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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

面白いアプリを知る

2019年01月03日 | 日記
 今どきのダンスする一家全員。てなわけで、五人のダンサーにいろいろな顔をあててみる。そしLet's Dance.で知った顔がキレのよいダンスを始める。これが可笑しくて、たまらず、いろいろやってみる。
 これまでたまっているいろいろな写真でやってみる。ゲラゲラと思わず可笑しく笑ってしまう。友達バージョンも作ろうと思う。だがそれを友達に届けるには試行錯誤する。湯豆腐を食べながらやっていると、すぐに湯豆腐が冷えてしまう。ダウンロードをなんとなくして、ラインへ。すると多分それをキープへ。友達からのラインを開いて、キープのデータを貼り付け、送信へ。それでもこころもとない。新年、ひとつのアプリに感動し、それを操作できるようにしようと思ったのだった。そのアプリを ElfYourself という。みな考えるなあ。感心する。バカ面白い。
 

 

新年2日め

2019年01月02日 | 日記
 「孫」が中心に年末、正月は動くので、実に辛抱しなければならない。
 あるとき、「友達」という題で短編小説連作集を作ろうと思ったのは昨年の30日のことだった。主義、思想、生き方は違っても、相性の合う友達というのはいる。不思議と肩が凝らず、気負うこともなく、言葉さえいらないようなそんな相手。この奇妙な関係というものを書いていきたい。

 午前中10時から12時までは小説を書くことに、13時から14時は保水層と人工土の様々な研究に。他の時間は他の仕事やブログ書きやコーヒー飲みや買い物散策に使う。
 夕方にこの頃音楽を聴く。
 それから酒となって、テレビや映画DVDを観る。最後に本を読む。この頃酒量が増えて、体重も増えてきた。が、これが難しい。

 さて今年はよい年になるのだろうか。日本はパンパンに借金が膨れ上がっている。お金をばらまく。少子化のことは30年前からわかっていたことなのに、票にならないと、何にもしてこなかった。それが労働者不足で、移住政策を進める。その場しのぎの政策をやる。
 いつ金融面で何が起こるかわからない。自分なりの防御は考えているのだが。
 今日は娘たち家族がくる。大騒ぎになるはずで、あと一週間は自分のルーティーンにならない。
 また近所の人から「からすみ」をもらった。感謝
感謝で、嬉しい。

 

 

 

イヤな事は続いて起こる

2018年12月31日 | 日記
 息子が久しぶりに車を運転をしてバンパー及び周辺を擦り、歪めてしまった。前の左ドアが開かなくなった。人身事故ではなかったからよかったものの、この修理にお金がかかる。前のバンパーと横の部分がひとつ。約10万円かかると、板金屋さんは言う。
 だいたいこういうことが起きると、次々によくないことが起きるから、注意しようよと皆に声を掛けたのだった。夕食は母親も連れて中華料理店へ。無事に母が転倒することもなく済み、腹一杯食べて飲んだのだった。
 それから「Wind River」という重たい映画を見て、さて風呂となったところ、お湯が出ない。台所の湯はでるのに、風呂の湯は出ないのが不思議だ。給湯器はひとつである。この夜風呂は全員やめ。
 翌日、31日に、申し訳なく思ったがプロパン事業というのは生活を支える基本的な仕事だから、大晦日、正月でも緊急体制はとっているだろうと思い、電話をかけた。いつも通りのように明るい返事で、すぐ見に行きます、と言ってくれた。十分もしないままに、係りの男性がやってきた。いろいろと点検したあとの結論は「給湯器の耐用年数は10年ですが、これは15年経っています。台所までなら熱い湯も届くのですが、風呂場までとなると
途中で冷えてしまうんです。つまり給湯器の力が足りんのです」
というわけで給湯器を取り替えることになった。8万円。立て続けにおこるじゃないか、今度は何だろう。息子らは熊野古道の二木島から曽根の「次郎坂太郎坂」をハイキングしている。今日はよい天気だ。滑って転んで、頭などを打つんじゃないか、と心配する。新しい給湯器に替えたものの、風呂の湯は熱くならない。業者は困り果てた。「水道屋さんにきてもらうしかないですね」
「・・・・? それは裏のコンクリート地面を壊してってこと?」「ぼくは水道のことはわからんもんで・・・」
 「えええええ、水道管の工事。何々、湯がでる水道管と水がでる水道管が交わるわけ?」 と言ったら、そのおにいさん、パッと閃いたらしく「洗濯機は?」という。洗濯機の上に湯の蛇口と水の蛇口が開いていた。それの赤い湯の方を締めると、風呂の湯の勢いがこれまでのようになり、熱い湯が出てきた。「両方開いてたもんだから、水が混流したんだわ」と名古屋弁が出てきて嬉しそうに言う。「給湯器前のに替える?」「まあ、ええよ。耐用年数来とるんやり。この際替えておくわ。また15年か」。しゃあないなあ。まあとにかく今日は風呂に入れる。それにしても洗濯機の水道栓を開けておくなんてことはこれまでもあったことじゃないのか。詮が開いていた日に限ってたまたま風呂に入らなかったのだろうか。
 息子らを迎えに行った細君に聞いてみる必要がある。無事に帰ってくるだろうか。家に隠っていてもこんなことが起こるのだから、年末年始は危ない。明日は尾鷲神社で大祓いだ。あの巨大な太鼓修理は終えたのだろうか。去年牛を手に入れたと言っていた。太鼓の皮は大きな牛らしい。
 

カメノテ~ナザレ

2018年12月28日 | 日記
 紀伊長島で「港市」をやっている様子がテレビの地方ニュースで流れた
、ギョギョギョ、カメノテがある。岩場の割れ目に植物のように、根を張るように群生しているあのカメノテである。この辺ではタカノツメとも言う。しかもリスボンのレストランで食べたのと同じくらいのサイズである。早速、紀伊長島に住む姉にカメノテ購入の電話依頼をした。姉は生ガキにあたって入院してからというもの、貝類は食べない。姉の夫はカメノテを食べると吐くのだそうだ。
 翌日、朝、購入したと電話があり、1500円だったという。1500円なら相当量あると思った。
 紀伊長島も久しぶりである。旧商店街は一人も人と出会わなかった。人が歩いていないのである。海岸線の長いこの町も南海トラフで滅びるのだろうか。人口は減っているのだから、わざわざ海の近くに住まなくてもいいのである。
 カメノテは1キロほどあるのだろうか。個数を勘定しなかったが、20コはありそうである。これでは大変な貴重品である。
 カメノテは塩ゆでをして食べる。不思議なことに、アルコールはなんでも合う、ワインでも、日本酒でも。
 明日息子たち家族がやってくるので、半分残しておこう、息子はこれをすきだったかどうか忘れてしまった。
 カメノテは幼い時からの磯の思い出であり、大人になってから、イガミを釣るために船から磯に飛び移ったときに、エサのホンダワラを船内に忘れてしまった。釣りにならないので、何かエサになるものはないかと磯を見渡しら、カメノテがあったので、ナイフで取り、これをエサにしていがみを釣った時は嬉しかった。
 もうひとつ大人になってからの思い出はリスボンから列車にのりフェニキア人の海辺の町ナザレに行ったときだ。ここではイワシもアジも尾鷲の人と同じような食べ方をする。干物である。ナザレの砂浜にはいわしやアジを干している。
 ナザレでは両替をするところが銀行しかなくすでに閉まっていたので、現金が残り少なかった。夕食のため、レウトラン内を外から覗いていると、大きなカメノテが大皿に盛られている。それに惹かれて、不安気に入った。カメノテの料金がわからない。ええい、ままよ、と手でつかみ取りして、夕食の酒のつまみにした、美味しかった。そして夕食代は持ち合わせの現金で済んだのだった。小高い丘の斜面にレンガ色の屋根と白壁、その窓やドアが色とりどりの家が立ち並んでいた。夫をなくした女性は毎日黒色の服を着て、日向ぼっこをしていた。
 このナザレの浜でアマリア・ロドリゲスがファドを歌った映画があった。ポルトガル映画で他しか「白い町」という題だった。白黒映画だったと記憶する。
 アマリアは老い、若いファド歌手が出てきたころだった。リスボンに住んでいるという女性と出会い、彼女にその若いファド歌手の名を知ったのだった。翌日その歌手のCDを持ってきてくれた。ぼくはその方の名前と住所
連絡先を聞いておくべきだったと後になって後悔した。今頃どうしているのだろう。あれから23年になる。
 

 



虹を追いかけた

2018年12月22日 | 日記
 砂漠にビニールハウスか、テントのようなものを作り、内部を温めれば内部壁に結露ができる。逆もあり得る。いくら乾燥地だからと言って、湿度はゼロではない。これができるのは太陽光に依るしかないと思う。ぼくが空中井戸と呼ぶのはそういうことで、砂漠での水の確保が問題だからである。中国やエジプトなどの砂漠をもつ国々は砂漠化の進行を食い止めるだけでなく、砂漠を森、牧草地、農地と昔のように戻さなければならない。人類はまだまだ増える。水問題も食糧問題も要は緑化問題でもある。
 砂漠を不毛のままにしておくのはもったいないとは皆思っていることだろう。

 そんなことをつらつら思っていて、イオンで買い物をしたあと、イオンから大きな見事な虹が見えた。内側の端は紫色だった。根元はどこなんだろうと虹を追いかけた。天満の堤防までいくと、虹は外海から出ていた。根元はエネルギーに溢れているように見える。写真を2枚載せておく。一枚目から2枚目の場所まで移動したのだった。やはり大きな虹は珍しく昨日、姉妹都市のカナダ-プリンスルパート市の写真集を見ていた。友好50年記念のようで、スピーチを頼まれていたので、写真集があることを思い出したのだ。虹の町としてよく知られて、市のワッペンにも虹がプリントされていたのを思いだし、海洋性気候というものが虹をよく作るもだろうか、などと、写真の虹を見て思ったところだった。奇妙な偶嬉しい偶然だった。

  

介護度認定の調査

2018年12月20日 | 日記
母の介護認定の調査員が来て、聴き取り調査を行った。現在は要介護2であるが、以前よりはよくなっているから要介護1くらいになってほしいと思う。ある時期から「認知症」を心配したが今では自然な物忘れ的なもので、過去に妄想を見たこともあったが、それもなくなり、ごく普通に自分で曜日の管理をし、週三回のデイサービスに行って風呂に入るのに、寒さにもへこたれず、朝起きて、準備をして、化粧もしてデイサービスの車が来るのを待っている。

 これまで睡眠導入剤と便秘薬は事故前まではとても気にし、なくなると必死の様相だったのに、この頃はそんなことは忘れたかのように、薬の飲み忘れをする。薬は一包化してもらい寝る前に飲むことになっていたのを、この頃忘れることが多いので、担当医に相談をして、いつでも飲んでよい、ということになり、袋に日付を書いて、必ず飲むようにぼくの方も努力して、飲むのを見届けるようにしている。忘れるほどに薬に囚われなくなり、超老人になった証ではないかと思う。芹沢光治良が90歳も過ぎたら、腰痛も結核もなにもかも治っていくんだ、というようなことを書いていたのを思い出した。

 調査する人は聴き取り用紙のようなものがあって質問をしていく。母親に主に聞き、あとで僕が補足するという形となる。要介護度が1になった方が支払うお金も安く済む。しかし週三度の風呂、人とのコミュニケーションの場はほしい。そのことをお願いした。お願いしてどうにかなるというものではないだろうが、言ってはおいた。母親の身体の調子は本当によくなっているのである。

 逆に、ぼくが問題になってきた。ウィスキーに凝り始めてから一年以上は経つが、次第に体重が増えてきた。体重増加に比例して血圧が上がってきた。肝臓のγGTPがG上がって来た。医師は「体重を落せば必ず血圧は下がるから、ダイエットに努めてください」と言う。
 母親の世話をしているというのに、自分が自分を世話しなければならない状況である。老々介護になってきた。

 まだこれからやらねばならないことは山とあるのに、死ぬわけには行かないし、やっぱり歳の順、親子の順に退場していくのが摂理というものだ。

 この頃、七十代の人は若くなったと思う。元気であるし、容貌も若く見える。若く見せる美容の技術も向上しているのだろうが、精神も老け込んでいないように思える。ぼくの知る七十代も溌剌としている。

 昨日は綿屑とセメントで大きな塊を作って麻袋に入れた。カラカラに乾くのを待って、保水率と蒸散率を測量したいと考えている。まだ固まらないので、今日はそのままにしておいて、曽根の家の障子の開閉がつまってしまうので、ノミを買って(ノミを使うのは初めてであるが)、やってみる。大工さんは素人がしてはいけない、と言うようだが、まあ、やってみるか、と思い、午後から出かける気である。成功したらスッキリする。木の家は歪んでくるものだ。


 

 
 

考える材料

2018年12月09日 | 日記
 保水性をもつ塊をつくるのに、セメントと綿くずを混ぜる混和剤が要る。これには何度もトライして難儀した。綿くずと接着しなければならない。全体を多孔質にしなければならない。塊りのものが土と同様の成分、環境でなければならない。化学をやるのは初めてのことなので失敗し経験しながら実験の要領というものがわかってくる。最後の仕上げにph7にするのが難しい。ペンタイプPH計で最後は測る。
 綿くずも到着した。
 さて、いよいよ本格的と言わないまでも、必要材料は揃った。保水率は50%。一回の雨を想定して、一回水をやる。
 コメリに行って、どんなものを植えて実験しようかと、見て回る。砂漠の緑化を想像して、葡萄はどうか、と思う。葡萄ができるのなら、ワイン製造もできるようになる。牧草地を作れば羊、羊毛ができる。沙棘(サジー、sea berry)の種もまだ残っているので、これも蒔いてみようと思う。
 黄土高原では砂防堤には沙棘がよく、確実で、根は深くまで伸び、実がなってジュースもできる。山の斜面はスイッチグラスがよいと思う。ほぼ妄想の世界になっているが、4年前に実際砂漠のすごさを見ている。飛行機で種を蒔いてもほとんどが無駄骨に終わる。水の都合がつくところしか再開発できない。黄河に沿って農地はあった。しかし黄河から500メートルも離れればもう砂漠である。甘草の栽培を見た。ビニールハウスもあり、いろいろな苗を育てていた。といっても、このくらいの規模のハウスで対応できる緑化など知れたものだ。砂漠は広大過ぎる。一気にやるなら大土木工事だ。農村単位で土木工事を行う。個人単位ならコツコツとだ。

 あれこれと考えながらいるのだが、考えるには考えるだけの知識が要る。ぼくの粗雑で、少ない知識量ではまだ幾つもの壁が出てくるのだろう。

 そうそう、糠漬け作りも続いている。まだ大根菜は三宅商店にある。蓮台寺柿はもう店先にあるのだけで終わりだそうな。蜜柑の季節だ。旬のものと言えば、渡利の殻付き牡蛎。台風で湖の底も荒たらしく、今年は順調に出荷されている。この前食べたらぷっくりとして美味しかった。旬のものを食べると、必要な酵素がとれるということで、酵素を作り出し、使ってしまうだけの酵素を使い減らしたくないためには酵素を効率良く取る必要があるらしい。そういったことを考えなくても旬の時期に食べる食べ物は自然と旨い。



  


綿屑入手

2018年12月06日 | 日記
 どうにかして「綿屑」が入手できないものか、検索方法を考えて試してみた。以前綿花栽培をしている方に電話したところ、「今は綿屑も取引されていますよ」ということで、中国の大量の綿くずも取引される産業廃棄物になっているのだろうか、と心配した。
 ぼくにとってみれば綿屑は大地に戻した方がよいと思っているので、その電話での綿花農家の回答はショックだった。
 早くしないと綿屑が入手できなくなる。この貴重なものが入手できなければ、ぼくの計画が台無しになる。
 今日は気を取り直して、検索を試みた。すると布団を作っている業者の方のブログにたどり着いた。このゴミを再利用しようという人があらわれる、と書いてある。そして無料で差し上げるので、連絡ください、と書いてある。早速メールをした。するとすぐ返事が来た。10キロもないかもしれないが、取りに来てくれるなら無料で、送る場合は手間代と輸送費で、という返事だった。
綿屑を使った保水性コンクリートの成果がでたら、お知らせします、と感謝の連絡をした。すぐに送料と手間代を振込み、早速返事があり15キロあるという。それをすぐに送ってくれた。
 夕方にたどり着いて、翌朝の午前中には綿屑の入手が済んでいた。フン、とあざ笑うかのような態度の人と無料で提供しますよ、と言ってくれる人。度量が違うなあ、とか、理解力があるんなあ、とか、それに物事の進め方が早いし、きっちりしていると感心しまくったのだった。
 明日には届くので、綿屑で実験をやりたい。春になれば、鉢やもっと大きいもので、保水力をもち、地球のあらゆるミネラルをもつ混和剤を少々のセメントで綿屑を接着させる。また混和剤と綿屑と砂(シルト状の砂)を混ぜて、人口土にする。

 さて、こういったものに市場性があるかという問題がある。もしかしたら、すでのより簡便で、より安く緑地化できる方法がすでにあるのかもしれない。そう思っていたら、日本内蒙古経済文化協会の会長からメールがあり、今日から砂漠の都市フフホトに行くのだという。市場調査をお願いした。緑地化をどんな方法でやっているのか。ぼくが知り得るだけの範囲でやっているのか、新しい優れた方法が出て来たのか。自治政府は内蒙古の砂漠に道を通し、砂防提を作り、農地、牧草地、森林など、全部緑化してしまう壮大な意志をもっているか。その辺を知りたい。三国志時代の魏のふぃうっかツ

 やる気になれば、人は繋がってくる。

 第三回目の素人実験動画
 https://youtu.be/wI5jPHu-oSc
 

スーパーニッカは旨い

2018年12月05日 | 日記
 マッサンの「スーパーニッカ」の旨さに、今更ながら驚き、これまでのウィスキーの試飲旅は何だったのかと言いたくなる。
 サントリーの「オールド」というウィスキーが50年前から15年ほどの間スナックのどこに行ってもあった。スナック=オールド だった。ニッカは当時競争相手ではあったものの圧倒的にサントリーがスナックバー業界を寡占化していた。スーパーニッカはオールドに対抗するためか、リザーブに対抗するためか知らないが、リザーブより旨いものだから、これはオールドも馬鹿にできないとも思い、オールドを見るたびに買ってみようかと思う。だが買っていない。20代の頃の
無理して飲んだ飲み物であり、味もなにもわからなかったものだからである。旨かったという印象がない。もしかしたら旨いのかもしれない。
 サントリーのヤマザキが香港で2500万円だったか、そのくらいの値がついてあきれたのだが、それは50年ものだった。50年物なんておいしくないだろうと思うが、ヤマサキの一番安いピュアモルトでさえ、値上げが続き、いよいよ1万円に近づきつつある。
 スーパーニッカは他のニッカやサントリーの「カク」や「オールド」「リザーブ」「ロイヤル」のようには置いてないのだ。尾鷲ではまずイオンにも、他のスーパーにも酒屋にもないのだ。ニッカ「余市」や「竹鶴」「宮城挟」よりも旨いと思うのだ。確かに「余市」は3年前までは旨かった。しかし、若返った「余市」は「スーパーニッカ」にかなわないだろうと思う。
 このウィスキーは「響」「ヤマサキ」を超えるように思うのだが。まあ好みの問題である。がマッサンの心髄がこもっているように思える。3日、4日間で飲んでしまうなんて、そんなウィスキーはヤバイと思う。
 ウィスキーは命を縮める飲み物だと思うので、(と思うと裕次郎とか美空ひばりを思い浮かべる)、用心、用心と思いながらも、ついついもう一杯と飲んでしまっている。かつてどんなスコッチを飲んでも、そうなることはなかった。それで驚いたのだ。
 γGTPが高めになっており、医者からアルコールと食事の量を減らすよう、言われた矢先のスーパーニッカ発見であった。
 この頃のウィスキー人気で、原酒がなくなる事態が各社続いており、新製造会社もいくつか誕生している。イノベーションが苦手な日本で、なぜウィスキーが世界一位をとり、世界でニンキガあるのだろう。サントリーとニッカがよほどに優れた企業なのだろうか。
 

体験

2018年12月01日 | 日記
 実験というのも体験の積み重ねで、頭も中で描いたとおりにはいかないものだと改めて思う。
 ぼくは1週間前、薬局で硫酸第2鉄500gを2瓶買った。たまたま在庫があってラッキーだった。一週間経って再度注文した。づると夕方電話がかかってきて、前に売ったのは古いものでして、新しいのは「硫酸鉄Ⅲ n水和物」というのですが、それでいいのでしょうか、という確認の電話であった。ぼくは、ああ、それでいいんですよ、と即答した。
この一週間で硫酸第2鉄について、ネットでなんども検索し、別名も知っていたから即答できたのである。しらなかったらあわてて、慎重に名称を聞き取り、メモの残して、一度電話を切り、ネットで検索確認し、再度こちらから電話をするという手間が必要だったと思う。
 幾つかの化学薬品を検索じて機能など調べたことが役立ったので、ちょっと嬉しかった。

 溶液をアルカリ性にしてしまうと中性脂肪、やや酸性にするのが難しく、下手にすると大変なことになるからね、薬局の先生に助言され、だったらまた初めからやってみようと思ったのだった。
 また作りなおすには前の体験が役に立つ。今度は段取りをちゃんとしておき、溶解もきちんとみと見届ける。計量も0.01までの厳しさでやるつもりだ。
 
 混和剤で保水性ソフトコンクリートを作って、その上に砂と乾燥苔と混和剤で多孔質な人工土を作る。6つのパターンを作り、毎日水やりをした培養土で育つものがこの保水層と人工土で水をやらずに育てばほぼ同じ環境がつくれるのではないか、と仮定するのである。

 しこしことやっていると楽しく、ワクワクもする。なぜうまくいかないか考えもする。

 さて、今日は東京から孫と息子の嫁さんがくる。明日、白浜のワンダーランドへいくのだそう だ。パンダの赤ちゃんがいるのだとか。へえ、それで和歌山の白浜までかあ。
 殼つき牡蛎でも買ってもてなすとするか。
 

  

二日酔い

2018年11月21日 | 日記
 もう、若い頃教えた生徒は50代である。昨晩、生徒でもあり、社員でもあったK子が相談があるとやってきて、手にはワインボトルがある。あれ? これは長丁場になりそうである。ぼくはウィスキーを飲み、彼女と細君はワイン。ほとんどを彼女が飲んでしまい、のみ終えると、ウィスキーをください、ロックで、と言い、鯨のごとくのみ始めた。
 彼女は大きな声でいっぱい語った。過去のことから現在のことまで。ときどき相槌を打っていると12順を過ぎ、1時を過ぎ、2時を過ぎた。3時になりかかった。いろいろと溜まっていることがあって、吹き出したかのようだ。 最後は支離滅裂になってきて終わった。
 登記簿を読み込むというのが相談だったので、その役目は果たしたが、もうこのくらいにしようや、と言えなかったもが翌日の二日酔いに表れた。
 3時まで飲んでいたとは。寿命が1年くらい縮むのではないか。ただでさえ、γGTPは高く、カロリーが多めなので、その余分なのが中性脂肪やコレストロールになっているというのに。

 やれやれ。今日は仕事にならず。事務所にいくのは取り止め。
 ビニールコップ実験(実験1)では、ひとつは保水層と人工土にサボテン。もうひとつはネギ。
サボテンは生きつづけ、水無しで2ヶ月と20日。サボテンの脇から何か芽が出始めた。
 もうひとつコップではネギの芽が出ている。おお、これはこれは。クレストも元気である。まだ腐ることも、枯れることない。フリージャの球根からはまだ芽が出ていない。
 

  


移ろい

2018年11月16日 | 日記
 朝起きて、朝ごはんを食べ終えて、さてと、「大根菜」を見にいくか、と立ち上がったら、テーブルの上に財布がない。はて、車の中に置き忘れたのか、と外に出て車の中をチェックする。ない。再び、居間やら階段やら、玄関外の金魚周りやらを丹念に調べる。昨日の最後の買い物は? 確かイオンだった。サービスカウンターに行ってみるか、と車のドアを開けると、右側前方に自転車が見えた。もしかして、前の籠に? と思い、近寄ってみると、財布はあった。一晩を過ごしたのか。ホッとした。財布にはいろいろと大事なものが入っている。キャッシュカードやらワオンカードやら、死んだら面倒臭そうな物ばかりだ。そう言えば、相撲を見ている最中に急に思い出したことがあって、セイムスに自転車で走ったのだった。
 気を取り直し、まず、ミヤケにいくと、棚に柿やらミカンやらが並べられていない。手伝いのおねえさんがいたので、今日は休みなん、と訊くと、やっとんやんな、と答えたので、蓮台寺柿と大根奈はないかと訊いた。大根菜はくたびれていて、葉もちらほら黄色い。安うしとくさか、黄色い葉っぱは取ったって・・・。オジサンまだ入院しとん? 店先にいるのを見てから二ヶ月ほど見ていないような気がする。おじちゃん死んだんさ。いつう? 月曜日。あらまあ、なんで? 癌やったんさ。通夜は今日で、明後日が葬式。いよいよ来たか。なんとしてもこの店は続けてもらわないと困る。金魚、メダカ話もできなくなるかあ。

 また気を取り直して、家に戻り、大根菜を洗い、外に干した。
 主婦の店にひの菜がないか見て来ようと思い、国道42号線沿いの主婦の店に行った。このての地のもの野菜はイオンにはない。ひの菜はなかったが、大根菜の新しいのがあった。二週間前に買ったときはしっぽの大根は小指程度だったのに、今日のは親指2本くらいの太さだった。あれが二週間でこんなに大きくなったのだろうか、と感心してしまった。2束買った。冷蔵庫に入れて置こう。

 居間の床がボコボコしてきたので、ひとつ自分で床張りをやってみようかと思案している。コメリにいけば材料は揃っている。
 コメリをウロウロして決断しようか。家も年をとる。
 昼、ハオハオ飯店でチャーシューメンを食べよう、と行くと先に知り合いのUさんがいた。ぼくより2つほど年上であるが、ファッションが若い。太る体質でもないらしい。主の野菜一杯の辛い味噌ラーメンにプラス餃子をとっていた。近況を伝えあって、静かに食べてお先に失礼した。先輩にはあまり話すことがない。
 家に再び戻り「まんぷく」を見て、コメリに向かった。

 コメリに向かう途中で海岸道路から突堤を見ると内山さんらしき男性が釣りをしている。車を止めて、見に行った。スズキを狙っているのだと言う。しばし話す。ここに鉄蟹がおってな、こんなんさ、とサイズを手で示し、これは旨いしな、と言った。鉄蟹などという名前を初めて聞くので、驚いた。それから指を差して、あそこで、60センチくらいのヒラメ釣ったどな、と言う。本ゴチはやっぱ小ちゃいキスが餌によいな、ヒラメはアジで釣ったけどな。我々は贅沢な、良いとこに住んどるな、と言って互いに笑った。内山さんはご近所さんである。彼の義母さんからよくなにかといただく。昔はこっちの川も汚かったけど、きれいになったな。ボラですごかったけどな。川に目をやるとモズク蟹が歩いているのが目に入る。今日は少々風がきつい。風きついで、風邪ひくない、といって失礼し、再びコメリに向かって床板を買った。ついでに、バラス20キロ袋を2つ。庭の水溜まりを補修するつもりだ。

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 現在砂漠を農耕可能な大地にするための実験準備をしております、なにせ素人です。
やっていることに大きなミスや知識の無さがあるかもしれません。実験で植える植物であるとか環境作りであるとか、いろいろあるのでしょう。まずは保水力を確認し、保水層の水だけでどれほど成長できるか、保水層のセルコンまで根が張ってくるものか、みたいと思っています。
来年には中国の黄土高原で実験と思っています。
この混和剤は透水性のコンクリートができます。興味あるかたにはお分けします。
実験準備動画はこちら

いきまいた

2018年11月15日 | 日記
 朝、電話が鳴り、母からだったので、また何事かと思ったら、いつも使っている洗濯物を干す道具がない、という。盗まれたんやろ、という。そんなもの盗む人らあおろかよ、というと、ないんやで盗まれたしかないやり、と口答えする。とりあえず、ロープにでも干しとけば、あとでいくさか、と言って電話を切った。吊し型で四角い物で、洗濯バサミがいくつもついている。どうしてなくなるのだろう。
 しばらくして家にいくと、母の言う通り、それがない。表庭にも裏庭にも横の細道にも落ちてない。久しぶりに裏庭をみたが、砂利を敷いているにもかかわらず、要らぬ雑草が大きく育っているところがある。はて、と、念のため、母の居間の新聞やカセットテープなどを収納する押し入れを開けてみた。すると青い洗濯物干しがあった。
 あれ、わたしがいれたんやろか。あんたの他に誰が入れるんじゃい、一件落着。おとといは薬を飲み忘れていたが昨夜は飲んだようだった。
 この頃は糠漬けを作っているので、主婦の店に行き、大根菜を買おうと思ったが残念ながら今日はない、ということだった。それで家に戻り、白菜を干すことにした。白菜の
糠漬けだ。
 あまりに天気が良いので、昼から一時間ほどガシ(カサゴ)釣りに行った。四匹釣ったので上々と思ったがサンバソウの大きいのがかったが逃がした。空が青いと海も青い。寒くなく、陽があたり、風もそよぐ。堤防にいるだけでセロトニンで一杯のように元気になる。

 昨晩はもう少しのところで、殴り合いの喧嘩になるところだった。
 イチャモンをつけてきた男に頭がプッツンした。殴るつもりはなかったが、罵倒した。
 他の人が歌っているときに、話をするな、と言ったのである。「ここはカラオケ喫茶か、わりゃあ」となったのだ。次から次と歌を誰かが歌とったら、ずっと黙っとらなあかんのか、わりゃあ、と息巻いてしまって、マスターに悪いことをした。男の謝り方も気にいらず、ますます罵倒した。
 そんなこともすっかり忘れていた。それほどの酔いつぶれ天気だったことよ。

砂漠緑化のための小さな実験準備

2018年11月14日 | 日記
 突然ですが、今日は動画をご覧ください。

 透水性のコンクリートと保水性のソフトコンクリートを作る「混和剤」を作りました。透水性コンクリートは強度、耐久性も優れています。これがあれば水溜まりのできない駐車場や広場、池や護岸などでの水量調整などに使えます。

 一方保水性のものは日本では使う場面がありません。
 中国には日本列島の面積よりも3倍ほどある砂漠があります。三国志の時代には豊かな魏の国も今は砂漠化しています。羊、山羊の放牧で草も根っこから食べられ。手入れをしない過剰な農耕で土は傷み、砂漠化していったのでしょう。今や北京にまで砂漠化は到達しようとしています。日本からも多くの団体がボランティアなどで緑化活動に出かけているようです。成功例もあれば失敗例もあり、大手企業のEllion は砂漠の中に町も作りました。なんとか水を手当できたのでしょう。Ellion のスタッフも広大な砂漠の緑化に日々格闘していますが、どこまでも砂漠は続いています。飛行機で種や苗を落してもなかなか植物は根づきません。


 ぼくは緑化に関して全くの素人です。全くの素人の最初の発想で、まず小さな透明のビニールコップの底に穴を3ケ所あけ、底に砂をしきます。次にセメントと乾燥水苔を混和剤で混ぜます。時間が経つとこの部分が保水性のソフトコンクリートとなります(以下セルコンと呼びます)。最後に。砂と水苔を混和剤で混ぜて人工土(セルベトンと呼びます)を作り、セルコンの層の上に入れます。第1回目はコップの中にサボテンを植え、最初の9月1日に水をやってから一度も水やりをしていませんが、今のところ腐るとか枯れるということなくまだ生きているようです。
 第2回目は大きな鉢を用意し、杉に似た植物、クレスト30cmのものを植えてみました。もうひとつはフリージャの球根を植えてみました。一ケ月後、どうなっているか見るつもりです。
 混和剤には炭酸カリウムや硫酸第2鉄などや、地球上のあらゆるミネラルが入っています。これ実験の様子です。⇒実験動画紹介


 なにせまだアバウトにやっております。今のところ植物が根付くかどうかを確かめたいところです。中国の内モンゴルと日本とでは湿度、雨量、日光、温度などの気候環境も違います。第一に砂がシルト状のミクロン単位の粒です。本来はその砂を手に入れてやりたいものですが、それは中国で実験しようと決めれるほどの確信がないとできません。
 とりあえず、ぼくとしては 保水層を作ることの有効性を知りたいわけです。そうすれば砂防提建設へと進むことができ、農地開墾もできるわけです。道路は簡易道路がこの混和剤とセメントでできます。中国では一坪ほどの土地を提供してもらって、とかってに妄想しています。

 この動画を見て、ダメだよこれは、と決定的なぼくのミスなり、無知がありましたら、ご教示ください。

 混和剤のphは7で、中性です。セルベトンには有機化成肥料を混ぜました。

 鉢の中は三層(砂+セルコン保水帯+セルベトン人工土)です。水をやらずに日向に置いておきます。夜は屋内に移動します。これで根の張り方はどうなるか、が興味のあるところです。
 砂漠があるのは中国だけではありません。中東、インド、アフリカ、オーストラリア、そしてアメリカです。問題は水だと思います。
たとえば、ビニールハウスの内側を太陽光発電で暖めれば室外との気温差で水ができるはずです。
 そんなことも思いながら、とりあえず、保水層が必要ではないか、と思うのです。
 

九州場所の女 2018

2018年11月11日 | 日記
相撲界への失望と稀勢の里への心配と栃ノ心への期待で九州場所の太鼓が鳴った。
 何年か前に書いた「九州場所の女」にアクセスする人が多く、今日の九州場所初日はまた多くなった。この初日の田島さん、横から撮った画面で力士が蹲踞しているところ、その後ろの砂かぶり左側にちょこんと座っている。テレビジョン画面では左上にいる。はっきりした色合いの着物ではなく、若さと老いの中間のような、派手でもなく、地味すぎるでもない、いわば風雅な茶系の線で模様がつくられた着物を着ていた。各相撲の取り口をしっかり目で追っている。感情は表さない。隣の人と話すこともない。一、二度、知り合いの男性ときているのかと見えたこともあったが、今日は一人観戦のように見えた。
 九州場所には定番の女性は何人かいるが、やはりこの女性、田島さんが目立つ。目立つ場所にいるのだ。そして身動きせずに背筋を伸ばして座っているのだ。よく毎日このような特等席のチケットが取れるものだと想像力を逞しくする。
 お祖父さんの代からの人脈? 客による人脈? 今夜は田島のママさんのスナックも盛り上がっているのか、彼女は相撲観戦を終えて、何時になると店に現れるのだろうか、おばあちゃんになっても来るのかな、どのお相撲さんを贔屓しているのだろう、といろいろと妄想が湧いてくる。
 これだけ画面に出て来ると相撲界でもタニマチでも話題になることだろう。タニマチとはなんだか地方の中小企業の創業者で相撲が大好き、というイメージがある。ぼくの知り合いの男は清国応援団で、化粧廻しまでもっていた。「これ、もらったんですか ?」と不思議がると、「買い上げるんや、いや買わせていただくんや」と得意そは最前列うに言っていた。趣味なのだろう。そして「贔屓」なのだろう。餌をやって鯉が育つのを待つ心情に似ているのではないか、あるいは、一人前の芸者になるまで育てる旦那様ではないか、と思ったりする。
 この田島さんの客の相手がタニマチの旦那衆であればたいへんなことだろう、などと妄想は尽きなく、土俵の仕切り時間も短くなってしまうものだ。

 ぼくはいつかこの女性が経営するバーに行ってみたいと思っているが、今のところ、その勢いが自分にない。
 大相撲の女性着物デイもこの田島さんからの影響ではなかろうか。ほぼ着物そしてあっと小声をだしてしまいそうになる洋装。

 さて、栃ノ心が玉鷲に完敗。稀勢の里も貴景勝に案の定の負け。
 今場所の朝乃山に光るところを見たし、豪栄道がいいのではないかと思ったのだった。