茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

新幹線に乗って

2012-02-08 22:38:35 | 日記
2月6日、義妹と岡山に行った。
夫の祖父母と先祖のお墓参り。
夫と両親は東京のお墓に入っていて、岡山に行くこともなくなりそうなので、
一度お参りに行かなくてはと思っていた。
場所はだいたい覚えていたが、少し迷ってしまった。
義妹と「おかしいねー、確かこの辺だよねー」と言いながらウロウロ・・・。
やっとたどり着き、祖父母やご先祖様にいろいろ報告することができた。

その後、叔母(義父の妹)のところへ挨拶に行った。
叔母は87歳。
食事や病院がついているケアライフセンターに一人で住んでいる。
物忘れがあるようだが、まだまだしっかりしていた。
義妹と三人で笑いながら昔話。

ひとしきり笑った後、義妹は母親が亡くなったときのことを話した。

今から2年半ほど前、夫が病気になって半年ほどたっていた。
当時義妹は、要介護2になっていた母親の世話をしに、週3日ほど家を訪ねていた。
その日は、途中で入院中の父親のところに行ったという。
その間に母親はベランダで倒れた。
洗濯物を取り込もうとしたようだった。

「私が洗濯物を干していかなければ・・・もっと早く帰ってきていたら・・・
母は亡くならなかったかもしれない・・・」と声が震えた。
亡くなった直後から言っていたこと・・・。
私は、「そんなことはない。○○さんがいたからすぐに救急車を呼べたんだから」
と心からそう思って言ったことを覚えている。
しかし、まだ義妹の心の傷は癒えていなかった。
私も悲しくなって涙が出た。

私は夫のことを叔母にもきちんと話してお礼を言いたかった。
何度も話そうと思ったが、言葉が出なかった。
義妹も叔母も、夫のことは一言も話さなかった。
唯一、叔母が「今は一人で住んでいるの?」と私に尋ねた。
3人の中での暗黙の了解というか、私に対する気遣い、優しさが有難かった。

夜は義妹とホテル近くの炉端焼きで夕食。
ままかり、鰆、アナゴ、シャコと岡山の味を堪能した。
そして、ビールとちょっと日本酒を。。。
あー美味しかったー。

翌日は、義母の実家のお墓参り。
義妹とまたウロウロ。

ずっと気になっていたことができて良かった。
夫との思い出がたくさん残っていた。
何度も涙が出そうになったけれど。
懐かしく愛しい思い出。
また、いつか来よう。

帰り道、曇り時々雨だった天気が一瞬晴れた。