25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

イヤな事は続いて起こる

2018年12月31日 | 日記
 息子が久しぶりに車を運転をしてバンパー及び周辺を擦り、歪めてしまった。前の左ドアが開かなくなった。人身事故ではなかったからよかったものの、この修理にお金がかかる。前のバンパーと横の部分がひとつ。約10万円かかると、板金屋さんは言う。
 だいたいこういうことが起きると、次々によくないことが起きるから、注意しようよと皆に声を掛けたのだった。夕食は母親も連れて中華料理店へ。無事に母が転倒することもなく済み、腹一杯食べて飲んだのだった。
 それから「Wind River」という重たい映画を見て、さて風呂となったところ、お湯が出ない。台所の湯はでるのに、風呂の湯は出ないのが不思議だ。給湯器はひとつである。この夜風呂は全員やめ。
 翌日、31日に、申し訳なく思ったがプロパン事業というのは生活を支える基本的な仕事だから、大晦日、正月でも緊急体制はとっているだろうと思い、電話をかけた。いつも通りのように明るい返事で、すぐ見に行きます、と言ってくれた。十分もしないままに、係りの男性がやってきた。いろいろと点検したあとの結論は「給湯器の耐用年数は10年ですが、これは15年経っています。台所までなら熱い湯も届くのですが、風呂場までとなると
途中で冷えてしまうんです。つまり給湯器の力が足りんのです」
というわけで給湯器を取り替えることになった。8万円。立て続けにおこるじゃないか、今度は何だろう。息子らは熊野古道の二木島から曽根の「次郎坂太郎坂」をハイキングしている。今日はよい天気だ。滑って転んで、頭などを打つんじゃないか、と心配する。新しい給湯器に替えたものの、風呂の湯は熱くならない。業者は困り果てた。「水道屋さんにきてもらうしかないですね」
「・・・・? それは裏のコンクリート地面を壊してってこと?」「ぼくは水道のことはわからんもんで・・・」
 「えええええ、水道管の工事。何々、湯がでる水道管と水がでる水道管が交わるわけ?」 と言ったら、そのおにいさん、パッと閃いたらしく「洗濯機は?」という。洗濯機の上に湯の蛇口と水の蛇口が開いていた。それの赤い湯の方を締めると、風呂の湯の勢いがこれまでのようになり、熱い湯が出てきた。「両方開いてたもんだから、水が混流したんだわ」と名古屋弁が出てきて嬉しそうに言う。「給湯器前のに替える?」「まあ、ええよ。耐用年数来とるんやり。この際替えておくわ。また15年か」。しゃあないなあ。まあとにかく今日は風呂に入れる。それにしても洗濯機の水道栓を開けておくなんてことはこれまでもあったことじゃないのか。詮が開いていた日に限ってたまたま風呂に入らなかったのだろうか。
 息子らを迎えに行った細君に聞いてみる必要がある。無事に帰ってくるだろうか。家に隠っていてもこんなことが起こるのだから、年末年始は危ない。明日は尾鷲神社で大祓いだ。あの巨大な太鼓修理は終えたのだろうか。去年牛を手に入れたと言っていた。太鼓の皮は大きな牛らしい。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿