾は必要でしょ・だからわざわざ来たんですよ。」と答えると、彼は、「わかった」という。その思いの中にはお前にまかさたといったのだから、いちいちここまでこなくても電話でよい、あるいは好きにやればよい、文句は言わない」と言っているようにも見える。こういう人は苦手だ。言わない。惻隠の情であり、東映のの主人公である侠客のようである。
尾鷲を10時半に出て、途中で昼食をとってぴったりと13時に約束の時間に着く。直行でいけば2時間1分かかる。30分で用事を済ませたところで、彼がたわいもない雑談を始めた。尾鷲のの賀田あたりに住む親戚の話である。話を受け流しながら、本当はもっと違う話が聞きたいと思う。壮年期の頃のことや、老年期のことの思いや、そんなことである。しかし彼は黙っている。言わない。
意気地なのか、矜持なのか、男はそんなこと言ってもしかたがない、この結果をみよ、と言っているのか。
思えば、僕も若い人に聞かれたら、言ってもしかたがないことと、言っておこうという腑分けはする。理解してほしい、という思いを抑制し、隠すことをする。言えないことは言えないのだ。
13時50分に辞去した。「これで僕の役割もほぼ終わったと思っている」と言って握手をした。
帰りがけ、先のことを思いながらドボルザークの「アメリカ」を聞いた。
早いものだ。15時45分には尾鷲に付き、神保干物屋で「えたれいわし」を買い、コンビニで「山崎」を買ったのだった。今日は一人で今日の50分をねぎらうのである。難しい人だけれど、憎めない人なのだ。そんな人っている。