二十歳を過ぎたころ

小さなことに一喜一憂する二十歳を過ぎた学生の軌跡。
→いつの間にか社会人4年目。二十歳を過ぎたころからのブログです

3月度人事考課シート、桜の咲く週の初めに

2015年03月30日 23時04分36秒 | 日記

 早く帰る という年初の目標が嘲笑っている。そういう年度末。中国出張に2週間。前後の1週間は這うように捻るようにすり抜けるようにやり抜く。自己評点は低い。前月比横ばい。

 先週末の月一の全社会議も、週初めの今日も、朝、起きられない。仕事へのモチベーションが高いわけでも低いわけでもない。体調が良いわけでも悪いわけでもない。なぜなのだろうと思ったが、書いている途中に、だからなのかもしれないと思い直す。

 出社してみると、後輩が休んでいる。出身は他県、出身大学も他県。勤務先の県に友達がいるわけではなく、同期の面子は週末一緒にどこかに遊びに行くような輩でもない。手掛けるテーマの目的も見えにくく達成感も得られにくい。上司は放置気味。難しい。状況がそうさせなくても心に闇を抱えがちな気質のある彼ではあるが、ここに居る意味というか、生きがいというか、そういったものを見い出しにくいのかもしれない。
 自分自身は、大学時代、今となってはよくわからない情意を基にして、得意でもないバドミントンをするために部活動に入った。3年も務め、努めたが、能力は向上しなかった。それまでの自信やプライドが折れに折れた。ひたすら酒を飲んでばかみたいに騒いで、酔いつぶれる部員を介抱することに意味を見出すことは、今から思えば、難しかった。それでも3年も続いたのは、意味を見出すことが難しかったとすら当時は考えることすらなく、そこにいる意味を自問自答するのでもなく、望んで入った環境を与えられた環境だと思い込み、その中で自分の存在価値を模索しようともがいていたからだと思う。技量で後輩に教えられることは全くなかった。それでも何かを学んでくれるといいと思って、部活のホームページを整え、試合では誰よりも大きな声で応援し、創部50周年記念の記念誌の編集に携わった。もう一度大学入学からやり直すなら、バドミントン部には入らないのは間違いない。ただ、バドミントン部で得たこと、学んだことは、今に生きているのも、間違いない。
 心に闇を抱える彼は、注意するとふて腐れる態度をあからさまに取る。彼自身、分かってやっていてそうなってしまうのを止められないのか、止めようとも思っていないのか、あるいは分かっていないのか、それは分からない。ただ、うがった見方かもしれないが、今いる環境の中で価値を見出していく力は磨いてこなかったのかもしれない。そういう環境にいなかっただけなのかもしれないし、それは今となっては幸か、不幸か、分からない。何と声をかけるべきか分からないが、もう少し、様子を見ようと思う。自分だけの都合を言えば、彼にお願いしている仕事もあり、やってもらわないと困るのだが、急いては仕損じる。待つ。待つこととする。
 つくづく思う。嫌なことを言われるときこそ耳を傾けなければならない。耳に痛いことを言ってくれる人ほど大切にしなければならない。楽なほう、心地よいほうへ、流れていくだけでは、成長は無い。

 もう一つ思う。「望んで入った環境を与えられた環境だと思い込み、」と書いていて思う。環境を変える勇気は、当時も、今も、ない。結局自分も、「楽なほう、心地よいほうへ、流れて」いるだけなのだと反省する。

 桜が咲く季節。目線を下に向けても上に向けても花が目に入る。きっと誰もを応援してくれている。そう思いたい。そう思ってくれるといいと思う。