1987年2月27日セントルシアのJ6CQと14MHZのCWで交信できました。1979年2月に独立していますが、独立前のプリフィックスは、VP2Lでした。独立後は、比較的多くのDXペディションが実施されていますが、日本からは伝播的にも難しいところです。
4月2日(土)午前7時から14.292MHZ付近でオンエアーミーティングを開催します。キー局は、四日市のJA2BDR局です。
皆様の近況報告等お知らせください。三重県外局も信号が聞こえましたら、ブレークください。
皆様の近況報告等お知らせください。三重県外局も信号が聞こえましたら、ブレークください。
1987年2月8日レビジャヒヘド諸島のXF4DXと7MHZのCWで交信しました。
ロケーションが、メキシコ沖の太平洋ということもあって、DXペディでは強力な電波で入感します。先日の4A4Aもいろんなバンドで交信が楽しめたことだと思います。
ロケーションが、メキシコ沖の太平洋ということもあって、DXペディでは強力な電波で入感します。先日の4A4Aもいろんなバンドで交信が楽しめたことだと思います。
1987年1月28日ピョ-トル1世島の3Y2GVと14MHZのSSBで交信しました。
3Y1EEと共にこのQRVでNewエンティティとなりました。
14MHZでは、連日夜に入感しましたが、パイルが激しくなかなか交信できませんでしたが、約1週間呼んでやっとできました。CWでも3Y1EEとQSOできました。
1994年には、3Y0PIが2回目のQRVがありましたが、初日は強力に入感したものの、ブリザードでアンテナがやられて、信号が弱くなり、QSOできませんでした。
2006年2月には、3Y0Xが運用され、日本からもたくさんの局がQSOできました。
3Y1EEと共にこのQRVでNewエンティティとなりました。
14MHZでは、連日夜に入感しましたが、パイルが激しくなかなか交信できませんでしたが、約1週間呼んでやっとできました。CWでも3Y1EEとQSOできました。
1994年には、3Y0PIが2回目のQRVがありましたが、初日は強力に入感したものの、ブリザードでアンテナがやられて、信号が弱くなり、QSOできませんでした。
2006年2月には、3Y0Xが運用され、日本からもたくさんの局がQSOできました。
1986年11月30日アルーバのP40Nと14MHZのCWで交信しました。
アルーバは、1986年1月1日から、オランダ領アンティル諸島からセパレートとなりました。南米にカウントされますので、DXコンテストでは多くの局がQRVします。
アルーバは、1986年1月1日から、オランダ領アンティル諸島からセパレートとなりました。南米にカウントされますので、DXコンテストでは多くの局がQRVします。
1986年10月25日サンマルタンのWA4TLI/FSと21MHZのSSBで交信しました。
ひとつの島が、フランス領とオランダ領に分かれています。
オランダ領は、2010年10月10日から新しいエンティティとなったPJ7です。
ひとつの島が、フランス領とオランダ領に分かれています。
オランダ領は、2010年10月10日から新しいエンティティとなったPJ7です。
あの日(3月11日)から、すでに1週間経ちました。
地震や津波でお亡くなりなった皆さんのご冥福をお祈りいたします。
また被災にあわれた皆様の早期の復興をお祈りいたします。
当日職場で、大きな地震が東北地方で起こったを知りました。
しかし伊勢では、地震による揺れは感じず(震度1でした)津波注意報の発令で、災害対策本部が開催された頃に津波警報に切り替わりました。
すぐに、市民が海岸や河川敷に入らないように、パトロール班が出動しました。
伊勢湾での津波の到達時刻が、16時30分頃とTVで流れて、私は津波の状況を見に行くことになりました。伊勢湾沿いの伊勢市村松町の海岸に到着すると、消防団や漁協の方がすでに監視活動を行っていました。
通常なら、満潮に向けて潮が満してくるのだが、潮が引いていくおかしな変化があるとのこと、17時過ぎ予定より少し遅れて、津波の第1波が押し寄せてきました。約30分かけて潮が一番高くなり、また徐々に引いていきました。
19時前に、第2波がやってきました。(鳥羽の観測所では、1.8メートルの津波を観測)
現地調査の交代者がやってきましたので、職場へ戻ると、TVでは生々しい東北地方の状況が放送されていました。
職場は、津波警報が解除され津波注意報に変わるまで、交代で沿岸を中心にパトロールを行い、翌日(3月12日)の23時30分解散となりました。
伊勢では、小船の転覆2隻と海苔網に被害がでましたが、その後のTVニュースで、東北や関東地方の大きな被災状況を見て、本当に心を痛めております。
どのような復興になるのか、検討もつきませんが、被災された皆様が、一刻も早く、安らかな生活に戻れることを、心からお祈りしております。
私のブログも少しお休みしていましたが、すこしづつ再開させていただきます。
地震や津波でお亡くなりなった皆さんのご冥福をお祈りいたします。
また被災にあわれた皆様の早期の復興をお祈りいたします。
当日職場で、大きな地震が東北地方で起こったを知りました。
しかし伊勢では、地震による揺れは感じず(震度1でした)津波注意報の発令で、災害対策本部が開催された頃に津波警報に切り替わりました。
すぐに、市民が海岸や河川敷に入らないように、パトロール班が出動しました。
伊勢湾での津波の到達時刻が、16時30分頃とTVで流れて、私は津波の状況を見に行くことになりました。伊勢湾沿いの伊勢市村松町の海岸に到着すると、消防団や漁協の方がすでに監視活動を行っていました。
通常なら、満潮に向けて潮が満してくるのだが、潮が引いていくおかしな変化があるとのこと、17時過ぎ予定より少し遅れて、津波の第1波が押し寄せてきました。約30分かけて潮が一番高くなり、また徐々に引いていきました。
19時前に、第2波がやってきました。(鳥羽の観測所では、1.8メートルの津波を観測)
現地調査の交代者がやってきましたので、職場へ戻ると、TVでは生々しい東北地方の状況が放送されていました。
職場は、津波警報が解除され津波注意報に変わるまで、交代で沿岸を中心にパトロールを行い、翌日(3月12日)の23時30分解散となりました。
伊勢では、小船の転覆2隻と海苔網に被害がでましたが、その後のTVニュースで、東北や関東地方の大きな被災状況を見て、本当に心を痛めております。
どのような復興になるのか、検討もつきませんが、被災された皆様が、一刻も早く、安らかな生活に戻れることを、心からお祈りしております。
私のブログも少しお休みしていましたが、すこしづつ再開させていただきます。