ルーム・ストラト~音楽と私~

タイトル通り、筆者が好きな音楽の事を中心に自分勝手に書きます。

名盤紹介Vol.4

2010-01-18 08:51:43 | 日記
今週からテストですねwww
とりあえず単位とるために頑張らないとなぁと。

だが、そんな憂鬱を吹き飛ばすのが、今回の紹介する名盤、ジューダス・プリーストの『復讐の叫び』です。


この作品はブリティッシュヘヴィメタルの金字塔と言われていますが、それはヘヴィメタル不毛の地と言われたアメリカで、この作品が大ヒットしたからです。
つまり、ポップかつヘヴィ。大衆の心も、メタルファンの心もつかんだ作品とも言えるでしょうか。

冒頭。この作品は冒頭で名盤が決定したようなものです。
まず、ヘリオンという短いインストから始まるんですが、これが重く、圧倒的なものを持って迫ってきます。
これは、これから始まるものへの序曲のような感じです。

そして、そのままエレクトリック・アイへとつながります。
エレクトリック・アイは重い、またシンコペーションを意識したリフとあえて高音を抑えたボーカルが迫力と、疾走感を生んでいます。
これぞまさにジューダス・プリースト。他にこのような圧倒的な音を持っているバンドは私の知る限り皆無です。
そしてこの二曲の流れが、まるでクラシックの場面転換のように美しい。

そして、またもや間髪入れず、ライディングオンザウィンドへ入っていきます。こんどはロブのハイトーンが炸裂する曲で、メタルのヒステリックな部分を存分に楽しませてくれます。
この一連の流れは、メタルの迫力と様式美を完全に理解している編曲と言えるでしょう。
さすが、メタルゴッドですね。

ちなみに、二曲目の重いボーカルも三曲目のハイトーンもロブ以外に完璧に歌いこなせる人はいないと思います。
やはり、ジューダス・プリーストはボーカルありきのバンドなのです。
ロブの圧倒的な存在感が、“メタルゴッド”の名にふさわしいです。


だからといって他のメンバーの印象が薄いわけではありません。

特筆すべきはやはり、ツインギターでしょう。
いやー、重い重い。そして音が神々しい。リフも、ギターソロも余裕があり、その音色はまさにゴッド。

このツインギターのグループがジューダスサウンドの肝でしょうか。


ジューダス・プリーストは私が他にお薦めするのは、2ndの『運命の翼』とライヴ盤の『イン・ジ・イースト』ですね。
どちらも初期の作品ですが、とても聞き応えがある名盤です。



ブルースや三味線の後にメタルが来たんでびっくりされてる方もいらっしゃると思いますが、いいものは良いんです。

やはりジャンルに捕らわれいると、色々損をすると思います。
私も、生きているうちに色々なジャンルの、より良い音楽に出会っていきたいものです。

ではまた。

寒い。。

2010-01-15 20:52:25 | 日記
寒くてが指動かないわぁー。

凍死するような場所で弾き語りやってたブルースマンて一体どんな体力あるんじゃい。

皆さん風邪には気を付けてくださいね。

あ、体暖めるにはウィスキーがオススメだよ☆

すんません。テンションおかしくてm(__)m

名盤紹介Vol.3

2010-01-15 02:30:00 | 日記
おはようございますm(__)m
今回は津軽三味線の名人、初代高橋竹山の作品を紹介します。

今回紹介するのは1963年の彼のデビュー作です。

収録されている14曲が全て三味線独奏で、古くからの民謡から、彼のオリジナル的な曲まで様々です。



さて、いざ聴いてみますと、見事に圧倒されました。
その卓越した技術、豊かな表現、澄んだ音色、そして独特なメロディライン。

冒頭からすでに、演奏に鬼気迫るものを感じました。とにかく、言葉では表しにくい何かが込み上げてきました。

やはり私も日本人。三味線の音色を聴くと、血が騒ぐとでも言いましょうか、興奮してきますね。
元々三味線の音色はかなり好きでしたが、こんなに衝撃と感銘を受けたのは初めてです。


私は日本人のくせに洋楽ばかり聴いていて、日本にこんなに素晴らしい演奏家がいた事に長い間気付かなかった事がとても恥ずかしく思えてきました。
色々な演奏家を聴いてきましたが、間違いなくこの人は音楽史に残るべき人だと思います。

それは、この人がただの演奏家で終らなかったからです。
ジョン・コルトレーンやジミ・ヘンドリクスのように、いつまでも新しい事に挑戦し続けているのには、本当に頭が下がります。

高橋竹山は子供の頃の病気でほとんど目が見えなかったそうです。
東洋のブラインド・ブレイク、と言ったところでしょうか。

でも、盲目だからこそ、聴覚が大いに発達したのかもしれませんね。


また、名人となった晩年も常に新しい音楽を創造しようとしていたようで、ジャズ、クラシック、ロック、民族音楽から地球上のあらゆる音楽を聴いていたそうです。
鳥の鳴き声なども三味線演奏のヒントにしていたらしいですからね。


彼の言葉に、

「古いものをしっかりできなければ、新しいものは創れない」
「外国の音をちゃんと聴かなきゃダメだ。」

という言葉があります。



最近の日本は昔の音楽を軽視する傾向がどうしてもあるようですが、昔から今までずっと残り続けているものはやはり偉大です。
何故なら本物だけが人々の心に残り続けると、私は思うからです。


あとは、伝統的な三味線に外国の音を積極的に取り入れようとしていた事も本当に素晴らしいと思います。ある意味、革命家だったと思います。

その上で、一番大事な芯は絶対に揺らがないという。


音楽に、三味線に命をかけるというのはこういう事なのかもしれません。
そして、そういう人でなければ出せない音があります。

そういう音を私はずっと求めています。

だから私はそういった所にも感動させられました。
もちろん音楽そのものにも本当に感動しましたし、日本にこんなに素晴らしい人がいたなんて、本当に驚いたし、この人は日本人の誇りだと思います。


日本人には、もっと高橋竹山を、津軽三味線を知ってもらいたいですね。
せっかく日本人なのに、勿体ないと思いました。

ではまた。

名盤紹介Vol.2

2010-01-13 11:18:14 | 日記
おはようございますm(__)m
今回はブルースです。

その中でも私のお気に入りとなっている、ライトニン・ホプキンス(Lightnin' Hopkins)のモージョ・ハンド(MOJO HAND)を紹介します。



いやー、戦後弾き語り系ではジョン・リー・フッカーと並ぶ有名な人なんですが、この人程『ブルース』という言葉が似合う人はいないでしょう。


一言で言えば、

“黒い”

でしょうね。


もうギターから声から全てが下品でドロドロのブルースです。ダーティという表現も合うかも知れません。
だからこそ、頭で考える前に直接的に心に届くんでしょうか。まぁ、今回はレビューなんで多少の分析も入りますが。


この人の音は本当に心にしみます。だから、元気をくれるときもあれば、悲しみのどん底に叩き落としてくれることもあります。


曲調としては、陽気なブギとドロドロなスロー。
しかし、力強いギターと歌声はどの曲でも変わりません。本当に力強い。音に芯がある。

変な言い方ですが、腹の底というより、地獄の底から聞こえてくるような声をしてますね。

これは単純にカッコいいと思いましたね。
映像を見てさらに惚れましたが。
人柄も大らかで親分肌だったそうです。本当憧れるなぁ~。
でも、若い頃は綿花畑で働いていたこともあるようで、本当に苦労したんですね。


ちなみにこの人の場合、ドラムとベースをバックにエレキギターで弾き語るのがよくある演奏形態なんですが、今回は全編アコギですね。ピアノも弾いてます。

ギター的には、ヘラルド盤のようなエレキのライトニンももちろん素晴らしいのですが、アコギだからこその重さ、激しさを感じる事が出来るのがこの作品の良い所だと思います。

弦が錆びているんでしょうか。低音弦はかなり丸い音ですね。
でもそれを思い切りはじく訳ですから、何とも言えない迫力が生まれるわけです。
さらに普通はブルースは12小節で一回しなんですが、ライトニンの場合はバラバラで、11になったり13になったりすることもあります。適当ですねー。
でも心の赴くままに弾いたらそうなったんだと思います。これもライトニンのブルースの大きな特徴です。


ブルースはアメリカの民族音楽と呼べるのではないでしょうか。

民族音楽には、余分な装飾がほとんどありません。
飾り気の無い本心、本能を音楽にぶつけるとでもいいましょうか。

だからこそ本物として私達の心に直接訴えかけてくれるのだと思います。

ある本で読みましたが、ライトニンのギターは琵琶や三味線にも似ているみたいです。
なるほど。確かにどちらも土着の音楽ですもんね。
どこかに共通点があるんでしょう。


音楽って本当に面白いですね。

ではまた。

テクニックとは?

2010-01-12 14:40:06 | 日記
今回は、音楽の話で必ずと言っていい程話題に出る、テクニック(技術)と表現の話です。


私自身はとてもテクニカルなギタリストとは言えないのですが、やはり速弾きには憧れますし、練習もそれなりにします。
特にアル・ディ・メオラやイングウェイ・マルムスティーンの様な目(耳?)にも止まらぬ速弾きには、本当に感動します…。



1980年代の技術至上主義の後に出てきたパンクバンド、グランジバンドは
「テクニックをひけらかすのは音楽じゃない」
と、言わんばかりのプレイをしました。

だからといってテクニックがいらないという訳ではありません。
もちろん、テクニックが無いと音楽ができない訳でもありません。



では、テクニックとは一体何なんでしょうか?


私自身の考えとしては、テクニックとは、

“自分が表現したいものを音にするための手段”

だと思います。


だから、人それぞれ表現したいものがある以上、テクニックがあるか無いか判断するポイントも人それぞれです。

一発のチョーキングに全てを懸ける人もいれば、いかに流麗にスケールを弾くかを美徳とする人もいます。
それぞれ練習方法も練習時間も異なりますが、どちらも本気で演奏する事に変わりはなく、人々の感動を誘う事も同じです。


要は本気で音楽をやっているか?コレに尽きると思います。
本物か偽物かはここの違いが全てかと思います。


また、もう一つ大事な事として、音楽は余程の事が無いかぎり聴き手があってこそのモノです。

だから、ただテクニックを極める事に夢中になって、音楽が置き去りになっている人や、興奮や感動を求めるあまりテクニックの欠けらもない酷い演奏をする人は、ただの自己満足の手段として音楽をしているだけで、私からすれば論外です。

突き詰めれば音楽は自己満足なのかもしれません。

ただ、何か伝えたいことがあって音を出すのでしょうから、音楽はプレイヤーとリスナーがしっかり結び付いていなければいけないと思います。


だから、私の音楽も、人の心にちゃんと届いていればと願うばかりです。
もちろんそのための努力は怠りませんが。


最後に、ウィントン・マーサリスの言葉を…

「最高のテクニックとは、ニュアンスである」


テクニックを極める事と音楽を極める事は全く別の事ですよね。

ではまた。