ギーターンジャリ
と
バートランド・ラッセル
前々回の「マラバー洞窟のエコー」とともにお読みくださればと思います。
タゴールの英語散文詩集『歌の捧げもの』は、
ベンガル語原文『ギーターンジャリ』を詩人じしんが英訳したものです。
これについては何度もふれてきましたが、ご存知ないかたのために今いちど。
さて、この英語散文詩集『歌の捧げもの』は、1912年11月1日に
インド協会(ハヴェル、ローセンスタインなどロンドン在住の
オリエント通らが創立メンバー)より出版されました。
750部出版され、かのバートランド・ラッセルへも。
本が届くとほとんど時を経ずしてラッセルは本を読んだようです。
そして1912年11月半ばにラッセルが何と言ったか・・・
「私は本を、このうえない関心をもって読みました。
これまで読んだどんな英詩にもみあたらない、
質的に異なる詩篇でした。もし私がインドを知っていたら、
その質的なちがいを言葉で示しえたかもしれませんが。
いま言えるのはこれだけです、つまり英文学にはない、
それじしんの価値をもった詩であると感じます。
これらの詩篇を原文で読むことができたならと私は思いました。
ロビンソン著 RABINDRANATH TAGORE
England and the USA 1912-13 の章より引用
ラッセルの言葉は曖昧なものをふくんでいるとしても、
たしかに的を射ていると思います。
また英訳散文詩集『歌の捧げもの』は、じっさい
ベンガル語原文詩集『ギーターンジャリ』とかなり趣がちがっており、
20世紀最後の10年には、なぜこのような違いが生まれたのか、
さまざまに論じられるようになりました(下記注)。ラッセルの言葉は、
このような動きを予言するものであったと言えるかもしれません。
(注)主たる論者は、アマルティア・セン(母語はベンガル語、ノーベル経済学賞受賞)、
ウィリアム・ラディス William Radice(詩人、タゴール研究学者、欧米では
タゴール作品の英訳で知られる) ほか。 アマルティア・センの論考については、
当ブログ「夕陽妄語 タゴール再見」もお読みいただければと思います。