『江島氏物語』 

歴史推理ブログ「筑後江島氏とその庶流」
    通史に無い歴史物語

Vol 31 対馬・江島氏 その2 朝鮮の役、従軍通詞

2018年05月01日 | 対馬江島氏

月岡芳年 正清三韓退治・晋州城合戦の図


「近世日朝通交貿易史の研究」における「古60人」の1家に数えられる対馬江島氏の記述は、後の調査に大いに役立ちました。同書の記述から、多くの検索ワードを推定でき、多くの研究者の方たちの著書や研究論文がある事も、また論文の一部はオープンアクセスで閲覧できる事も分かりました。そして、それらの著書や論文から、新たな江島氏の名前や貴重な傍証を発見することも出来ました。

もちろん、江島氏について詳述されている訳ではないのですが、時代背景や出来事から戦国末期から江戸時代にかけての筑後江島氏の動きが明確になってきたのです。

古60人と呼ばれた商人達は朝鮮との交易を通じて、朝鮮語に通じ、また現地事情に詳しい事から、江戸期には朝鮮使節団の来訪にあたって通詞として選ばれることが多々あったようです。時代が遡りますが、文禄期、慶長期の豊臣秀吉の朝鮮出兵において、従軍通詞として活躍しています。


まずは文禄の役の陣立ての史料からご紹介しましょう。


■【文禄の役】 1592年5月~93年7月

1592(天正20)年3月13日、秀吉が朝鮮出兵の陣立て発令。
名護屋城に全国諸大名から25万の兵を集める。


【文禄の役の編成 158,700人】    ※江島姓以外の日本人通詞の氏名は省略

★第一軍 18,700人
宗義智(先導役 5,000)、  通詞10人「江島彦兵衛」

小西行長(7,000)           通詞3人           
有馬晴信(2,000)、 
大村喜前(1,000)
五島純玄(700)

★第二軍 22,800人
加藤清正(10,000)           通詞3人
鍋島直茂(12,000)
相良頼房(800)

★第三軍 11,000人
黒田長政(5,000)          通詞2人
大友義統(6,000)

★第四軍 14,000人
毛利吉成(森吉成)(2,000)      通詞2人
島津義弘(10,000)
高橋元種(2,000)
島津豊久、伊東祐兵、秋月種長

★第五軍 25,000人
福島正則(4,800)            通詞4人
戸田勝隆(3,900)
蜂須賀家政(7,200)
生駒親正(5,500)
長宗我部元親(3,000)
来島通総・来島通之(700)

★第六軍 15,700人
小早川隆景(10,000)         通詞3人
安国寺恵瓊(小早川陣内)       
小早川秀包(1,500)
立花宗茂(2,500)、高橋直次(800)
筑紫広門(900)

★第七軍 30,000人
毛利輝元(30,000)           通詞1人

★第八軍 (対馬在陣)10,000人
(総大将)宇喜多秀家(10,000)     通詞3人
岡豊前守(宇喜多秀家陣内)      
長船紀伊守(宇喜多秀家陣内)     

★第九軍(壱岐在陣) 11,500人    
豊臣秀勝(8,000)、細川忠興(3,500)   通詞配属なし

★水軍
早川長政               通詞4人
毛利重政                
一柳直盛                
服部一忠                

★名護屋(順次参戦)
伊達政宗               通詞1人
石田三成(三奉行、七人衆)      通詞3人
大谷吉継(三奉行、七人衆)      通詞2人
増田長盛(三奉行、七人衆)      通詞3人
長谷川秀一(七人衆)         通詞2人
木村重茲(七人衆)          通詞2人
前野長康(七人衆)          通詞1人「江島喜兵衛」
浅野長政               通詞1人
他6名                通詞6人         

                  
  【日本人通詞 総計56人】 ※他に朝鮮人通詞5人
               

参考:「高麗へ罷渡人数事」(小早川家文書)
   「対馬藩の朝鮮語通詞」 田代和生


宗義智は10人の通詞を従えており、その中に「江島彦兵衛」の名前が見えます。宗義智は先導役でもあり、また義父の小西行長と共に朝鮮、明との交渉を行う外交担当でした。宗氏専属通詞10人は古60人(実際は当時30家くらいに減少)の中でも、外交交渉の通訳も出来る卓越した語学力、現地の地理や情勢に精通し、豊富な人脈を持つ者達が選ばれたものと思われます。

名護屋に配属された通詞の中に前野長康の専任として「江島喜兵衛」の名が見えます。三奉行や七人衆に多くの通詞が配置されています。三奉行や七人衆は秀吉の子飼い又は恩顧の諸将であり、秀吉の手足として作戦本部的な役目を果たしていました。その役目を補佐するために、朝鮮の現地事情に詳しい者が選ばれ、アドバイザー的な役割も果たしていたと推察できます。

日本軍の朝鮮渡海作戦にあたっては第一軍の渡海だけでも約600隻の船が動員されています。古60人は軍船や輸送船、乗組員の確保にも奔走したことでしょう。

過去記事でも少し触れましたが、第6軍には立花宗茂と実弟の高橋直次が率いる軍勢があります。この高橋直次の与力として蒲池氏家臣の江島氏が加わっていた可能性と、第2軍の鍋島直茂配下、後藤家信の家臣、江島左近允(さこんのじょう)信秀の一門も参戦した可能性は非常に高いと見ています。


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