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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

汁物

2018年11月09日 | 日記
 快調に糠床が出来上がり、大根菜やら胡瓜やらと毎日漬け込んでいる。ビタミンは熱に弱いから、生野菜で食べると、今度は体温が下がるから、賢き日本人は野菜は煮込んで植物繊維をとり、漬物でビタミンや酵素をとったのだろう。というわけで、尾鷲の店から糠漬けが消えて、残念がっていたが、家で好きなだけ作れるようになって大満足している。

 食べるものとは違うが、この頃、「旨い汁」に快感のため息がでる。ひとつは美味館の五目ラーメンの汁で、レンゲで一口飲んだとき、「ああ、うま!」となる。これは店に行けばいつでも叶えられるものであるが、次のに、嬉しため息がでたのは「土瓶蒸し」の汁であった。尾鷲で土瓶蒸しを出している店が浮かばないので、うちで作ってみた。一回目は納得いかず、二度目は醤油を薄口に代えてやってみた。すると大満足なものができて、「う~ん、うまい」といいながら大満足したのだった。
 次は「はまぐり汁」である。スーパーで蛤を見つけ、これはよい、と買った。これも旨かった。桑名の蛤ならもっとうまいのだろうか。

 アワビのような硬い物が食べづらくなってきたので、ぼくの嗜好は柔らかい物の素材や汁の方向に向かっているのだろうか。

 恒例のハゼ釣りはして、そろそろカサゴ釣りに行こうと思っている。このカサゴもスーパーで売っているのは深海のものでカサゴは浅いところにいるこげ茶色いのが美味しい。カサゴの煮付けなどこの頃は尾鷲でも食えない。冬が来る前に一度と思っている。本当は今日行こうと思っていたのだが、「朝まで生テレビ」を見ていて、まっ今度にするか、という調子である。
 昨日の「昭和元禄 落語心中」もよかったですね。

 
 

突堤で

2018年11月01日 | 日記
昨日午後三時を過ぎてから前の浜の突堤にハゼを釣りに行った。近所の知り合いの男性Mさんがいて、ぼくと反対側で竿を出している。
「何、狙っとん?」
と訊くと、
「うなぎさ」
とぶっきらぼうな声が返ってきた。
「おや、うなぎやったらこっちやないん?」
僕は突堤を軸にして川側に竿を出している。昔、そこの橋の上からこの川でうなぎを釣ったことがある。この前も名古屋の男性が潜ってみたらうなぎがおるよ、と言っていた。
「こっちなんさ、それは昔の話やで」
「へえ、だいぶ釣ったかな?」
「おれで今年は十匹やな。専門の爺さんはすごかったけどな、死んでしもてな」
「跡継ぎってわけやな。ここのうなぎは旨いかな?」
「旨いで」
「脂もあるかな」
「ああ、養殖のよりはうまいと思うな」

 この前多気の寿司屋の大将が鰻は養殖のが一番ですわ、と言っていた。あれは養殖物の脂ののりやサイズが一定しているから寿司屋には便利なのだということなのか、それとも味か。「今日は知り合いが釣ってきた鰻があるんで、ちょいと食ってみませんか」くらいの粋さがあればよいのになあ、とまで想像は進んでしまう。

 ぼくは大型のハゼのみをバケツに入れ、小さいのはリリースした。そのうちMさんの息子がやってきた。この息子は小さい頃からうちに庭でよく虫取りをしていて、あっと言う間に中学生となって、この頃はサッカーボールを操っている。
 ぼくの方の側で何やら釣っている。
「何釣っとるんや」
「ハゼです」
「ハゼらあ、目で探しとったら時間かかるで。どこでも放り込んで、アタリを待てばええんや」
 りっぱなリールがついた竿で釣っている。バケツを見るとすでに6匹ほど釣っていた。
「今日は天婦羅でもするんか」
すっかりそう思っていて訊くと、
「スズキさ。きんのう、このくらいのスズキが二匹な、そこで泳いどったんさ。生きたハゼでな」
 そのスズキのサイズはその子の手で表した幅では六、七十センチくらいありそうである。
「へえ、そうなんか」
 感心しながらまた自分のハゼ釣りをしていると今度は中学生らしき男の子が来た。
「ハゼ釣るん?」
と訊くと、
「モズク蟹」と不愛想に答える。
 モズク蟹と上海蟹はほぼ同じ蟹である。ハゼを姿を見ているときに今日は二匹見た。蟹籠を置いておけば相当獲れるのだろうと思う。
 ぼくは大型を十一匹釣ったので帰ることにした。Mさんも帰り、その息子はこれからスズキを狙うらしい。

 翌日はぼくがハゼを背開きにして、他の素材は買い揃え、天つゆ、と塩、とカレー粉を用意して、天婦羅で食べた。ハゼ、コチ、キスのどれが旨いか、やっぱりぼくはハゼ、コチ、キスの順となる。

 「広報おわせ」が配達されてきた。人口欄を見る。9月のひと月で22人の減少。4月から毎月20人から30人ほど減っている。止まることはない。ついに住民票では18000人を割った。実数はもっと少ないのだろう。
 病院や介護施設を担う人が少なくなる。店を続ける人が減る。酒場が減る。尾鷲北と尾鷲南をつなぐ高速が来年開通する。尾鷲北より北で尾鷲北から南の間の国道にはいろいろな店も多いよ、というPRが必要だろう。そのためにはイオンから三紀までのゾーンに名前を付けないと呼び名に困ることだろう。イメージ戦略として。ちっともそういう声は上がってこない。ぼくが知らないだけなのか。

 仮に尾鷲の人口がこのまま減り続けたとして、一万人を割る時期はそう遠くない。さて、ぼくは何歳になっているのだろう。そしてそのとき、交通や病院や介護施設はどうなっているのだろう。特に心配なのは免許返上である。タクシー相乗り、白タク認可も話にのぼってこない。

******
 相変わらず橋下徹は口がよくまわる。彼は「国民が知りたいことをとってくるのがジャーナリストだ」と朝のモーニングショーで言っていた。そして安田純平さんはそれをやらなかった。だから英雄視しなくてよい。普通に帰ってきて、みなさんにご心配かけすみませんでしたと言い、政府にも感謝の意を表せばよいのではないかという風なことを言っていた。ジャーナリストに敬意を表しすぎだとも玉川徹さんに言っていた。橋本徹はいつも、最初に共通す事項、例えば、ジャーナリストはどこへ行って、取材しても、権力を批判してもいいですし、守られるべきですよ。そこはいいんです、となって、いつもの方法で「ただ・・・」から口が滑らかになってくる。その中に「国民が知りたいことをとってくるのがジャーナリストですよ」と言葉も挿入されてくる。おやっと思う。国民が知りたいこと? 国民が知らないことを取材してくるのがジャーナリスではないか。国民が知りたいことを取ってくるのだったら、芸能人の色恋沙汰や政治家の闇くらいのものではないか。安田さんは今回は失敗に終わったけど、ぼくは玉川徹が言うことのほうに与する。橋本徹は「英雄視してもいいんじゃないか」という玉川徹の発言の文脈を無視して揚げ足取りをしている。玉川徹は「自己責任だと言ってネットでバッシングがひどいので、ジャーナリストの使命がときに戦争地域や誘拐など危ない場所にもでかけ人々の生活や町の実情を報道する人がいなくなればよいのか、と言いたかったのだ。ぼくは橋下徹に対しては「太陽の党」と組んだときに終わったな、と思った。決定的に判断力のなさである。  


  

大根菜の糠漬け

2018年10月29日 | 日記
  三宅商店の店先に「大根菜」幾束かあった。大根菜の糠漬けは去年まではスーパーでも売っていたのだが、作り主が亡くなったらしく、胡瓜の糠漬けがでるくらいで、大根菜は食べられなくなった。そういう事情で「大根菜が食べたい」と思ってもないのであるから、よし、糠漬け用品一式を買い、やってみようと思った。糠、唐辛子などは三宅に揃っていたので、あとは容器だけである。
 そこに昔主婦の店の専務をしていたMさんがいた。彼が丁寧に作り方を教えてくれた。半日、大根菜を日に当てて、しんなりしてからやで。ぬか床はまだ日が経ってないでに、2、3回は塩っぽいどな。だんだんと糠っぽい味になってくるで。昆布も放り込んどくとええなあ。味の素でもよいどな、という「具合である。すっかりその気になって、ようやく自分で漬物がつくれるわい、とワクワクと事務所まで糠と蓮台寺柿を持って歩いたのだった。
 すると細君がケチをつける。イオンに行ったら容器も一緒になったセットがあるのに、と言う。彼女はぼくの渇望ぶりを知っているが、本人が糠漬けを好まないことからか、面倒臭いからなのか、作ったことがない。
 大根菜を売っているところもぼくは知らない。三宅で初めて見た。根のところに細く、小さな大根があるから、大根おろしをするときの大根とは種が違うのだろうか。

 まあ、やってみるかとイオンに行った。まず容器を買う前にそのセットを見ておこう、良さそうだったらそっちにしようと細君の言葉でやや本格的に自ら作るより、簡易なものがよい、とも思ったのだった。イオンの係の女性に訊くと、もうあの容器セットは売っていません、と言う。なぜか、と訊くと、売れなから、だと言う。糠漬けは商品としても置かないのだという。仕入れても発酵が進んでいって、どうにもならないのだ、と言う。そうか、コメリに行くかと駐車場まで歩いていたら、「お客さん、お客さん!」と声がした。振り返るとたさきほどの係の女性が何やら持って、走ってきた。
「これはどうやろ?。この袋の中にはもう今日からでも使える糠が入っとって、ここを切って、あとは空気が入らんようにここでストッパーするだけなんやけど。いっぱい作るん?
「いや自分だけ」
「これで胡瓜なら3本、ナスなら2本できるで、これでええんやない」
「へえ、どこに売っとるん?」
 彼女は案内してくれた。すると、糠が少なくなったら注ぎ足す用まである。あらま、これで上等だ。しかも冷蔵庫に入れておける。
 知らなかっただけで便利な世になっているのである。糠漬けがない、糠漬けがない、などと不平を言っていた自分は恥ずかしくなった。スーパーに通う主婦の人なら知っているはずだ。ぼくも毎日スーパーにいくのだが、そのコーナーを見たことがなく、ぼくの失敗であった。Ⅰ
 

酒の肴

2018年10月28日 | 日記
 ぼくは「やけ酒」「恨み酒」「愚痴酒」「悩み酒」をしない。よく映画でウィスキーをストレートでグイと飲む表情が実感できなかった。酒は美味しいから飲むものであり、その結果愉快になるのである。「悲しい酒」なんてものもない。「祝い酒」というのもないが、まあ、いわば淡々と気分良く酒を毎日飲んでいるのである。怒っても、イライラしてもしかたがない。酒を飲む前に忘れる。たぶんそうしているのだろうと思う。ちぇ、おもしろくねえや、とおもって盃を口にしたことはない。
 で、酒の肴を見つけるのが楽しみである。鬼エビがあれば必ず手に入れる。柳カレイも同様。サバはノルウェーのサバが脂があって美味しい。
 同じ明慶町の同じ通りで、徒歩30歩のところにある干物屋さんのAさんが朝の魚市場にいく途中で同じ魚業者の男が運転する車に跳ねられてこの4月から入院し、リハビリをしていた。ぼくはAさんの保険関係の手伝いをした。保険会社というにはぼくからすればずるいのである。なにも知識がなければ保険会社の言うがままになってしまう。「賠償」「慰謝料」の区別もおおかたの人は無縁に生きている。ましてや「逸夫利益」という言葉など人は知る機会もない。
Aさんはこの事故ショックと右膝の悪さで店を閉じ、廃業した。それではおさまらない親戚とご近所さん。冷蔵庫などは片付けてしまったが、この頃は時々、Aさんの家の前に、ショウワダイとかアジの開きやらが干してある。そこにはぼくの分もある。朝の市場にはいけないが知り合いがAさんらが食べる分くらいの魚を買ってくれるのだそうだ。また、その店の隣の家のMさんはAさんの事故の加害者の魚屋さんでアルバイトをしている。ここでは「からすみ」を作っている。この「からすみ」もまた旨く酒の肴としてのワン シーズンである。
 もう尾鷲では「はまぐり」は中国産のものでしか手に入らなくなった。アサリ、チャンポコは健在である。深海物も水揚げされるようになり、「メヒカリ」も目にするようになった。
 何を酒の肴にするか、などと考える。とても贅沢な時代のなかにいる。

ぶらぶら歩く

2018年10月24日 | 日記
シリアの内戦で人々は何を思い、どんな生活をしているのか。難民キャンプの様子はどうなのか。ヨーロッパを目指した難民たちはどのような状態なのか。古来から戦いを繰り返してきたこの地域を人はどう見ているのか。このような現実はジャーナリストが命をかけて取材に行かない限り、ぼくらのようなものには伝わってこない。
 ISに捕まったのは自業自得だと言う者の神経がわからない。安田純平さんのようなジャーナリストを政府が交渉して助けないでどうするのだ。危ないからシリアやイラクには近づかないというジャーナリストが多い中で、不幸にして捕まってしまった安田純平さんはどうやら帰国できそうである。これを嘲る輩がいて、その言説を許すような社会であったら、この国のレベルは低い。

 遠く離れた極東の日本列島の紀伊半島の沿岸にある尾鷲にいて、世界のニュースが朝の情報番組で飛び交う。

 この二、三日、床から起きるとき、疲れの芯のようなものが残っているのを感じて、もうひと眠りしようかと思ったがこれ以上眠れそうにないので、疲れの芯を残したまま起きた。そして上記のようなことを思った。

 七月、八月は暑く、九月は雨が多く、車で事務所に行っていたが、今日は歩くことにした。先に「セーラム」に行って、肝臓のためのドリンク剤を飲んだ。疲れの芯が気になったからである。別に疲れたことはしていないからきっとアルコールの疲れだと自己判断した。店の女の子が手に印のような書き物をしていて、「何、手に入れ墨しとるん?」と冷やかし、「忘れんような、メモっとるん」「いや入れ墨に見えるで」。忘れてはいけない重要なことなのだろう。喫茶店の角を曲がり、左に書店を見、中井町の通りに入る。蕎麦屋のあるところのほうに右に曲がって、また左に曲がる。当然、三宅青果店の前を通る。柿が並んでいる。メダカもいる。
 「これは(次郎柿を指して)硬いのが好きな人にはよいな」
 「ほやけど、熟してくるんやり」
 とやりとりしていると、隣のおじさんが、
 「これ(蓮台寺柿を指して)にはかなわんどな。これは旨い」
  三宅のオヤジが
 「ほれ、真っ赤に熟しとるやり、こうなるのも珍し。これが貴重なんや」
 と言って、蓮台寺柿を勧める。
 それを一皿五個買うことにして、メダカの話となり、
 「今年、メダカは7月の始め頃にちょっと卵産んで、あかちゃんメダカもすぐに死んでたんさ」
 とぼくが言ったら、
 「うちもそう。やっぱり暑すぎたんやで。金魚もそうやった。山城さんらあは氷を入れとったと言うでな。暑かったもん。人間でもくたばるのに、メダカや金魚もえらかったと思うわ」

 なんと呑気で平和な話をしていることか。難しい話題さえ避ければ、少々の商売の浮き沈みはあったとしても今日のようなのんびりした時代が五、六十年はこの界隈で続いているのだと思う。

 
 四月に車で跳ねられて膝を折ったAさんも回復したが干物店は廃業した。保険の手続きと交渉を手伝った。ときどき市場で自分たちが食べる分だけ作るというので、カレイとイワシについてはぼくの分を作ってほしいとお願いしてある。
 その隣のMさんには日頃、何かといただくので、細君が東京へいった折り、御菓子のひとつでもと買ってきて、持っていったら、逆に「ブリ」だの「ムツ」だのもらって恐縮した。
 






晴れ間

2018年10月22日 | 日記
 煙草を止めてから22日が経つ。今のところ禁断症状のようなものはない。テレビ番組などで美味しそうに吸っている場面とイライラしながら吸っている場面を見るが、なんとも思わなくなりつつある。体に悪いのでというより、お金がもったいないと強く思うようになった。やはり金は強い。
 今日は梅の木一本を剪定した。一時間ほどかかったが木の上の方はできず、横に伸びてくるものだけを切ったのだが、それでも相当な量の枝になった。梅にもトゲがあるので、下手すると、怪我をする。いかにも梅は自分を防御しているようである。あとの2本はまた今度にし、山桃やコブシはどうしたらいいものか、またシルバーセンターに頼もうかと逡巡する。

 目黒川の桜の葉が台風の風によって散ってしまい、葉からの抑制ホルモンをだせなくなったということで、幾つか花が咲いてしまった。異変、珍事としてニュース番組はどこも報じていた。
 前の海岸広場に植わっている列をつくった桜は運よく今年の台風で葉は落ちていなかった。

 しばらく天気が良さそうだ。実家の草刈り、剪定もしなければならないと思っていたら、昼のニュースで、台風26号が発生したと聞いた。またか。急いで枯れ草の処理をしないと。

 

 
 

尾鷲の魚

2018年10月12日 | 日記
全国の放送でだろうが、昨日は「豊洲、豊洲」でテレビ局が騒いだ。東京の一地方の食の台所を日本の台所と言い、ぼくらは関係ねえよ、と横向いていた。
 それよりも「鬼エビ」だの「チャンポコ」だの、「クモエビ」、二月の時期の「エタレイワシ」など豊洲に持っていかれたらたまらんで、と言っていたら「地元ですぐ消えていくわよ。量が少ないもん」と細君に宥められた。ということは希少価値があるものは豊洲では商売にならないということなのかな、と思い、「カレイの短冊」も豊洲にはないのかもしれない。

 例えば、「鬼エビ」を他所の業者が尾鷲の市場にやってきて卸し屋に頼んで買ってもらうとする。それが尾鷲では他所に行くとする。同じことが「チャンポコ」においても「エタレイワシ」や「クモエビ」についても起こるとする。すると尾鷲はずいぶんと味気のない地方の町になってしまう。ここは仲買業者に頑張ってもらわないとと思う。

 量が取れるブリやカツオ、マグロは尾鷲だけでさばけないから他所へ出て行くだろう。今やイオンのような大きなスーパーマーケットは一船買いしているから、北海道のサンマはドンドン尾鷲にも入ってくる。カツオも入ってくる。もちろんマグロも一船買いだろう。

 尾鷲でひとつの魚に的をしぼって、それが釣れれば、直接に店に送るという漁師を知っている。魚の名前は明かせないが、このやり方を広げると、漁師は直接に釣った魚を動画に撮って、全国の興味ある客に直接売ってしまう、またはセリにかけることもできることだろう。すでにそのような購入形態はあるのかもしれない。
 料理人泣かせの尾びれの近くにコブが点いた真鯛を仕入れてくる料理屋がある。以前、カウンター越しの店主に「数寄屋橋の次郎鮨は鯛は握らないらしいですよ。鯛は明石の鯛に負けるからって。それで白身はヒラメにしたって、言ってましたよ。なんでも明石の鯛はコブがついてるらしいです」
 と言うと、もう亡くなったその店主が、「オレとこの鯛は荒磯の鯛やで、明石の鯛より旨いで」と言って、「どうだい!」といわんばかりに尾びれの近くにあるコブを見せてくれた。このような真鯛もどうやら豊洲には行かないようだ。数寄屋橋次郎が明石の鯛が築地では手に入らないからねえ、と言っていたからだ。あるいは時に入るかもしれないが、不定期なのかもしれない。

 ぼくは白身の魚は薄造りにしてもらってポン酢と紅葉卸で食べるのが好きだ。わさびで食べることに抵抗がある。
 薄造りにして食べた経験と記憶の中で、ぼくなりの順位をつけてみた。
  1位 クエ
  2位 トラフグ
  3位 荒磯の真鯛(こぶ月)
  4位 シマアジ
  5位 メイチ鯛

 となる。そろそろ「土瓶蒸し」が出て来て、フグも出始める。メイチの季節は終わる。
 曽根ではアオリイカが釣れはじめた。
 
 
  


 

  

釣り

2018年10月09日 | 日記
曽根の貸別荘の前の海岸で、台風21号前の客はクエを釣った。ぼくは驚いた。また昨日帰った客はアオリイカ2ハイとなんと30cmシマアジと25cmグレを釣った。シマアジが釣れたということで、これまた驚いた。後片づけをしたあと、海岸まで様子を見にいくと奈良から来たという男性が一人浮き釣りをしている。グレを狙っているのだろうか。訊くと、「ヘダイなんですよ。女房が黒ダイは持ってくるな、ヘダイは旨いって、言うんですよ」
 その男性はコマセを網籠に入れながら餌を付ける動作をやりながら話を続ける。
「ぼくは魚があんまり好きなほうじゃないんですよ」
「好きでもないのに魚釣りは好きなんですか」
「まあね、趣味がなかったもんだから、女房が喜ぶものでも趣味にすればいいのかなって」
「へえー」
「今日は一人で来てのんびりですよ。女房が来たら、忙しいですよ。餌をつける、釣った魚から針をはずす。たいへんですよ」 と自嘲気味に笑って言う。
 すると浮子が沈み、魚を掛けた。小さなグレだった。
「エサ取りもしかたないですよ。去年来たとき、友達がそこでヒラメを釣りましてね。ここは魚種豊富でいいですね」

 釣場が広く、釣り公園っぽくなっている。熊野古道の「太郎坂次郎坂」の入り口付近なので、公衆トイレもある。ここでの釣りを愛好する人達が作ったのか、「釣り人諸氏へ  ゴミを捨てないように、釣禁止となる前に」と3本ばかり小さな看板を立てている。確かここは国の所有地で曽根町は町の活性化のために何かをしたのだが、国の許可がないとできない。雑草でぼうぼうとなるので、曽根の区会がボランティアで草刈りをしている。海岸にゴミなどを捨ててあるとマナーが悪いと国に苦情でも言い立てれば、立ち入り禁止となってしまうかもしれない。そうなるとせっかくの釣場で人々が楽しめなくなる。

 岸壁下は八月まではホンダワラなどの藻が茂っていた。それが台風21号から25号までの間ですっかり藻が消えてしまった。海の底も荒れたのだろう。アイナメやハタの子らが岸壁下の藻の中にたくさんいた。どこへ行ったのだろう。岸壁下に工夫された漁礁でも投入すればいいのに、と思う。

 逆に白石湖の牡蠣養殖を思い起こした。「台風で海の底がかきまわされんと牡蠣はあかんのさ」と不機嫌に言っていた。台風が来なかった去年、業者は嘆いていたのを思い出した。今年は嬉しいことだろう。

 これからはアオリイカのシーズンとなる。思わぬ魚が釣れる賀田湾である。
「真鯛でもくるかもしれませんね」
「女房は真鯛よりもヘダイが旨いっていうんですよ」
「・・・・・・」

 イガミを釣るみたいに太公望の釣りができないものかなあ。コマ釣りは忙しい。ルアーも忙しい。
 のんびり待つ釣りがいいなあ、と思いながらやはりそれだったらキスやマゴチ、ヒラメ狙いかと思うのだった。運よく真鯛が掛かってくれれば言うことはない。もちろんこれは妄想。

 

台風のあと

2018年10月01日 | 日記
 台風らしくなってきた夕方5時頃から9時頃までにぼくが知る限りでは沖縄県知事選挙のニュース速報テロップが出ることはなかった。翌日の朝の情報番組でも扱うことはなかった。朝日新聞はトップ面で大きく報じた。
 テレビは台風がすぎた様子と樋田逃走犯のことに時間を使っていた。沖縄に本当に今基地はいるのか。そもそも論に戻ってもよいのではないか。米軍はグアムでいいのではないか。またその方がリスクも小さいのではないかと思える。

 秋の番組改編では現政権はマスコミに「公平にと」と圧力をかけるから息苦しいことだろう。

 日馬富士が国技館で堂々と断髪式を行い、翌日には貴乃花の引退が了承された。普通見れば、加害者の側がと被害者の側でこんなに雲泥の差があるとは不思議な景色である。相撲協会は警察からの連絡があったとき、有無も言わさず、調査に乗り出すべきだった。あの時、二次会の席で本当になにがあったのか、校長や素人相撲監督という教育者もいたのだからこに暴力の場面は精査されるべきだった。場所が始まる前にだ。時間がなければ日馬富士を出すべきではなかったのだ。それにしても残念なことである。協会のモンゴル勢への弱腰が透けて見える。

 


貴乃花、相撲協会、日米貿易

2018年09月26日 | 日記
 これを機に貴乃花と協会理事長は話し合った方がよいと思う。中学生に相撲道場で育成に努めるという生き方もあると思うが、ぼくとしては協会に残ってもらいたいと願う。相撲協会はメチャクチャである思うがそれを変えるのも残ってこそできることだ。
 元々の発端は日馬富士とその場所にいた力士や校長や、高校相撲監督らにあり、日馬富士を初日に出場させたのだった。巡業部長である貴乃花から聞かされなかったというが、独自に素早く調べる時間は十分にあった。モンゴル人力士同士で秘密にし、貴ノ岩までも口をつぐむ事態だった。協会は大きな問題にしたくなかったようにぼくには見えた。
 やはり理事長と貴乃花が話し合うべきだろう。相撲界の大財産でもあり、大貢献した元横綱だ。

 今日のワイドショーはこのニュースばかりだ。
 アメリカではトランプ大統領、安倍首相の国連演説があり、日米首脳会談がある。貿易問題は日本にとっては重要な問題だ。自動車業界にとっても、畜産業にとっても深刻である。
 特に中国、ヨーロッパ、アメリカも車は EV車への流れになりつつある。全体も流れの中で、ガソリン車、ハイブリッド車の輸出が難しくなるかもしれず、EV車で出遅れているトヨタなどは時間稼ぎができなくなる。そんな事態は避けると思うが、その代わりに畜産業が犠牲になるのかも知れない。
 
 う~ん、いろいろと遠いところで起こるが、そんなこと一庶民に影響することであることよ。

白鵬に敬意表したい

2018年09月24日 | 日記
 相撲が終わり、大坂なおみの試合が終わり、今は柔道の世界選手権の最中である。卓球もバドミントンもオフシーズンがあるわけではなく、次から次へと試合を渡っていく。そんな中で自分の弱点を克服しなければならないし、競争相手からの研究は続く。

 白鵬について書きたい。
 なにかとイヤな感じとなった白鵬だった。日馬富士事件では止めるのが遅く、しばらくリンチを容認していたし、貴乃花の巡業を拒否する意見を言った。審判に異議の手を挙げることもあった。
 同時的に、舞の海が白鵬が弱くなってきらことを殊更のよう言うようになっていたし、取り口が横綱らしくないと舞の海が言い、だんだんと白鳳は悪役になっていくようであった。怪我も多くなった。休場もするようになった。まだ33歳である。ぼくに言わせればとっても若い。しかし白鵬は相撲の奥義を究めようとしている。批判される猫だましもやってみた。額にちょっと手をあてることもやってみた。多彩な出だしを試し、対戦相手の取り口研究もやった。
稽古は四股、摺り足、鉄炮を重視し、他の力士以上に準備運動に時間をかけた。
 圧倒的な運動神経と勘の良さがある。今場所はカチアゲを封印した。もう舞の海さえにも文句を
言わせなかった。横綱審議委員会にもだ。
 今場所は三賞もなかったほどだから相撲全体のレベルが下がったのか、と考えもしたが、白鵬と御嶽海の相撲で、棒立ちのようになったが、しっかりと相手に重心のいくらかを被せておいて、足位置を目で確かめ、そして御嶽海の左足をコツンと足で蹴って、御嶽海の意識を下に向かわせた。しの隙に動きながら左を差した。
 このような技をみると、相撲は面白いと思う。
 改めて白鵬完全な優勝とここまできた白鵬敬意を表したい。

天気が悪すぎる

2018年09月21日 | 日記
 今年の7月、8月、9月の天候を経験すると、暑すぎ、長雨で暮らしにくくなったと思う。来年も同じようなら日本はもう温帯地域を返上し亜熱帯の国だとせねばならない。
 この九月も異常である。鬱陶しい限りである。

 鬱陶しい九月にバドミントンの世界大会があり、日本の強さ、特に桃田の強さに感心した。すると今度は「大坂なおみ」がUSオープンで優勝した。胸がスカッとした出来事だった。
 卓球、バドミントンにテニスが加わってきて、楽しみが増えた。テレビは相変わらずプロ野球の全試合結果を編集してニュース番組の大半を使う。これにはうんざりする。
 トーレパンパシフィックオープンも放送は準決勝と決勝のみらしい。BSででもやってもらいたいものだ。こういうときの機動性と柔軟性はテレビ局にはないものか。

 天気予報によると十月の天気も悪そうである。孫娘の百合子が最後の保育園での運動会ということで、息子の嫁さんから見に来ないかと細君に誘いがあった。当日が雨だったら3日後になるるーらしい。
 日本列島を取り巻く環境は確実に変わっている。環境も世界の政治も。百年後、二百年後を見通せる思想がまだ出てきていない。資本主義社会の次の段階のことである。 

 
 

は へ を

2018年09月20日 | 日記
 百日紅の花が終わると、九月に咲くメインの花がないことに気がついた。ハイビスカスが長い間、今になっても咲いているので、気にもしなかったのだろう。九月に咲かせる樹木の花って何があるのだろう。
 長雨。九月は雨ばかりだ。体にカビが生えそうである。
 孫娘が根気よく獲った小魚はずいぶんと大きくなった。もう少し大きくなったら池に放そうと思っている。
 孫娘は 「は」「へ」「を」に手こずっているらしい。一学期は「引く」ということに手こずっていた。今度は国語かい、と笑ってしまう。
 「ぼくは」というときにどうして「は」を使うのかを理解するのも、させるのも難しいことだろう。しかしなんとなくぼくらはそれになじんでやり過ごしていく。
 思えば分数の割り算や掛け算も小学で習うのではなかったか。算数は人類が得た抽象的な計算である。
 さんぶんのいち わる よんぶんのさん にどういう意味があるのか。分数のわり算ができるようになるのも次へのステップとして通りすぎなければならないことなのだろう。
 孫娘は人類が学んできたことをこれから16年は学ばなければならないのだ。やれやれ、ご苦労なこったよ、と思う。自分はどうしていたのだろう。姉がやっていることを近くで見ていたに違いない。第二子は得であった。

本が積まれて待っている

2018年09月09日 | 日記
  一連の災害で多額の再建費用が必要になる。災害前に政府は102兆円を予定して予算建てしている。当然国債の発行もある。政府からの拠出金は税金か借金によるものである。そのお金は災害地の被害インフラや住宅改装などに使われる。必要なことなのだから、公正な価格競争でやってもらいたい。予算の一部を災害被害に向けることも考えなければならないだろう。
 安部首相はいかにも日本は景気がよく、税収が増え、株価は上がり、雇用率はよい、と自らの実績かのように言っているが、財政はパンク寸前で、日銀も暗中模索の状態である。政府の信用が落ちるか、日銀の信用が落ちるか、懸念の状態だ。

 それにしても災害が多すぎ、いつ自分も襲われるか知れないという不気味さがある中、また台風が生まれている。

 台風のせいなのか、曽根貸別荘で羽蟻が大量発生した。白蟻ではなく黒蟻が羽化したものだ。幾つかのガラスに群れをなしている。巣が見つからないので、蟻の巣コロリで対応するしかない。羽蟻は生殖のため、移動するための蟻である、とネットで知った。

 また今年全く見なかったゴキブリが昨日2匹、その前の日1匹出た。気温が下がったからなのか、ヤモリの活動が台風で弱まったのか。エアコンを取り付けるときにできるホース穴からくるようである。
 
 吸水性にすぐれているという苔をコメリで見つけ、ゼオライトとともに、購入した。そこにセメントと混和剤を入れて、保水性のある塊を作ってみる。またセメントと砂利と混和剤を混ぜて透水性の塊を作ってみる。その配合のしかたを試している。

 本は読みかけたまま置いてあったアマゾン奥地の川沿いに分散して住む「ピダハン」についてアメリカ人宣教師が住んだ記録を再び読んでいる。これで2回目である。
 ピダハンは文明社会と接触しているが、融合していない。独自の言語を持ち、文明社会とは異なる価値観をもつ。親戚を表す言葉は親と子、兄弟姉妹しかない。あとは同胞という言葉で括られる。いつも笑顔である。魚を獲るのを失敗しても、お腹が空いている時でも笑う。子供は大人と対等の存在である。子供を守るということもない。
 すでに読んだ本なのに、それをきちんと自分の中でうまく取り入れられていない。興味本位で読んでいるのではない。自分のこれからの思考や感性に取り入れたいとも思っているし、文明人が学ぶべきこともあろうかと思うからだ。神の観念もない。神様? 見せてみてよ、という。
 暴力を嫌う。
 読みたい本が積まれて待っている。

記憶が戻ってきた

2018年09月03日 | 日記
 記憶が徐々に甦ってきた。会った人が中国人夫妻で、前々日に話したことを夫であるCさんが確かめたくて、日本語がよできる奥さんに聞いてもらうために尾鷲に来たのだった。昭和55年に日本に来たというからまだ日本語に分かりにくいところがあるのだろう。だからぼくは名古屋でCさんと会った時と同じ話をしたのだった。そのこともあってか、尾鷲で話したことをひとつひとつ確実に覚えていないのだろう、という結論に至っている。それと寝ぼけていたこともあるだろうし、アルコールが入っていたこともあろう。

 昨日はネアンデルタール人の詳細について読んだ。絶滅した人類であるがぼくらの血液に5%ほどのネアンデルタール人の血が入っていると言われている。二十万年存続した人類である。ホモ・サピエンスは20万年存続できるだろうか。10人から20人の小さな集団は世界にバラバラにいて集団どうしのコミュニケーションはなかったようだ。最後のネアンデルタール人は何を思っていたのだろう。その間に氷河期が何回かあり、火山の爆発もあった。二十万年で技術が進歩したこともなかったらしい。わからないことだらけだが、もっと研究は進んでいくのだろう。旧約聖書から始まった読書の旅はいよいよクロマニョン人の登場となってきた。

 読みたい小説もるのだが、もっと先になりそうだ。アマゾン支流奥地に文明と接することなく暮らす人々の取材をした「ヤノマミ」の著者が「ノモレ」という本を出したので、それも早く読みたい。しかし体は一つしかなく、アルコールも飲んでしまう。なかなか進まない。
 明日には強烈そうな台風がくる。また金魚とメダカが心配で、早々と手当をしておいた。台風がくるたびに漁礁を流された台風19号を思い出す。しかしそれは何年だったか覚えていない。
 伊勢湾台風を幼心によく覚えている。保育園のナツメの木が倒れたのにはびっくりした。命が危ないなどとは思ってもいなかったから、桜町の通りに水が溢れ、興奮して泳ぎ、遊んでいた。思えば汚いものだ。親ものんびりしたものだった。