わたしを愛するものたちは
タゴール
この世界で
わたしを愛するものたちは
わたしをつかまえておこうとする
かたい縄でしばって。
あなたの愛はすべてにまさって大きく
あなたのやり方こそ新しい、
しばらず、すがたを見せず
あなたのしもべを放ちおく。
・・・
内山眞理子抄訳
わたしを愛するものたちは
タゴール
この世界で
わたしを愛するものたちは
わたしをつかまえておこうとする
かたい縄でしばって。
あなたの愛はすべてにまさって大きく
あなたのやり方こそ新しい、
しばらず、すがたを見せず
あなたのしもべを放ちおく。
・・・
内山眞理子抄訳
あなたといつも
タゴール
あなたといつも仲たがい
もう耐えられないーー
日に日に つみあがる
あまたの負い目。
みなが礼拝のため
晴れ着であなたのもとに来る、
わたしは粗末ななりで
誇りもなく 人目をさける。
心のいたみをわかってもらえるだろうか、
心は口をきけなくなった、
あなたに言葉ひとつ
語ろうとしない。
いま その心を退けないで
誇りなきものを すくいたまえ、
あなたの足もとで
永久(とわ)のつぐないをさせたまえ。
内山眞理子 試訳
愛の手に
タゴール
愛の手にゆだねようと
わたしは待ちつづけた、
時がすぎて日がくれた
あやまちを重ねつつ。
決まりごとという縄をかけようと
近づく者あれば わたしは逃げる
そのために罰をうけるなら
よろこんでうけよう。
愛の手にゆだねようと
わたしは待ちつづけた。
・・・
内山眞理子 抄訳
妨げはきつく
タゴール
妨げはきつく はなれたい
はなれようとすれば 痛みがうずく。
自由をえようと あなたに乞うのは
ひどく恥ずかしい。
わたしは知っている
あなたは人生の至高の善 比類なき宝
それなのに ひびわれたものばかり家にあふれ
どれも捨てられない。
あなたをおおい隠す塵ほこりで心は
いくえにも押しころされる
身をつくしてそれらを憎むが
なおも それらを愛している。
・・・・・・
内山眞理子抄訳
名をあなたが消し去りたまう日に
タゴール
名をあなたが消し去りたまう日に
わたしは解きはなたれて生きる 主よーー
じぶんでつくる夢からはなれ
あなたのなかに生まれる。
み手でしるされた相をかくし
わが名の印をきざみつけ
なお生(よ)の日々がすぎゆくのか
この重い荷をせおって。
・・・・・・
内山眞理子 抄訳
あなたの慈しみを
タゴール
あなたの慈しみをねがうすべを
知らずとも 慈しみもて
あなたのみ足もとに
引きよせたまえ。
わたしは祈り堂をこしらえ
われを忘れてここちよく
花や果実をそなえては
幸(さき)はう祈りをささげるーー
その塵ほこりにまみれた遊び堂の
わたしを嫌って疎んじたまうな
慈しみもて 火の槍を投げよこし
目ざめさせたまえ。
・・・・・・
内山眞理子抄訳
*ベンガル語原典『ギーターンジャリ』から。英訳本にはありません。
映画『コルチャック先生』
アンジェイ・ワイダ監督
「20世紀が生んだ偉大な人道主義者
コルチャック先生の半生を、深い敬意と共に描く」
この映画は1990年のカンヌ国際映画祭で上映されました。
映画の後半部に、孤児たちがタゴールの劇『郵便局』を
練習するシーンがあります。短いけれど印象深いひとこまです。
つづいて、その夜でしょうか、孤児院で働く若い男性と女性が、
コルチャック先生の部屋をたずねてきます。
二人は「ぼくたち、結婚したいんです」と打ち明けます。
するとコルチャック先生がいいます。
「どんな助言も君たちには向かない。
言葉は貧しく力がない。
君たちに神を与えることはできない。
自らの心の中に見出さねばならない。
祖国も同じだ、君たちが探し出すべきものだ、
君たちの心と思想のなかに、ね。」
そして愛について、慈悲について、希望について語り、
コルチャック先生は二人を祝福するのです。
ワイダ監督はこの映画に、希望へのメッセージを込めました。
希望をもたらすすべての調和を、さいごにタゴールの
ヒューマニズムにゆだねた、
私にはそのように思えてなりません。
***
当ブログ
タゴールの戯曲『郵便局』
いのちのつとめは タゴール
コルチャック先生とタゴールの戯曲『郵便局』
もあわせてご覧ください。
コルチャック先生とタゴール『郵便局』
コルチャック先生ことヤヌシュ・コルチャック(1878-1942)は、ポーランドのユダヤ人、医者で教育者として知られます。
ワルシャワに、戦争孤児たちを受け入れる寄宿学校をつくりました。
コルチャックがその生涯をつうじて、子供たちをどう愛したのか・・・
それを知るてがかりの一つとして、タゴールの戯曲『郵便局』があると思います。
1942年7月18日に、寄宿学校の子供たちが『郵便局』を上演しました。
当時、タゴールの作品はナチスの検閲で禁じられていましたが、コルチャックは敢えてそれをえらびました。
これは、コルチャック先生の子供たちへの贈り物だったのです。
では、岩波ジュニア新書『コルチャック先生』から引用させていただきます。
岩波ジュニア新書
『コルチャック先生』
近藤康子著
一時間の美しい物語を上演します。
一人の思想家、詩人がきっと崇高な魂の
感動を与えてくれるでしょう。
ご参加をお待ちいたします。
開演 1942年7月18日、土曜日
午後4時30分
孤児院長 ゴールドシュミット
J. コルチャック
*
これが、このときの招待状です。
「一人の思想家、詩人」とは、もちろんタゴールのことですね。
同書「第6章ワルシャワ・ゲットー」にはコルチャックの最後の日記があります。
日記最後の日付は8月4日。8月5日か6日に、コルチャックは子供たちとともに
死の収容所トレブリンカへ移送されました。
いのちのつとめは
タゴール
いのちのつとめはすべて
終わったわけではなかった
わたしは知っている それでも
失われたのではなかったことを。
花は ひらくことなく
地におちた
河は 砂漠で
水のすじを消した
わたしは知っている それでも
失われたのではなかったことを。
・・・・・・
内山眞理子 試訳
* この詩はとてもよく知られた詩です。
次回は、本「コルチャック先生」をご紹介します。
ヤヌシュ・コルチャック(1878-1942)はポーランドのユダヤ人です。
ワルシャワに、戦災孤児たちを受け入れる寄宿学校をつくりました。
1942年7月18日に、寄宿学校の子供たちが、タゴールの戯曲「郵便局」を上演しています。
コルチャック先生の子供たちへの贈り物として、この戯曲がえらばれたのです。
それからまもなく8月6日に、コルチャック先生と孤児たち200名がトレブリンカヘ移送されました。
タゴールの戯曲「郵便局」
詩人タゴールは数多くの詩を書き、さらには歌もつくりました。
また、戯曲も書いていて、音楽劇の作品もたくさんあります。
ちいさな作品といえるかもしれませんが、戯曲「郵便局」という象徴的な作品があります。
登場人物も、人の世の営みを象徴するような人びとが出て来ます。
主人公は、オモルという坊やです。病気のために外に出ることを禁じられています。
外に出られないオモルは、プロホリ(時まわり)が近くにまわって来るのを心まちにしています。
プロホリとは prahari、 銅鑼をたたいて時刻をしらせて回るひとでしょうか、番人とか見張り番の意味もあります。古い時間の単位プロホル prahar (約3時間)から。
ある日、オモルが「ねえ教えてよ。どういうわけであんたの銅鑼は鳴るの?」とききます。
時まわりが言います、
「みんなに、時はだれをも待たずに永遠にすぎさっていく、それを知らせるために銅鑼は鳴るんだよ」と。
オモルは Amal で、純粋な、無垢な、汚れをしらない、という意味ですね。
仕事がら時の流れをみんなに知らせる大人がいて、かたや、不治の病の幼い少年は、時が経つことに夢をたくしているのです。いつか時がくれば、外の世界へ出ていけると信じて。
プロホリ(時まわり)から、新しくできた郵便局のこと、郵便配達や手紙のことをオモルはおしえられます。郵便局は王さまのもので、いつかいい日にオモルにも手紙が来るだろうとプロホリ(時まわり)は言います。オモルは、王さまからの手紙を待ちこがれます。
*アポロン社刊『タゴール著作集1』を参考にしました。「時まわり」という訳語がちょっと謎めいて心をとらえます。
次回の話題は本「コルチャック先生」になりますか・・・