🟥独楽(どくらく)の境地 🟥
「独」という字には、非常に複雑な、非常に深遠な意味がある。まず第一番に誰にでもわかるように多くの人に対する一人、孤独の独という意味があり、そのほかに「絶対」という意味がある。相対を超越するという意味の独である。「超越する」という言葉もまた、みだりに使えないけれども、相対を突きつめると絶対になる。それをさらに突きつめると人間も独になる。
つまり、孤独の独ではない。絶対の独なのであります。それがわかって初めて独立・独参・独行(どくぎょう)となる。剣聖・宮本武蔵は「独行道」と言うております。われわれもまた複雑きわまりのない現実の中にあって、時には独になりますが、独を味わうことは極めて尊いことです。「荘子」ではこれを「見独」と言い、仏教では必ずしも禅にかぎらんが、独の深理、教え、真理を説いておるのです。
そしてだんだん独に徹していくと、初めて真の楽しみも開けてくる。そこが人間精神の最も微妙なところで、「独楽(どくらく)」の境地が開けてくる。これを「一人楽しむ」なんていうのは極めて浅薄なる解釈であって、本当は「独の楽しみ」と考えなければならん。
すなわち、自分自身、孤独、これは誰も寂しいことであるが、その孤独にだんだん徹していくと独楽の境地が開けるのであります。「独」の楽しみ(安岡正篤)📖