エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

17年前のペンケヌーシ岳(1750m)

2021年03月06日 | 山紀行 (日高山系)
ブログ開設前の山行記をアップしました・・・。
17年前の・・ペンケヌーシ岳(1750m)
■ 山 行 日      2004年6月27日(日)   日帰り (前泊あり)
■ ル ー ト      パンケヌーシ林道~ペンケヌーシ支線林道~ペンケヌーシ六ノ沢ルート
■ メ ン バ ー       夫婦登山 №10
■ 登 山 形 態       沢登り
■ 地 形 図      1/25000地形図 「ペンケヌーシ岳」
■ 三角点・点名     二等三角点  点名「弁華主 ペンケヌウシ」
■ コースタイム      登り 2時間35分   下り 2時間15分
<登り>
08:05         登山口P出発
08:20         C1150付近、沢出合(入渓)
09:30         C1600付近 第一花畑
10:10         C1650付近 稜線出合 (第二花畑)
10:40         ペンケヌーシ岳(1750m)頂上

<下り>
11:15         下山開始
12:10         第一花畑
13:30         登山口



当時(2004年6月)の記録を元に地形図に移行したルート図です・・・

★ あくまでも17年前の記録・・・
参考にはならない記録ですが、まだ未踏の方には、少しだけもお役になれば幸いです。

2016(平成28)年8月に発生した台風10号の影響で、以前利用出来たパンケヌーシ林道の一
部が崩壊し、復旧の目途が立たないまま現在も通行止めとなっている。日高の登山愛好家にとって
「春別岳(1492m)」や「チロロ岳(1880m)」、「止別岳(1381m)」、「ルベシベ山(1740m)」そして
「雪盛山(1726m)」と「ペンケヌーシ岳」を登る際は、この林道の利用は欠かせなかっただけに、
通行止めの今、これらの山は「遠い山」となりつつある。

崩壊した箇所は、春別岳の登山口ルートに近い二ノ沢出合付近だが、通行止めはパンケヌーシ林
道出合からなので、仮にチロロ岳を登ろうとすると約11㎞に及ぶ林道歩きのアルバイトを強い
られる。ペンケヌーシ岳なら更に8㎞プラスとなるので、もはや日帰りで行ける山ではなくなっ
たと言って良いだろう。

そんな中で17年前の記録を公開したところで、どうにもならないかも知れないし、この数年人
が立ち入っていないとすれば、かつての登山路や沢の状況も分からないままなので、計画には慎
重にならざる負えないだろう。
しかし、私たちのように北海道の1000m超峰を求める愛好家にとってこれらの山が未踏なら、
重装備で長い林道を歩きテン泊してでも挑戦したいと思うのは、決して稀な事ではない。


登山口から本流正面に見える滝の前で・・・左岸側の奥に林道が続く


林道脇に咲いていた「ノビネチドリ」


入渓前の林道から見下ろす六ノ沢


C1150付近の入渓点・・・

★ 紀行文が無かった・・・
全てのコースタイムは、記録しているつもりだったが一部写真が無かったり、紀行文を残さずに終
えていた山もあるようだ。このペンケヌーシ岳も写真とコースタイムの記録は見つかったが、詳し
い紀行文が無く記憶だけで書き残すしかないようだ。

当時は、某山岳会に入会していた時期で同年10月には会のメンバーと妻も同行して再訪している。
この頃の私たちは、まだ45~6歳で登山が一番面白くなっていた頃でもあった。高山植物まで興
味があったのか?花の写真が多いことにびっくりしている。

記憶を絞り出そうと何度も思い出そうとするが、まったく戻って来ない・・・。
17年という歳月は、写真を残しても記憶まで残してはくれないのだろうか。
それとも単に山行の1ページくらいにしか思っていなかったのか、終われば忘れる山行だったのか
その原因を一つ思い浮かべたのだが・・・。



「キバナノコマノツメ」


荒れた六ノ沢本流のルート・・右岸にテープやペンキでルートを示している


「ムラサキヤシオツツジ」


「ゴゼンタチバナ」


「タカネザクラ」


「シラネアオイ」


稜線手前の沢源頭部


雪渓・・・




たまには被写体・・・若き私(エバ)


同、妻チーヤン・・・




「キバナシャクナゲ」


「オオバキスミレ」


「チングルマとコエゾツガザクラのコラボ」


「コエゾツガザクラの群落」




「コマクサ」


稜線上の砂れき帯にて


「イワウメ」



★ 原因?・・・
某山岳会に入会が認められたのは2000年3月だった。その前から山岳会の山行にはゲスト参加
として何度も出掛けていたので、入会後も違和感なく活動が出来たと思う。そして、個人山行から
会山行が忙しくなっていったのは2003年頃からで年間50回以上100日を超える勢いで山に
のめり込んでいった頃だった。会としてはまだ新人だから山行のリーダーを務める事はなく、その
間、装備や食当、計画・運転などリーダー以外の事はほとんどやらせて頂いた。

そんな中の夫婦登山の事である。一応リーダーだと思って準備を進めていたが、ほとんど初登の山
は無く妻の未踏峰狙いで案内する山行が多かった頃でもあった。つまり、知っている山に再訪する
形なので緊張感が薄れていたのかも知れない。それは、会山行でも付いていく山行であれば先輩た
ちに付いて行くだけで登頂も出来るし、難しい場面でもサポートをしてくれるので記憶が薄くなっ
ていたのだろうか・・?

そんな事が、紀行文を残さなかった原因ではと今になって思うところだ。



2004年6月27日  ペンケヌーシ岳(1750m)頂上 エバ2回目、チーヤン初登頂


砂れき帯の広い頂上部・・・チーヤンはお勉強中?


今の残っているのだろうか・・・?


「カラフトイソツツジ」

★ 記憶の無い山行記・・・
登頂したかどうかなんて、悪まで自己申告であり頂上写真があったとしても標識が無ければどこで
撮った写真か分からない場合もある。ガスったりホワイトアウトだったり周りの景色が映っていな
くても、どこで撮った写真か分からない。北海道の全山1594座を踏破した岳友の故・児玉保則
氏は、登頂を証明するもう一つの証として必ず複数で登っている。GPSで頂上であることを複数
人で確認する事で、頂上標識が無くとも一緒に登った証人がいる事を強みとしていた。

過去を振り返り、自分が登って来た山を思い出す時、私はまず記録日誌を見て写真のデータを見る
事が多い。ブログを開設した2009年からは、必ずと言って良い程登った山をアップしているが
それ以前に登った山は、書き留めたメモと写真しか無い。

今回のように記憶の無い山行記もこれからまだ出てくるのかも知れないと認識した。



下山時のハイマツ帯にて・・・


再びイワウメの群落


「ショウジョウバカマ」


下りで使用した支沢だと思う・・・?


登山口の滝にて・・・



★ 林道の最新情報は・・・
今はネットの時代・・・林道情報も所管する森林管理署からHPなどで発信されているので最新情
報の入手も便利になった。北日高の林道を管理しているのは、日高北部森林管理署である。
問合せは・・・電話 01457-6-3151(8:30~17:15 土日祝は除く)で確認できる。

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