2月6日、義妹と岡山に行った。
夫の祖父母と先祖のお墓参り。
夫と両親は東京のお墓に入っていて、岡山に行くこともなくなりそうなので、
一度お参りに行かなくてはと思っていた。
場所はだいたい覚えていたが、少し迷ってしまった。
義妹と「おかしいねー、確かこの辺だよねー」と言いながらウロウロ・・・。
やっとたどり着き、祖父母やご先祖様にいろいろ報告することができた。
その後、叔母(義父の妹)のところへ挨拶に行った。
叔母は87歳。
食事や病院がついているケアライフセンターに一人で住んでいる。
物忘れがあるようだが、まだまだしっかりしていた。
義妹と三人で笑いながら昔話。
ひとしきり笑った後、義妹は母親が亡くなったときのことを話した。
今から2年半ほど前、夫が病気になって半年ほどたっていた。
当時義妹は、要介護2になっていた母親の世話をしに、週3日ほど家を訪ねていた。
その日は、途中で入院中の父親のところに行ったという。
その間に母親はベランダで倒れた。
洗濯物を取り込もうとしたようだった。
「私が洗濯物を干していかなければ・・・もっと早く帰ってきていたら・・・
母は亡くならなかったかもしれない・・・」と声が震えた。
亡くなった直後から言っていたこと・・・。
私は、「そんなことはない。○○さんがいたからすぐに救急車を呼べたんだから」
と心からそう思って言ったことを覚えている。
しかし、まだ義妹の心の傷は癒えていなかった。
私も悲しくなって涙が出た。
私は夫のことを叔母にもきちんと話してお礼を言いたかった。
何度も話そうと思ったが、言葉が出なかった。
義妹も叔母も、夫のことは一言も話さなかった。
唯一、叔母が「今は一人で住んでいるの?」と私に尋ねた。
3人の中での暗黙の了解というか、私に対する気遣い、優しさが有難かった。
夜は義妹とホテル近くの炉端焼きで夕食。
ままかり、鰆、アナゴ、シャコと岡山の味を堪能した。
そして、ビールとちょっと日本酒を。。。
あー美味しかったー。
翌日は、義母の実家のお墓参り。
義妹とまたウロウロ。
ずっと気になっていたことができて良かった。
夫との思い出がたくさん残っていた。
何度も涙が出そうになったけれど。
懐かしく愛しい思い出。
また、いつか来よう。
帰り道、曇り時々雨だった天気が一瞬晴れた。
夫の祖父母と先祖のお墓参り。
夫と両親は東京のお墓に入っていて、岡山に行くこともなくなりそうなので、
一度お参りに行かなくてはと思っていた。
場所はだいたい覚えていたが、少し迷ってしまった。
義妹と「おかしいねー、確かこの辺だよねー」と言いながらウロウロ・・・。
やっとたどり着き、祖父母やご先祖様にいろいろ報告することができた。
その後、叔母(義父の妹)のところへ挨拶に行った。
叔母は87歳。
食事や病院がついているケアライフセンターに一人で住んでいる。
物忘れがあるようだが、まだまだしっかりしていた。
義妹と三人で笑いながら昔話。
ひとしきり笑った後、義妹は母親が亡くなったときのことを話した。
今から2年半ほど前、夫が病気になって半年ほどたっていた。
当時義妹は、要介護2になっていた母親の世話をしに、週3日ほど家を訪ねていた。
その日は、途中で入院中の父親のところに行ったという。
その間に母親はベランダで倒れた。
洗濯物を取り込もうとしたようだった。
「私が洗濯物を干していかなければ・・・もっと早く帰ってきていたら・・・
母は亡くならなかったかもしれない・・・」と声が震えた。
亡くなった直後から言っていたこと・・・。
私は、「そんなことはない。○○さんがいたからすぐに救急車を呼べたんだから」
と心からそう思って言ったことを覚えている。
しかし、まだ義妹の心の傷は癒えていなかった。
私も悲しくなって涙が出た。
私は夫のことを叔母にもきちんと話してお礼を言いたかった。
何度も話そうと思ったが、言葉が出なかった。
義妹も叔母も、夫のことは一言も話さなかった。
唯一、叔母が「今は一人で住んでいるの?」と私に尋ねた。
3人の中での暗黙の了解というか、私に対する気遣い、優しさが有難かった。
夜は義妹とホテル近くの炉端焼きで夕食。
ままかり、鰆、アナゴ、シャコと岡山の味を堪能した。
そして、ビールとちょっと日本酒を。。。
あー美味しかったー。
翌日は、義母の実家のお墓参り。
義妹とまたウロウロ。
ずっと気になっていたことができて良かった。
夫との思い出がたくさん残っていた。
何度も涙が出そうになったけれど。
懐かしく愛しい思い出。
また、いつか来よう。
帰り道、曇り時々雨だった天気が一瞬晴れた。
たくさんの乗り物に乗られたという先日の記事も
新幹線に乗っての遠出のお話も・・・
すごくがんばられたのですね・・・
私にも
そんなふうにがんばれる日が
きっと来ると信じて
春を待とうと思いました。
いつも
茶花さんのブログで励まされています。
ありがとうございます。
インフルエンザ大流行中とか・・・
お気をつけてお過ごしくださいね。
私もごんままさんのコメントに励まされます。
様々な辛いこと、悲しい気持ちは一生癒えることは無いと思っています。
また、それを背負って生きることで、夫とつながっていられるような気もします。
寝つきは以前よりは悪くなりましたが、食欲は変わらず・・・。
生まれつきの性格なのでしょうか、私はまだまだ自分に甘いのでしょうね。
ごんままさんは、きっと真面目で、ご自分にとても厳しいのですね。
ブログを読ませていただいて、いつも思います。
私は母と二人でいるので、夜はそれで助かっているような気がします。
いつか一人になったときのことを考えると気が滅入りますが、
いつの間にか、明日の楽しいことを考えていたりします。
どこまでお気楽なんだか(笑)
「自分に厳しく!」が、今年の目標なのにー!
ごんままさんも、お身体お大事にしてくださいね。
春がすぐそこまで来ていますから。
先月19日に 私の父が天国に出張してしまったのです。糖尿病を患っていたとはいえ、あまりに突然で ファザコンの私と 父が全てだった母は 涙の海で溺れそうになりました。
また去年と同じ手続き・・・
母は 私や弟(独身)孫の栄養係り担当
私は 事務手続き担当
と 位置付け、どうにかこうにか波にのまれず
溺れることなく 生活が始動し始めました。
実家からたまに 家に帰宅するのでPCから
離れがち・・
携帯から お二人のブログを拝読していたのですが、携帯の機嫌が悪くなり 修理に出すことになってしまい 携帯からも離れがち・・・
父が出張し、主人と義母の一周忌を済ませ、
書類や御返しに 無い知恵をしぼる毎日。
風邪も 気の毒がって近づきません。
お二人とも どうかお元気でお過ごし下さい!
しばらく若草物語さんのお声がなかったので、
だんだん心配になってきていました。
そんなに悲しいことがあったなんて・・・。
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
若草物語さんもお辛いと思いますが、
お母様を支えて差し上げてくださいね。
でも、くれぐれも無理はなさらないように。
まだまだ寒いのでお身体に気をつけてくださいね。
春の花たちが、土の中から若草物語さんを応援しています。