「この地球上で、幸福の量と不幸の量は、いったいどちらが多いのだろう。2008年6月23日付天声人語」
これは、たまたま電車の中で見た朝日新聞の広告だ。
この記事の内容は世界の戦争や飢餓とその報道写真について,
また報道写真家の言葉などだった。
私は全く別の意味で、同じことを思っていたのでちょっとびっくりした。
私は今まで両親の離婚や、子供を授からなかったことなど、
不幸と言えばそうかもしれないが、自分自身はあまり不幸と感じていなかった。
幸福の量の方が勝っていたからなのか。
しかし、夫が病気になり、闘病の末に亡くなったことは、この上なく不幸なこと。
それに比べ私の周りは、みんな幸せそうだなと、うらやましく思っていた。
けれど、時とともに状況はいろいろ変わっていた。
親の介護、夫の病気、娘の病気、孫の障害、家の問題等々。
幸せそうに見えた友人達も何かしら悩みを抱えている。
しかし、そんな中でも幸せな時を皆持っているのだろう。
会うと、他愛も無い話で笑い、深刻な話でお互い眉間にシワをよせ、
そしてまた、他愛も無い話に戻る。
「幸福の量と不幸の量」
私は?と考える。
夫がいるときよりは、だいぶ減ってしまったけれど・・・幸福の量がゼロではない。
残された人生、少しでも幸福の量を増やしたいなぁ・・・増やせるかなぁ・・・。
そもそも自分で増やせるものでもないのかもしれないけれど・・・。
いつか夫に会ったとき、笑顔で「久しぶり!」と言えるようにがんばろう。
これは、たまたま電車の中で見た朝日新聞の広告だ。
この記事の内容は世界の戦争や飢餓とその報道写真について,
また報道写真家の言葉などだった。
私は全く別の意味で、同じことを思っていたのでちょっとびっくりした。
私は今まで両親の離婚や、子供を授からなかったことなど、
不幸と言えばそうかもしれないが、自分自身はあまり不幸と感じていなかった。
幸福の量の方が勝っていたからなのか。
しかし、夫が病気になり、闘病の末に亡くなったことは、この上なく不幸なこと。
それに比べ私の周りは、みんな幸せそうだなと、うらやましく思っていた。
けれど、時とともに状況はいろいろ変わっていた。
親の介護、夫の病気、娘の病気、孫の障害、家の問題等々。
幸せそうに見えた友人達も何かしら悩みを抱えている。
しかし、そんな中でも幸せな時を皆持っているのだろう。
会うと、他愛も無い話で笑い、深刻な話でお互い眉間にシワをよせ、
そしてまた、他愛も無い話に戻る。
「幸福の量と不幸の量」
私は?と考える。
夫がいるときよりは、だいぶ減ってしまったけれど・・・幸福の量がゼロではない。
残された人生、少しでも幸福の量を増やしたいなぁ・・・増やせるかなぁ・・・。
そもそも自分で増やせるものでもないのかもしれないけれど・・・。
いつか夫に会ったとき、笑顔で「久しぶり!」と言えるようにがんばろう。
私のブログにもコメントを寄せていただいてありがとうございました。
私の方は・・・というと、なんだかパソコンに向かうことがめっきり少なくなった、というか怠けている、というか・・・
茶花さんが仰ていること、私も母と話したことがあったなぁ~・・・と思い出しています。。。
でも本当にみなさん、いろいろあるんですよね。
幸せそうに見えたけれど、たくさん話していくと色々なことが見えてきて、で、自分だけではないんだなぁと。。。
最近、そう思うことが増えました。
私もこの境遇が不幸だとか悲しいとかそんな風に思わないで明るく前向きに行こうと思います。
茶花さんの考え方素敵ですね。
まだまだ、、、悲しい思いも抱えていらっしゃることと思うのですが、
でも茶花さんのブログはその中からも暖かさが伝わってきます。
ふんわり、ほんわか
朝夕はまだ寒い!!ですね。
茶花さんもお身体ご自愛くださいね。
花
ありがとうございます。
幸福の量のことを書いてから約1ヶ月過ぎました。
今も増えたり減ったりの繰り返しです。
でも自然に任せるしかありませんね。
そうだ!
私が幸せだと感じたときには、
花さんご家族に幸せパワーを密かに送ってみますね。
まだまだ弱々しいとは思いますが(笑)
それではまた!