ベンガルのうた・内山眞理子 

内山眞理子の「ベンガルのうた」にようこそ。ここはエクタラ(歌びとバウルの一弦楽器)のひびく庭。どうぞ遊びにきてください。

ヨーガと古都マイソール

2015-12-23 | Weblog

 

ヨーガと古都マイソール

 

 

マイソールは南インドの古都です。

いまは静かな、こぢんまりとした町の一つかもしれませんが、

「Mysore Palace」 とか「マイソール宮殿」で検索すると、

壮麗豪華な宮殿の画像を見ることができます。

 

最盛期をむかえた1784年の版図では、

南インドの三分の二以上がマイソール王国といったふうで、

王国がどんなに豊かで繁栄してきたかを想像できます。

わたしも昔マイソールに立ち寄ったことがありますが、

標高700メートルで気候にも恵まれた、美しい場所でした。

 

さて、その壮大な宮殿群のひとつにジャガンモハン宮殿があり、

20世紀初めの頃、ここは王族の人びとが暮らす宮殿だったようです。

いまはどうやら美術館として利用されているみたいです。

この瀟洒な宮殿も「Jaganmohan Palace Mysore」 で

ネット検索すると見ることができます。

 

で、このジャガンモハン宮殿、こここそが近代ヨーガ生誕の地なのです。

マイソールのマハラジャ(藩王)がなぜヨーガに関心をもち、

ヨーガの教育に熱心になったのかは、先日ご紹介したシングルトン著

「ヨガ・ボディ」にも述べられていますが、このマハラジャは、

年若い王子たちのための身体鍛錬としてヨーガを取り入れ、

その指導のためにクリシュナマチャルヤ

Tirumalai Krishnamacharya (1888-1989) を呼びました。

そこからすべてが始まったというわけですね。

 

 

 

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太陽礼拝はヨーガそれともボディービル?

2015-12-21 | Weblog

 

太陽礼拝はヨーガ

それともボディービル?

 

 

ヨーガでおなじみの太陽礼拝には、

いくつものヴァリエーションがあるようです。

もっともよく知られているのは、アシュタンガヨガの

太陽礼拝Aと太陽礼拝Bかもしれません。

両の手の平をあわせてアンジャリムドラー(合掌の印)を結び、

虚空高く上げると、それだけで内なるパワーが

静かに目ざめるような気がします。

 

もっとも基本的で、もっとも美しいシークエンスは、

やはり太陽礼拝ですね。

インドに古くから伝えられた、

その粋のような趣さえあります。

 

ところが、なんと、これは古い伝統のヨーガではないそうです。

このテクニックは、とある王様が考案したといいます。

インドはプネーの南西、アウンドという小さな国の王です。

この王様はヨーギーというより、ボディビルダーでした。

 

20世紀になって間もないころ、南インドのマイソールで

ヨーガの新潮流が始まりましたが、当時は、

ヨーガの実践とボディビルディングの実践が

新しい身体鍛錬の二つの柱だったというわけです。

マイソールにはこれら二つの道場があり、

しかも二つは数メートルしか離れていなくて、

互いに影響しあう環境だったようです。

 

 

 

 

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アシュタンガ・ヨガ

2015-12-12 | Weblog

 

アシュタンガ・ヨガ

 

 

 

アシュタンガ・ヨガって何なの?

と思われる方は多いと思います。

 

アーサナ(ポーズ)が流れるようにつづく、アシュタンガ・ヨガの美しさは、

この道の上級者や熟練者が、YouTubeで

紹介していますので、Ashtanga Yoga で検索してみてください。

 

こんな難しい苦行者ポーズは絶対に無理と思われるかもしれませんけれど・・・

けれども、そうでもないのです。

というより、ポーズの完成を目ざして、呼吸と集中を機能的につかって

工夫しながらプラクティスすることがヨーガの醍醐味。

ヨーガ愛好者のひとりとして、そのように思っています。

 

「アシュタンガ・ヨガ」について、わが指導者はこのように説明しています・・・

太陽礼拝に代表される、流れるような一連のアーサナ(ポーズ)を、

呼吸と調和させながら行う力強いヨーガです。連続した動きにより体を

温め、柔軟性をつけ、体力、精神力、軽快さを見につけます。

身体が固くても大丈夫。初心者は少しずつポーズを経験していきましょう。

練習を始めた頃に固い人ほど、柔らかくなる過程を楽しめます。

 

わが指導者は、コロラドの賢者リチャード・フリーマンのお弟子さんです。

コロラドの賢者は、コロラド州ボルダーでアシュタンガヨガ・ヴィンヤサを

教え、世界各地でひらかれるワークショップで指導をつづけています。

ヴィンヤサとは、途切れなく流れるアーサナのシークエンス。

南インドのマイソールから世界へとひろがっていきました。

リチャード・フリーマンはその中心人物のひとりです。

 

 

 

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シングルトン著「ヨガ・ボディ」

2015-12-12 | Weblog

 

 

マーク・シングルトン著

「ヨガ・ボディ」

 

今秋、わがヨーガ指導者のお話に出てきた一冊です。

指導者が読了されたのは英語版で。

 Yoga Body: The Origins of Modern Posture Practice 

出版社 Oxford University Press, U.S.A.  ペーパーバック2010年刊

 

しらべてみると昨秋、邦訳本も出ているではありませんか。

出版社:大隅書店 2014年刊

それならばと購入し、読み始めました。めっぽう面白い。

 

これは誰のせいでもありませんが、いつのまにか頭のなかで、

勝手につくりあげていたヨーガの歴史のイメージがあって、

じつはそれに何の根拠もないことに気づかされました。

ガツンといっぱつやられてしまった。

 

一言おことわりしておきますが、

アシュタンガ・ヨガって何のこと?

インドの近代史には興味がないの。

 

という向きには先ずこの本はオススメできません。

でも人の体の動きと、そのデモンストレーションのあり方を、

ヒト human being の進化のプロセスととらえる方には、

きっと面白いと思いますよ。

 

アシュタンガ・ヴィンヤサ系ヨーガがはぐくまれた、南インドの

マイソールについての記述が多いのは当然としても、

近代インドの歴史で多大な貢献をなしたベンガルについて著者シングルトンは

多くのページをさいています。ベンガルでは、身体実践としてのヨーガではなく、

哲学的生き方としてのヨーガが中心だったことがわかります。

「ラージャ・ヨーガ」を著わしたヴィヴェーカーナンダも、

「あるヨギの自叙伝」を著わしたパラマハンサ・ヨガナンダも近代に生きた

ベンガル人で、これらの本はいまも世界中のヨーガ愛好者に読まれています。

 

ところで、紀元2世紀頃にまとめられたというヨーガの経典、

パタンジャリによる「ヨーガ・スートラ」では、アーサナ(ポーズ)という言葉が

出てくるのは、たった一か所(第2章実践29番)だけといいますから、

やはりここは押さえておくべきですね。

 

 

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ガラスの祈り堂

2015-12-09 | Weblog

 

ガラスの祈り堂

 

先日、このタイトルでブログ記事を書きはじめたのですが、

手違いがあり、ほかの記事になってしまいました。

お詫びして、ここにあらためて書き直したいと思います。

 

インド西ベンガル州の、タゴールの大学には

ガラスの祈り堂があります。

繊細なガラス製の宝石箱のような瞑想堂です。

当ブログでは2,3年前に、祈り堂の写真をご紹介したことも

ありましたが、いま写真がみつからないので、

よかったらこの写真をご覧ください。

インドの旅行社のHP(英語)から。

http://www.chhutiresort.co.in/page.aspx?id=5

小さい写真ですが、祈り堂の内部を撮影した貴重な写真も。

瞑想が始まる前、まだだれもいない時に撮影したものでしょうか。

四方を囲むガラスの扉がすべて開けはなたれています。

瞑想堂は数えきれない樹木にかこまれていますので、

大勢の人が集まることができ、人びとは思い思いの樹下で

瞑想の時をすごすことになります。

 

ところで毎年12月下旬になると、ポウシュ・メラが開かれます。

ポウシュとはベンガル暦12月(西洋暦と十数日の差があります)、

メラとはフェア fair で、お祭りと市場をかねたビッグ・イベント。

ガラスの祈り堂ができたのが1891年12月で、

この関連で1894年からポウシュ・メラが開かれるようになりました。

 

また、この地でタゴールが森の学校をはじめたのが1901年12月。

森の学校とは、正式名がブラフマン修養道場学校。

インドに古代からつたわる生き方の指針、ブラフマチャリヤを

実践する全寮制の学舎として生徒5人先生5人でスタートしました。

ブラフマチャリヤとは、すべての思い、すべての言葉、

すべての行為において純潔であること、を言います。

 

というわけで毎年12月は特別なプログラムがありますが、

毎週水曜日の早朝にはこの祈り堂に人びとがあつまり、

ともに瞑想し、祈りをささげるのです。もう100年以上も

つづいている瞑想の集いで、いつもタゴールの歌がうたわれます。

タゴールはさまざまな歌を作詩作曲しました。そのうち、祈り歌と

分類されるものは500歌余りもあります。

 

ガラスの祈り堂は、短くマンディル(寺院)とか、ブラフマ・マンディルとも呼ばれ、

あらゆる宗教、民族、文化習慣を超えて、誰もがここに集うことができます。

このガラスの祈り堂は、インドの最も美しい場所の一つにちがいありません。

 

 

 

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ありのままを気づく

2015-12-08 | Weblog

 

この瞬間、

ありのままを気づく

 

くしくも9月の新月の日に、瞑想の時をもちました。

県南の方から、山奥のお寺を守る僧侶がみえて指導をされました。

お名前には「月」や「時」がちりばめられていて、

お名前をきいた瞬間から、心の奥でなにか心地よいものが

響きはじめて、いいお名前だなぁと思ったことでした。

 

この日の瞑想は、いま取り組んでいるヨーガの集中講座の

一環として行われたもの。

御僧侶は、ご自分であみだした独特の瞑想法をなさっていて、

ふだんは山奥のお寺で瞑想会をつづけておられるそうです。

 

すわる、立つ、歩く、といった自然な基本動作のなかで、

自分のありのままを気づく、

そのために

自分という人体のリズム(呼吸)にそった動作のなかで、

自分自身の心のリズムに気づいてゆく・・・

 

そんな言葉が印象にのこっています。

フランスのボルドーにある、プラムビレジの活動にかかわるなかで、

宗派や流派をこえた、ご自身の瞑想を見出されたのだそうです。

プラムビレジは、ダライ・ラマ14世と並んで平和活動に従事する、

ベトナム出身のティク・ナット・ハンの活動センターです。

http://plumvillage.org/

 

 

 

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タゴールの大学 1932年

2015-12-07 | Weblog

 

 

タゴールの大学

1932年のたたずまい

 

 

1932年、フランスのインド学者で音楽理論学者であるアラン・ダニエルーは、

写真家レイモンド・ブルニールとともにインドを旅行しました。

そのときに撮影された貴重な写真をこの動画で見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=aPci5vypHGg

 

バナラシ、シャンティニケトン、カジュラホで撮影したものです。

なにしろ1932年なので、どの写真にも見入ってしまいます。

シャンティニケトンは森の学校、樹下での授業風景も。

白い鬚をたくわえたタゴールの写真も数枚。

写真はモノクロですが鮮明。

その一枚にタゴールがにっこり笑っている写真もあって・・・

なんとこれはサプライズ。

音楽舞踊学部の写真はなかなか興味深いです。

少年がヨーガをやっているような一枚もありましたが、

おそらくこれはインド舞踊でしょうね。

 

ところで、この動画のBGMは、ラヴィシャンカールのシタールで、

これまた絶妙の演奏。シタールの音が、まさに生きる喜びに

ふるえているかのよう。

でも最近では、ラヴィシャンカールというと、瞑想家として知られる

シュリ・シュリ・ラヴィシャンカールと混同してしまう人もいるかもしれません。

 

 

 

 

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初めての瞑想

2015-12-07 | Weblog

 

 

初めての瞑想

タゴールの大学で

 

インド・シャンティニケトンにある、タゴールの大学でまなんでいたころ、

ゴエンカという名前の学生寮に住んでいました。

ゴエンカという名前の由来について最近ようやく知ったのですが、

ゴエンカはインドの財閥で、大学はこの財閥より学生寮を寄贈されたのでした。

1960年代初め、ビルラ財閥からも同様に学生寮の寄贈を受けています。

 

学生寮ゴエンカでは、日が暮れはじめる夕方6時になると

一階の玄関ホールに集まることになっていて、

みなで祈りの時を持ちました。

合掌し瞑目してしばらく沈黙したのち、静寂をもとめる聖句

オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ・ヒ

をみなで唱和する、ただそれだけのことでしたが。

だれもがこの時間をとても大切にしているのを感じていました。

 

ところで「ゴエンカ」といいますと瞑想にご関心のある方は、

すぐに気づかれるはずですが、

インドでもっとも古い瞑想法のひとつといわれるヴィパッサナー瞑想を

世界にひろめた人が S.N. ゴエンカ(1924-2013)。

S.N.ゴエンカはビルマ(ミャンマー)で生まれ育った人で出自はインド。

シャンティニケトンの学生寮ゴエンカで行われていた夕方の瞑想は、

ゴエンカ独自の習慣でしたから、もしかすると S. N. ゴエンカによる瞑想と

何らかの関わりがあるかもしれません。

 

 

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瞑想とヨーガ プラクティス

2015-12-06 | Weblog

 

瞑想とヨーガ

プラクティス

 

 

コロラドの賢者はおっしゃいます、

すべてはプラクティスから始まる、と。

コロラドの賢者のお弟子さんである、わが指導者もまた、

繰り返し、繰り返し、おっしゃいます、

とにかくプラクティス(練習、実践)です、と。

 

それが何を指し示すのか、頭のなかで漠然とはわかります。

しかし、実際に行動にうつし、それを継続してゆくのは難しい。

あまりに地味な、日々の業(わざ)であり、

この日々の業は、できたから終わりではなく、

むしろそれを手放していくことが大事だという。

 

いま取り組んでいる、ヨーガの集中講座では、

グレゴール・メーレの「パタンジャリのヨーガ・スートラ」を読みます。

紀元2~4世紀のヨーガ・スートラを、現代人メーレが解説したもの。

もちろんヨーガのアーサナに多くの時間をとり、呼吸法もやります。

ヨーガのアーサナにはさまざまなヴァリエーションがあり、

数えきれないほどのポーズがあります。その数、数千とも言われます。

 

わたしにとって最も思い出深いのは、シールシャーサナ、頭立ちのポーズ。

できるようになったのは、米国東部に住んでいたころに通っていたヨーガ教室で。

指導者はスリランカ・ルーツの女性、場所は公立のハイスクールでした。

教室の仕切りをすべてとっぱらったオープンクラスルーム方式のハイスクールで、

冬の夜、数人で頭立ちのポーズの練習に励んだものでした。

 

「わたしが存在するということは永遠の驚きです、

それすなわち生命であることの」タゴール『迷い鳥たち』より

 

 

 

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瞑想とヨーガ コロラドの賢者

2015-12-05 | Weblog

 

瞑想とヨーガ 

コロラドの賢者

 

コロラドの賢者とは、リチャード・フリーマン。

この12月にちなんで、わたしが勝手に

名づけてみました。

瞑想とヨーガがもたらす調和と静寂を

現代世界にむけて発信している人、

そう考えるからです。

 

The Natural Push & Pull of True Awakening:

Richard Freeman on Yoga

https://www.youtube.com/watch?v=MtdvnYjBfzs

 

30分弱の英語によるインタビュー録画です。

知的でリラックスした雰囲気を

楽しんでいただけるのではないでしょうか。

 

インタビューを抜粋してご紹介:

多感な少年のころ、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの

「ウォールデン 森の生活」を読み、ソローやその師であり友人であった

R.W.エマーソンの哲学にひかれるようになった。

エマーソンはヴェーダやインド哲学に造詣がふかく、

そういうことで自然に東方へとみちびかれていった。

ヨーガのプラクティスや指導を行うようになったのは1968年で、

そのころシカゴの禅寺で座禅もつづけていた。

仏教の教えとヨーガの哲学は密接につながっている。

 

わたしはリチャード・フリーマンに直接お会いしたことはないのですが、

現在のヨーガの指導者がリチャード・フリーマンのお弟子さんなので、

わたしは孫弟子(自称)になりますね。

ネットには動画がいくつもアップされていますから、

リチャード・フリーマンのお話を簡単に聴くことができます。

「ヨーガとは、人生を深く愛すること」とおっしゃっていて、

わたしは心からの共感をおぼえます。

 

ソローとエマーソンは19世紀を生きたニューイングランド地方の人です。

バガヴァッド・ギーターやヴェーダから強い影響をうけたエマーソンは、

コンコードの賢人と呼ばれました。

はい、そうなのです、そこからリチャード・フリーマンに敬愛をこめて

コロラドの賢者という呼び名を思いついたわけです。

 

ニューイングランドもコロラドも大自然の圧倒的な美しさがありますね。

リチャード・フリーマンは enchantment of nature という言葉を

繰り返しつかっています。自然が本来もつ魔法のような美と喜び、ですね。

宗教とか信仰ではなく、もっと大きいものに魅了されること、

もっと大きいものとはすなわち真実であり、宇宙の理法であり、

さらにいえば真実とは信じる必要がないもの、です。

 

いずれはここに、インドの詩人ラビンドラナート・タゴールの

「瞑想」を邦訳してご紹介したいと考えていますが、

タゴールの場合も宗教とか信仰という言葉はそぐわないと思います。

信じる必要のない真実について、言葉に紡ぎつづけた詩人だからです。

 

 

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