アマ無線への思い

趣味であるアマチュア無線への思いをつづります

私のDXCC #31  Mozanbique(モザンビーク)

2010-05-30 | DX
1973年4月20日モザンビークのCR7IZと21MHZ SSBで交信できました。

開局して約7ヶ月、初めてのアフリカです。
学校から帰宅して、21MHZをワッチすると、EsでJA4方面が強く入感していました。
その中で、発見しピックUPしてもらいました。
当日のログを見ると、前後に2局ずつ計4局のJA4とQSOしています。
当時の私の設備は、TS511X(20W)に7MHZ用の逆Vでした。

なお、モザンビークのプリフィックスは、現在はC9です。ポルトガルからの独立で変更になりました。一時期局数も少なくなりQSOに苦労しましたが、最近は、小規模なDXedがよくあります。




私のDXCC #28  Nauru(ナウル)

2010-05-27 | DX
1973年3月28日ナウルのC29EDとQSOで来ました。

OPは、VK3TLで、C21TL・C20ED・C29EDのCallで、1971年から3年間大サービスをしてくれたようです。
1973年の6月には、JA1MCU/C21・JA1OCA/C21・JE1CKA/C21など日本人のOPもサービスしてくれました。

QSLは、1973年4月22日に21MHZのSSBでQSOしたものです。

私のDXCC #25 Thailand(タイ)

2010-05-24 | DX
1973年3月25日タイのHS4AGNと21MHZのSSBでQSOできました。

当時タイからは、日本人のHS1AHM原さんが毎日QRVされており、1973年4月19日にQSOしています。

タイは、昔は政情が安定していた国で、最近のタイ国内の混乱したニュースを見るとどうなってしまったの?と残念です。

私のDXCC #24 Laos(ラオス)

2010-05-23 | DX
1973年3月24日ラオスのXW8ESと28MHZSSBでQSOできました。
OPは、日本人です。当時ラオスへ日本から援助の方がたくさん行かれていたようですが、アメリカのベトナム撤退の影響か、ラオスも社会主義化され、その後段々と無線の運用が少なくなり、インドシナ半島の国は珍局となっていきました。