いつも心は春気分

2017年9月17日の台風18号被害で生活が一変しましたが、新しい地で心機一転。
穏やかで元気な日々を綴ります。

母の不思議

2019-09-24 21:01:20 | 日記
 うちの両親は、とても仲が良かったと子どもながらに思います。
 周囲の人からもよく言われました。
 今、入所している施設でも言われます。

 一昨年の台風で被災して、大きな家には住めなかったので、
 両親は施設に入所しました。
 仲が良い2人が一緒なので、私たち娘も安心でした。

 母は認知症です。
 数秒前のこともすぐ忘れます。
 でも、いつも一緒にいる父のことは忘れません。

 母の方が入院することが多かったので、母がいないと父が探していました。
 今回は、父が急に入院したために、母が
 父がいないと探し回っていたそうです。

 両親の部屋は、1人部屋の仕切りをはずして2人で使っていました。
 最初の頃、母が父を探し回るので、父のベッドが見えないように一人仕様にしてくれました。
 
 それからでしょうか。母が父を探さなくなったというのです。
 しかも父のことを一言も言わないのです。

 ただ、寂しいという思いはあるらしく、しょっ中、みんなのいるところに出てくるのだそうです。

 「寂しいから来た…」と言って。

 父がいないから寂しいのでしょうが、父がいないというのは
 どうも頭の中から消去しているのです。

 父が入院している時、母を3回ほどお見舞いに連れて行きました。
 娘2人とのドライブが嬉しくて
 「嬉しいなあ」「楽しいなあ」「久しぶりやなあ」を連発します。

 今から、お父さんのお見舞いに行こうな
 というと、
 「お父さんって誰?」
 というのです。

 エッ?お父さんやん。
 というと、
 「名前言って」というのです。

 名前を言うと
 「エッ?入院してるの?どこが悪いの?」
 という返事が返ってきます。

 そして、病室に連れて行くと
 「お父さん。私よ。わかる?」
 と声をかけるのです。

 何かもう最初にお見舞いに行ったときに、長くないということを悟ったのでしょうか。
 長年連れ添った夫婦の勘というか…
 だから普段は、自分の中から消去してしまったというか…

 何かすごく不思議なんです。

 お葬式に参列させるのも考えました。
 でも夫婦の最期の別れだから、顔は見せてあげたい。
 父もそれを望んでいたと思うのです。

 施設の看護師さんは心配していました。
 それが傷となって残らなければいいけど…って。

 でも大丈夫でした。
 父の顔を見て「きれいな顔してるね」って。
 お経の間もずっと静かにお参りしていました。
 お骨も一緒に拾いました。

 施設に帰っても大丈夫だそうです。

 母は強い!
 認知症だけど、自分の中で知らず知らずちゃんと整理しているのです。
 悲しい思いをしないために、残りの人生を楽しく生きるために…

 以前よりも頻繁に顔を出したり、連れ出してあげないといけないなと思っています。
 

9月は忘れられない月になりました

2019-09-23 11:24:22 | 日記

 一昨年、2017年の9月…
 私は、4日(月)に入院し、5日(火)に手術。
 術後の経過も良く、14日(木)に退院しました。

 そして、退院して3日後の17日(日)に大型台風18号が襲いました。
 気づいたときには既に遅く、あっという間に水が入って来ました。
 両親と妹と2階に避難し、救命ボートで救助されました。

 一昨年の9月に体験したことは、一生忘れられない出来事です。

 1年が何とか過ぎ、今年2年目を迎えようとしていました。

 9月15日早朝。

 看取りで入所していた施設から電話がありました。
 父の呼吸が止まったという知らせでした。

 病院で25日間、点滴と抗生剤の治療を受けましたが、絶食でした。
 あんなに食べるのが好きだった父が何も食べられず、でも食べたいとも言いませんでした。
 毎日顔を見に行き、声をかけられるときは声をかけ、反応があるときとない時とがありました。

 25日間、よく頑張りました。
 さすが戦時中を乗り越え、何でもしっかり食べてきたからこその体力でした。
 92歳とはいえ、本人は死ぬつもりなんかなかったと思うのです。

 病院から看取りの施設に移り、私たちが帰るときに

 「はい。さよなら」

 と言ったのが最期になりました。

 駆けつけたときは、まだ息をしているように穏やかでした。

 そして、体をきれいにしてもらって、葬祭場で寝ている父は更に穏やかで
 美しい表情をしていました。
 まるで生きてるかのような、若い頃の父のような表情でした。

 見舞いに行ってくれた叔父夫婦(母の一番下の弟夫婦)も
 見舞った時は見切らんかったけど、いい表情してるなあ。安心した…
 と言ってくれました。

 そして、まさしく一昨年台風被害に遭った日と同じ 9月17日に
 父の葬儀は行われました。
 家族と叔父夫婦だけで見送りました。

昨日と今日のランチ

2019-09-14 19:27:44 | グルメ
昨日も今日も仕事で、仕事のスタッフと外でランチを食べました。

まず昨日は、南大分の薔薇屋。
かなり昔からあるメニューが多いレストランです。
注文したのは…





チキンのコロッケと白身魚のフライランチ。
野菜もたっぷりで、スープもセットになっています。
また、ランチには、どのお皿にもミニオムレツがついています。

美味しいし、ボリュームもあります。
久しぶりに来て、たまには友だちや妹を連れて来てもいいなと思いました。


そして、今日は、以前も行った中島の韓丼。
注文したのは…





塩豚トロ丼。スープがセットになっています。
豚トロが柔らかくて、ご飯にも塩ダレがしみ込んでいて、美味しかったよ。
ここは、ご飯の量もそんなに多くはないから食べやすいのがいいですね。

父 その2

2019-09-12 22:40:49 | 日記

 昨日、父が入院している病院の担当医から「相談がある」という連絡がありました。

 話を聞くと、使っている抗生剤が効くどころか、副作用が出ているとのこと。
 肝機能が落ち黄疸が出ていて、
 右肺の中はレントゲンを見ると真っ白で、注射器で抜くとドロドロの液体なんだそうです。
 口の中も潰瘍が出来ていて、これ以上、治療を続けても悪くなる一方とのこと。

 「治療をやめましょう」と提案されました。
 そして、看取りの施設に行くことになり、今日、転院してきました。
 今までの病院より、少し近くなりました。

 父は一応、「はい」という受け答えはします。
 でもそれ以上は、ほとんどことばはありません。
 何か言うことはありますが、ほとんどうわ言のような感じで何を言っているのかわかりません。

 私と妹のことももうよくわかっていないようです。
 でも、痛みとか苦しいとかいうのは、ほとんど感じていないと聞き、安心しました。

 点滴もしないからきつくないと思います。
 ただ、今まで点滴をしていたから、食事をしなくても体力が持ったのだと思います。
 あとは、父の体力次第。

 施設では、お風呂に入れてくれるそうです。
 病院に入院している間は、身体は拭いてくれていましたが、
 お風呂に入れなかったので、気持ちが良くなるだろうなあ。
 有り難いなあ。

 そういえば、今日の移動手段は介護タクシーだったのですが
 施設に着いて、部屋のベッドに落ち着いたとき
 「はい、どうも」
 といつもの父のはっきりとした口調で言ったのには、驚きました。

 そして、そばを離れるとき、看護師さんが
 「帰ると言ってるよ」といい、

 私たちも「じゃあね。明日もまた来るね」と言うと、
 
 「はい。さよなら」って。

 もう25日間も食べていないのに、しっかりしているといえば、しっかりしてる…

 食べるのが好きだったのになあ。

 父の体調のバロメーターは、食事の食べ方でわかるんです。
 珍しく食欲がないから、よっぽど体調が良くないんだろうな
 と妹と話すこともありましたが、過去ほとんどありませんでした。

 少々体調が良くなくても、食べる。
 だから体力があるんだと思います。

 でも、今は、食べたいとも言いません。

2019-09-09 20:21:17 | 日記
何から話しましょう。
ずっとずっと更新できなかったわけ…

お盆まではとにかく忙しくて、お盆の週はお休みでした。
でもお盆の週に、両親が入所している施設から連絡があって
父を2回、病院に連れて行きました。

8月に入って、父の様子が急に悪くなったということでした。

8月13日に呼吸器内科へ。
元々、ヘビースモーカーだったのですが、定年を機にタバコをやめました。
でも年をとる毎に、痰がひどくなり、呼吸も浅いということでCT検査に行きました。

8月16日の朝、突然連絡があり、おしっこが昨日から出ていないので
泌尿器科で検査をしてもらってくださいでした。
前立腺がんの影響もあるかもしれないということでした。

2日とも歩くのがおぼつかなくなっていて、肩に手をまわして歩いたり、
車椅子を借りて移動したりでしたが、
気持ちというか、意識はしっかりしていて、会話も普通にできました。

で、突然、翌週の月曜日、19日の朝、施設から連絡があり
1時間前に急に意識がなくなったというのです。
それから、かかりつけの病院に救急搬送されました。

高齢者に多い誤嚥性肺炎でした。
おしっこも出づらくて、身体も手も足もむくんでいました。
私たちが駆けつけたときは、意識を取り戻し、すごくはっきりした会話ができたのですが
先生から看取りも頭に入れておいてくださいと言われました。

あれから、3週間経ちます。
絶食で、水分も少しだけ、点滴も通常の半分しか出来ません。

毎日、仕事が終わってから病院に様子を見に行きます。
声をかけて、わかる時と全くわからない時と日によって違います。
ベッド上でのリハビリも毎日行っているみたいですが
いつも行くのがその後になるので、疲れて眠っています。

息が苦しそうなときと、スヤスヤと眠っているときと、いろいろです。

8月30日に、92歳になりました。すごいでしょ?!
そこまで持たないかもしれないと思っていましたが、すごく生きたいという気持ちがあるのだと思います。

痰の吸引をする時もすごく苦しいらしいのですが
最初の頃は、看護師さんいわく
「殺さんでくれ!」と言っていたそうです。

高齢なので、覚悟はしていましたが、もう1〜2年は大丈夫だと勝手に思い込んでいました。

いろいろ思いはあるのですが、なかなか書く気にならず、ご無沙汰してしまいました。

出来たら、少しずつ更新していきます。