小室みえこのブログ

日々のくらしと市政をつなぐ

8/9に思うこと

2021-08-10 01:36:00 | 日記
小室みえこです。

長崎原爆投下から76年。



広島での原爆被爆者の方々の語り部の高齢化に伴う担い手の課題は、戦争体験者も含め年々深刻になってきているとともに、経験者でない後継者の課題とともにクローズアップされます。

私自身、身内から戦争について話を聞いた経験はありません。戦時中の話は田舎であっても食料不足の経験はあったようですが、、、、、


しかし、私自身が戦争の悲惨さを知りたいと思ったきっかけは、なんだったのだろうと?思い出そうとしても、これといったきっかけが明確あるわけではないのです。が、もしかしたら?

と思うことが。。。。
それは、高声生の頃。
高校では秋に文化企画として毎年大きなイベントが催されていた記憶があります。在学中、能の舞台を体育館で鑑賞しました。その時は野村万作さん。初めて見る能楽。また、国際的な少年合唱団のコンサート。とにかく天使の歌声と評される声。そして、早乙女勝元さんの講演会ー東京大空襲を書かれた作家。と、、、、これでいうと、早乙女勝元さんの影響か?とも思うのです。ご著書も読みました。そのあたりから?なのか。。。。高校生くらいから、戦争の体験談をお聞きする機会を持ってきていました。


さて、話を、語り部のことに戻します。
今でも印象に残っているのは、落合恵子さんの沖縄での戦争体験を何人もの方から聞かれた、その話をしてくださった時の話。防空壕に逃げ込まなくてはならない程の状況に置かれた時、当時乳飲児を抱えて防空壕に入った若い母親の経験。中は暗く蒸し暑く、何人もの住民がひしめき合っている中で、乳飲児が大きな声で泣き出してしまった。周りからは「うるさい」「黙らせろ」「見つかったらどうするんだ」その声に、なんとしても泣き止ませねばと必死で、乳飲児をあやすが、泣き止まずー。。。夢中で泣いている我が子の口を塞いで泣き声を漏らさないように必死になった。しばらくすると、鳴き声は止み、静かになったが、、、、息をしなくなっていたことに気付いたと。戦争下、我が子の命を母である私が奪ってしまった自責の念。このような痛ましい事実は、第三者の口から伝えられても、響くものであったことを覚えています。

さて、語り部は、悲惨な事実を伝え、伝承し、そこから感じ、学び、、、何を後世に残していくいきべきかを考える大事な役割。一人でも多くの方の継承が求められていると。

台風の影響で、強い風の1日でした。76年前、、そしてそれから続く多くの犠牲も含め改めて、一人一人が考える日となったのでしょうか。