ベンガルのうた・内山眞理子 

内山眞理子の「ベンガルのうた」にようこそ。ここはエクタラ(歌びとバウルの一弦楽器)のひびく庭。どうぞ遊びにきてください。

初来日のタゴールと成瀬仁蔵

2016-08-23 | Weblog

 

初来日のタゴールと成瀬仁蔵

 



1916年、初来日したタゴールは、約三カ月間を日本で過ごしています。

アジア初のノーベル賞受賞者というのも当然あったでしょうが、一般には、ブッダの誕生した国の詩人、というイメージが先行していたかもしれません。詩人の美しく気高い風貌も、そのようなイメージに拍車をかけたはずです。

最初は詩人が面食らうほど熱狂的に歓迎されたようで、神戸港に到着した5月29日の日記から引用しますと、

 

・・・インドを発つときにはベンガル湾で台風に遭遇したが、日本に着くや今度はこの人間台風に出あわなければならなかった・・・。

 

しかしやがてこの熱狂は急速に冷めていきます。

6月半ばに行われた東京帝国大学での講演「インドから日本へのメッセージ」や7月初めに行われた慶應義塾大学での講演「日本の精神」で、日本の帝国主義政策を批判して警鐘をならし、そのためにタゴールは不評をかいました。とくに日本政府に。

「世界」は第一次世界大戦の真っただ中でした。

西洋文明をいちはやく取り入れたとの自負もあった日本は、このとき戦争による好景気でさらに近代化、資本主義化への道をまっしぐらに突き進んでいたわけで、インド詩人の警鐘ははなはだ迷惑でおもしろくなかったのです。

ブッダの国の詩人というタゴールのイメージは、時を経ずして、厳しく叱る批評家というイメージへと変わっていきました。

 

そのいっぽうで、7月2日の宵から夜にかけて、タゴールは日本女子大学校で講演をおこなっています。

同日は日なかに慶應義塾大学で講演をして、その後ただちに三田から目白台へ自動車で移動・・・「雑司ヶ谷の森に入る夕陽が校庭の桜並木へあかあかと影を落とす頃(タゴールの)自動車は入って来た。」と、タゴールを迎え待つ人びとの記録がのこっています。

タゴールはこの夜、同大学校の成瀬講堂で講演、いえ、正確にいえば詩の朗読をしました。

「・・・わたしは瞑想にひたる詩人でありますから、多くの人の前で語るのを好みません・・・長い話をしないで、わたしの書いた本の一節をみなさんの前で読むことにしようと思います」といって、数篇のベンガル語詩を朗読したということです。

 

私の想像ではありますが、この夜のタゴールは、異国にありながら完全にホームグラウンドにもどったかのような、とても寛いだ気分でした。ホームすなわち心地よい「家」であり「家庭」という感覚ですね。

ところで、この年、1916年に発表された Ghore Baire(直訳では「家で外で」、邦訳題は「家と世界」)という小説があります。ストーリーは端折りますが、「家」と「世界」の両方に生きる人間はそのために葛藤し苦悩するというテーマだったと思います。

 

タゴールにとって日本女子大学校との出会いは、けっして外の「世界」との出会いではなく、むしろ「家」という連なりのなかに実現したものでした。言葉をかえて言えば7月2日の夜、タゴールはあえて外の「世界」を遠ざけて「家」を択んだかのよう。外を覆うものを取り去ることによって、詩人という真の姿で人びとと出会ったということになります。

この夜の朗読を経て、その後、さらに軽井沢に約一週間滞在して、学生たちに瞑想の講義や指導をしましたが、その講義録「瞑想」をよむと、その瞑想スタイルはコルカタのタゴール家で日常的におこなわれていたものであるらしいこと、さらにタゴールが始めたシャンティニケトンの学校で日課になっている瞑想であることがわかります。

いまからちょうど100年前、タゴールと日本女子大学校との出会いは、やはり特別なものだったと思います。そしてそのような出会いが実現したのは、ひとえに、日本女子大学校創始者である成瀬仁蔵の人間性と求道の精神ゆえだったと、私は考えています。



*上記の内容は、7月に開催された会員制の講話会でお話ししたものです。タゴール初来日100年を記念しての講話会でした。なおこのときタゴールの母語であるベンガル語本『ギーターンジャリ』から一篇を、コルカタ出身の方にベンガル語で朗読していただきました。

 



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100年後に聞いたタゴールの話

2016-08-19 | Weblog

 

100年後に聞いたタゴールの話

 

今日は、ある女性・・・仮にSさんとしておきます・・・から、

とても貴重なお話をうかがいました。

Sさんの母上は明治27年生まれ、日本女子大学校の卒業生です。

興味深いお話だったので、いま急に思い立って、こうして

記しておくことにしました。

 

「母は1916年の夏、軽井沢の大樅の樹下で、タゴールの話を聞いています。

ほんとうに忘れがたい思い出だったようで、幼いころから繰り返し、このときの

話を聞いたものです。母は1990年に亡くなりましたが、生涯、軽井沢は

特別な場所だったようです」

 

以上のみ、記しておきます。

 

 

 

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毎日新聞余録のタゴール「わが黄金のベンガルよ」

2016-08-06 | Weblog

 

 

毎日新聞余録に掲載された

タゴール著「わが黄金のベンガルよ」(未知谷刊)



先月7月4日の毎日新聞余録よりご紹介させていただきます。

前回のブログでとりあげた中國新聞天風録とあわせてご覧くださればと思います。


7月1日ダッカで起きたテロ事件で犠牲となった方々のご冥福をお祈りいたします。



7月4日毎日新聞余録から:


バングラデシュは「ベンガル人の国」という意味だそうだ。英国の植民地時代、

ノーベル文学賞を受けたベンガル出身の詩人タゴールの詩に「わが黄金のベンガルよ」がある。

1971年のバングラデシュ建国の翌年、それが国歌になった

「わが黄金のベンガルよ、あなたを愛します。

あなたの空、あなたの風、とこしえにわが心深くひびく笛の音。

母よ、ファルグン月にマンゴーの森にみちる香しさ

いのちくるおしいほどーー」(内山眞理子訳)

母なる大地をいとおしむ異色の国歌だ

そのタゴールは「国は人間が創造したものです。

国は土からできているのではなく、人間の心でできています」と語っている。

・・・・・・

つづきは、http://mainichi.jp/articles/20160704/ddm/001/070/180000cで。









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天風録とタゴール著「わが黄金のベンガルよ」

2016-08-02 | Weblog

 

 

中國新聞〈天風録〉に掲載の

タゴール著「わが黄金のベンガルよ」(未知谷刊)

 

 

先月、7月1日、バングラデシュ・ダッカで、あまりにも痛ましい事件が発生しました。

犠牲者の方がたのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 

1日は金曜日で、週明けの4日月曜日に、タゴールの「わが黄金のベンガルよ」(拙訳)が、

中國新聞と毎日新聞で同時に、取り上げられました。

毎日新聞掲載については早速お知らせくださった方がいて、その日のうちにスーパーで買い求めました。

 

いっぽう中國新聞掲載記事は、出版社のほうに新聞が郵送されて来たのを、こちらに送っていただいたのでした。

いまのところ、これら二紙の記事が手もとにあります。

どちらもタゴールについての、きわめて秀逸な紹介にもなっています。順番にご紹介したく思います。

 

もっとはやく紹介したかったのですが、しばらくまえからパソコンが動かなくなって、今日になってしまいました。

 

 

中國新聞〈天風録〉2016年7月4日

英国とパキスタンから2度独立したバングラデシュの名は、ベンガル人の国を意味する。国歌はインドの詩聖タゴールの作品だ。「わが黄金のベンガルよ」と歌い、マンゴーの森の香り、秋の稲の実り、心地よい木陰をたたえた。研究者内山眞理子さんの訳書に教わる

▲タゴールはインド独立の父、ガンジーを支持した。自身も非暴力の立場を選び、農村改革のための教育に力を入れた。「わたしのなすべき努力とは騒乱の背にのっかることでしょうか」と問う詩もある

▲首都ダッカでテロに及んだのは、まさに騒乱の背にのっかる者たちだ。国外の過激な思想に染まり、邦人を含む丸腰の外国人を標的にした

▲人質にコーランの一節を唱えるよう強要し、できない人に危害を加えたという。根っこに社会への不満でもあるのか。だが異教徒をあやめることを目的にするのなら、もはや神の名を語るべきではない

▲「もろびとを一つにする創始者よ」とタゴールは歌ってもいた。新しい国の創始者の下に、あらゆる宗教を信じる者たちがはせ参じる世界。独立国のあるべき姿だったのだろう。寛容を尊ぶ国柄を望んだ詩聖の言の葉を、いま一度拾い上げたい混濁の世である。

 

 

 

 

 

 

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天風録とタゴール著「わが黄金のベンガルよ」

2016-08-02 | Weblog

 

 

中國新聞〈天風録〉に掲載の

タゴール著「わが黄金のベンガルよ」(未知谷刊)

 

 

先月、7月1日、バングラデシュ・ダッカで、あまりにも痛ましい事件が発生しました。

犠牲者の方がたのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 

1日は金曜日で、週明けの4日月曜日に、タゴールの「わが黄金のベンガルよ」(拙訳)が、

中國新聞と毎日新聞で同時に、取り上げられました。

毎日新聞掲載については早速お知らせくださった方がいて、その日のうちにスーパーで買い求めました。

 

いっぽう中國新聞掲載記事は、出版社のほうに新聞が郵送されて来たのを、こちらに送っていただいたのでした。

いまのところ、これら二紙の記事が手もとにあります。

どちらもタゴールについての、きわめて秀逸な紹介にもなっています。順番にご紹介したく思います。

 

もっとはやく紹介したかったのですが、しばらくまえからパソコンが動かなくなって、今日になってしまいました。

 

 

中國新聞〈天風録〉2016年7月4日

英国とパキスタンから2度独立したバングラデシュの名は、ベンガル人の国を意味する。国歌はインドの詩聖タゴールの作品だ。「わが黄金のベンガルよ」と歌い、マンゴーの森の香り、秋の稲の実り、心地よい木陰をたたえた。研究者内山眞理子さんの訳書に教わる

▲タゴールはインド独立の父、ガンジーを支持した。自身も非暴力の立場を選び、農村改革のための教育に力を入れた。「わたしのなすべき努力とは騒乱の背にのっかることでしょうか」と問う詩もある

▲首都ダッカでテロに及んだのは、まさに騒乱の背にのっかる者たちだ。国外の過激な思想に染まり、邦人を含む丸腰の外国人を標的にした

▲人質にコーランの一節を唱えるよう強要し、できない人に危害を加えたという。根っこに社会への不満でもあるのか。だが異教徒をあやめることを目的にするのなら、もはや神の名を語るべきではない

▲「もろびとを一つにする創始者よ」とタゴールは歌ってもいた。新しい国の創始者の下に、あらゆる宗教を信じる者たちがはせ参じる世界。独立国のあるべき姿だったのだろう。寛容を尊ぶ国柄を望んだ詩聖の言の葉を、いま一度拾い上げたい混濁の世である。

 

 

 

 

 

 

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