(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

平成拾年、秋。

2018年03月18日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲

"関山の朝"は早い。

 長野行き新幹線の工事が終わって用済みになった石油・セメント列車の統廃合が行われた、平成10年(1998年)10月改正。「山線」を行き交っていた石油・セメント列車は更に減って、5373レ、5374レ、5375レ、5376レのセメント列車2往復だけになった。定期列車で夜中から未明にかけて運転されていた5372レと5377レのセメント1往復と沼垂から直江津を経て中央線の辰野まで運転されていた5378レ、5379レの石油1往復が廃止され、同じく臨時石油貨物で坂城まで運転されていた8380レ・8381レの廃止も含めると3往復が廃止された。
 しかし残った列車のうち、5376レを除いた3本が日中の撮影可能な時間に運転されるようになって、撮る方は楽になった改正になった。
 この写真の5375レは一時篠ノ井線でロクヨン3重連運転で有名になった、信越線内を夕方遅くから夜にかけて走った糸魚川行セメントタンク車回送を、篠ノ井を早朝に出発するダイヤに引き直したものだった。
 関山通過が0700時。この当時直江津発の始発列車は、189系6連の「信越妙高リレー2号」に"格上げ"されて関山は通過していたので、一度妙高高原まで上がってそこで同駅始発の柿崎行きに乗って戻る必要があった。降りたら速攻でポイントまで行って、撮影準備に取りかからなければ。
 大汗掻いて急いで現場に着いて、三脚にカメラ据えてアングルをセッティングして待ち構えていると、5375レは青海行きのデンカセメント車6両に糸魚川で別れる明星セメント(人呼んで"ダ○デの星")車8両の14両編成。前機24+次位機21の重連に牽かれてきた。
 後年0代の車体更新色機が増えたが、基本車体更新は46以降のが対象(例外に43)だったので、この頃はまだ「国鉄色」同士の重連は当たり前に走っていた。

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