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「Vol 33 九州各県・江島さんの氏族と家紋」では九州各県の江島さんの家紋をご紹介しました。 筑後江島氏(筑後高木氏族、筑後藤原氏族)をルーツとする方々が、何と鹿児島を除く6県にいらっしゃる事が分り、大いに驚きました。明治以降、人々の移動が自由になった事も要因の一つと考えられますが、その辺りの事情を加味しても、明治以前の時代に私達の先祖が様々な事情で九州全体に広がって行った過程を想像するだけでも、実に興味深いものがあります。
●福岡 江島家(筑後高木氏族)
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少弐氏定紋 隅立四ツ目
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江島家(筑後高木氏族) 丸に四ツ目
筑後江島氏も最初の家紋は肥前高木氏族の出自を表す「日足紋」であったでしょう。やがて少弐氏の勢力下に加わり少弐氏庶家から、養子を迎える事によって、少弐氏の家紋、目結紋に丸を加え少弐氏の一員である事を示したようです。
●佐賀 江島家(筑後高木氏族)
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龍造寺氏 杏葉(ぎょうよう)
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鍋島氏定紋 鍋島杏葉(ぎょうよう)
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江島家(筑後高木氏族) 丸に抱き茗荷(みょうが)
一方、肥前に本拠を移した一族は龍造寺氏、鍋島氏の家臣となって両氏の家紋である「杏葉紋」にちなんで「抱き茗荷」を家紋としました。主家と同じ家紋を使用することは、親類か特別に許された家臣に限りますので、よく似た家紋にして、龍造寺、鍋島の家臣であることを示しました。
●熊本・佐賀 財津流江島家(日田氏族)
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細川氏定紋 離れ九曜
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財津流江島家 九曜
同様に日田の財津氏から分かれた江島氏は主家の細川家の家紋にちなんで「九曜紋」を使用しました。細川家の九曜紋は、細川忠興が織田信長の脇差についていたこの紋が大層気に入り、信長に願って下賜されたものです。
ただある事件によって、細川家では星紋の感覚が広い、「離れ九曜紋」を使用するようになったそうです。
★津々堂のたわごと日録 細川家の家紋・・1(九曜紋・細川九曜紋)
https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/51165b1d7acb08c16c721b79aced4189
したがって肥後の財津流江島家は本来の九曜紋を家紋としたようです。
過去記事でご紹介しましたが、財津流江島氏が江島姓を名乗るようになったのは1593年以降で、その後細川家家臣となって肥後に移りました。佐賀県に九曜紋を家紋とした江島家があるという事は、明治維新以降に熊本から佐賀に移住されるような事があったのでしょうか。このあたりの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非とも教えて頂きたいと思います。
●佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎 江島家(筑後高木氏族)
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阿蘇氏 違い鷹の羽
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江島家(筑後高木氏族) 丸に違い鷹の羽
●福岡に無い「丸に違い鷹の羽」を家紋とする江島家の謎
「Vol 33 九州各県・江島さんの氏族と家紋」をご覧になった方は、「丸に違い鷹の羽」を家紋とするお家が佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎の5県に広く居住されていることにお気づきになったでしょうか。
鹿児島に筑後江島氏をルーツとするお家が無い事は合点がゆきます。薩摩・大隅は距離的に遠い事、島津家とはほとんど接点が無い事などです。しかし、筑後江島氏の本貫である筑後や隣国の筑前には何故存在しないのでしょうか。
「丸に違い鷹の羽」を家紋とする一族は、皆さん良くご存知の阿蘇氏です。阿蘇氏は戦国期の後半には戦国大名(武家)としては実質上消滅します。「丸に違い鷹の羽」を家紋とする江島氏、つまり阿蘇氏を主家とした江島氏が存在したという事になります。違い鷹の羽は武門の印に相応しいと武家の家紋としては良く使われますが、それにしても5県に拡がっているのは偶然の結果とは到底思えません。
九州の江島さんの氏族や家紋を調べた結果、これらの疑問が頭から離れませんでした。
そこで、阿蘇氏と筑後江島氏の接点を探して、長い間様々な文献をあたる内に、この謎を解く鍵を見つけ出す事が出来ました。その史料の書名は昭和35年(1960)発行の「小国郷史」でした。
そしてその内容とは、室町時代末期、肥後小國郷に「江島和泉守」の居城「江島城」があったというものだったのです。
続きは次回で。
★違い鷹ノ羽の謎
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その1 何故、筑後江島氏が家紋に違い鷹ノ羽を用いたのか?
その2 何故、福岡には違い鷹ノ羽を家紋にした江島家がないのか?
その3 何故、違い鷹ノ羽を家紋とする江島家が九州5県に拡がったか?
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