motoの徒然なるままに…

日々是好日日記

「最後の手紙」

2022年05月06日 | 日々徒然
⬛️最後の手紙⬛️
 
志村へ
 
この手紙をもって
俺のコメディアンとしての
最後の仕事とする。
 
まず、俺の芸能人生を
解明するために、DVDを
買うようお願いしたい。
 
以下に、
コントについての
愚見を述べる。
 
コントを考える際、
第一選択はあくまで
「笑いを取れば勝ち」
という考えは今も変わらない。
 
しかしながら、
現実には若手芸人の多くが
そうであるように、
 
他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで
内輪受けに走っている事例が
しばしば見受けられる。
 
その場合には、企画段階から
綿密な計算と準備が必要となるが、
残念ながら未だ満足のいく
コントには至っていない。
 
これからのコントの復活は、
綿密な企画立案、それとライブ
の復活にかかっている。
 
俺は、志村がその一翼を担える
数少ない芸人であると信じている。
 
能力を持った者には、
それを正しく行使する
責務がある。
 
志村にはコントの発展に
挑んでもらいたい。
 
遠くない未来に、
素人いじりや他人をこき下ろす
コメディが、この世からなくなる
ことを信じている。
 
ひいては、
俺のネタを研究した後、
計算された笑いの一石として
役立てて欲しい。
 
リーダーは活ける師なり。
 
なお、最後に、
お笑い芸人でありながら、
多数の人を泣かせて
旅立ったことを、
心より恥じる。
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「叱る・怒る」

2022年05月06日 | 日々徒然
⬛️「叱る」と「怒る」の違い⬛️

近頃、叱ることのできる人が少なくなったということを時々耳にする。「叱る」ことと「怒る」こととは似ているようでかなり異なる。「人を叱る」というのは、相手のためを思って心に余裕があって行えることであり。「怒る」というのは、感情の赴くままに感情を爆発させた状態である。

「叱る」ことの裏側には、指導する人と指導される人という暗黙の関係があって成り立つものでもあろう。更に言えば「叱る」ことができるためには、その人に対する愛情と、確信に近い確固たる価値観、人間観、処世知といったものがなければできることではないであろう。

したがって、叱ることのできる人が少なくなったというのは、人に対する愛情が少なくなったか、確固たる価値観を持てなくなったか、心に余裕のある人が少なくなったかの何れかが原因なのであろう。

民主主義が普及したせいか、悪平等主義がはびこったせいか、はたまた「徳育」が死語になったせいか分からないが、叱ること、叱ることのできることを大切に考えたいものである。あなたはできていますか?
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「彼女に会わせて」

2022年05月06日 | 日々徒然
⬛️彼女に会わせて⬛️

俺には可愛い彼女がいた。性格は素直でスタイルも良かったが、周囲からは「え、あの女と付き合ってるの? お幸せに(笑)」と、よく馬鹿にされた。彼女は頭が非常に弱かった。高校を中退し、通信制の学校を四年かけてやっと卒業。まともな職にも就けず、派遣会社で毎日を繋ぐどうしようもない女。おまけに中学時代から周りの男に騙されては性欲処理に使われていた。友人の紹介で彼女と付き合い始めたのだが、これは彼女が妊娠しても俺に責任を押し付けられるという算段があってのことだったらしい。

付き合って一年は仲良く過ごしたが、やはり彼女と居るのが恥ずかしくなって行った。周りの目を気にしていたのは言うまでも無い。彼女は俺に甘えたり、俺の気を引こうとしていたが、それも逆に鬱陶しく感じるようになった。大学で良い結果が出せないことで苛々していた俺は、次第に彼女に対して冷たくするようになった。

ある日、胃腸炎で寝込んだ俺の家に彼女が来ることになった。嫌な予感はしていたが、予感は的中した。皿は割る、洗剤は溢す、まだ乾いていない洗濯物をベッドに放り込む、お粥は煮え過ぎて不味い。極めつけは、俺が大事にしていたエンタープライズ(戦艦)のプラモをぶっ壊したことだ。棚を掃除しようとして落っことしてしまったらしい。俺は完全にキレた。「もう、何やってんだよ!!死ね!帰れ!」と叫び、彼女を突き飛ばした。彼女は泣きながら、「ごめんね」と呟いて玄関に消えて行った。

それから一週間後、彼女は交通事故に遭った。連絡を受けて病室に入ると、医者が「ご家族の方ですか?」と聞いてきた。俺は首を横に振った。「お友達? 良かった。家族の方と連絡が取れなくて困ってたんです」そう言って医者は彼女の酸素マスクを取り、一言残して部屋を出て行った。「手を尽くしましたが、今夜が最後です」どれだけ時間が経っただろうか、深夜になり彼女が目を覚ました。崩れてゼリー状になった目から、血の混ざった涙が零れた。「ゆう君…(俺のこと)」彼女は俺の手を握った。もう、握るというほどの力も無かったが。「…ゆう君のこと考えてたら…私、信号見てなくて…」彼女の息が荒くなった。「…ゆう君の家、また行っていい? 仲直り…」「いつでも来いよ…元気になったら」彼女はニコッと笑った。「…ゆう君…」「料理も掃除も教えてやる。でもその前に怪我治せ…おい!」彼女は息絶えていた。

その後のことはよく覚えていない。医者と看護士が慌しく入って来て、死亡判定のようなことをやっているのを眺めていた。そして気が付いたら、彼女は棺桶に入っていた。のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった。葬式も告別式も、全てが事務的だった。悲しんでいる人は居なかった。「ああ、めんどくさい」と愚痴るやつも居たと思う。

後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った。古ぼけたアパートで、部屋も狭かった。相当質素な生活をしていただろう。机に日記帳があったので開けてみると、下手な字で俺との出来事が書き込まれていた。日付は交通事故の前日で止まっていた。涙が止まらなかった。『ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった。みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな。あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう。おかゆもそうじもれんしゅうしたから、ゆう君は、よろこんでほしいな』

今、彼女の墓は吉祥寺にある。もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女に会わせて欲しい。
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「ありがとう」

2022年05月06日 | 日々徒然
🟦ありがとう🟦

言う方も言われる方も嬉しいね😊
写真は昨日の青空。気持ち良かった〜🗻
お空にも「ありがとう」ですね💟

Sometimes all we need is a little pampering to help us feel better..
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