二十歳を過ぎたころ

小さなことに一喜一憂する二十歳を過ぎた学生の軌跡。
→いつの間にか社会人4年目。二十歳を過ぎたころからのブログです

ゆめの又ゆめ、高分子討論会

2008年09月27日 01時48分30秒 | 日記
24日から26日まで、大阪市立大学で開催された高分子討論会に参加した。大学2年の時の部活の大会で訪れて以来の大阪、だったかもしれない。

新幹線もホテルも予約してくださった指導教員の優しさに甘え、先生と先輩の後ろを歩くだけでよかった3日間は楽だった。「大阪市立大学に行くなら地下鉄の方が安くて乗り換えが少ないですよ」などと野暮なことを言ってはいけない。静々と、ただ後ろを歩くのみ。

しかし……電車を乗り間違えたのは流石に指摘した。これも後ろを歩く者の務めか。大学ではなく、危うく奈良へいくところだった。(笑)


学会発表と聞くと、講演会場でパワーポイントを使って大観衆を前に研究を朗々と語り上げる姿を想像されるかもしれない。確かに「口頭発表」の場合はそれに近い状況がそこかしこの講義室で見られるが、大観衆と言うほどの入りでは決してない。

一方、自分は「口頭発表」ではなく「ポスター発表」。A0サイズのポスターを体育館に並べられた看板に飾り、通り過ぎつつも興味がありそうな人に対して説明する、というものだ。40分前後の担当時間内に来た人は3人。後方で聞いていた人も含めると、6~7人といったところか。大盛況だった。先輩の実験の結果の整理でしかない発表だったが、いい経験になったと思う。

高分子学会という名前の通り、高分子合成から物性に至るまで、研究対象の物も範囲も広い。知識が狭く浅いこともあるのだろうが、仮に自分が10年後も大学に残っていたとしても、他の研究者のポスターを見て内容が理解できるとは思わない。気管支から肺胞に張り巡らされる毛細血管の如く、高度に局在化・専門化された学問領域で名を馳せるというのは大変なことなのだと改めて思い知らされる。

こういうアカデミックな雰囲気は嫌いではないし、むしろ好きな方だと思うが、素人目に見ても(作ってどうするのよ)と思わずにいられないグラフトポリマーや星型ポリマーを見たり、座長が必死になって質問時間を埋める努力をする口頭発表を聞いたりすると、これでいいのか?とも思う。いったいどれほどのポリマーが合成され、クロロホルムに溶かされ、ハロゲン系廃液と共に捨てられているのだろう。知的好奇心という大義名分の影に研究者の道楽は隠れていないのか?などと、ホテルで考えていた。

学会2日目は大阪城観光。こういう羽伸ばしも悪くない。足を棒にして、ひーひー言いながら、3人で頑張って歩いてきた。大阪城を訪れる人はぜひ、「大阪・夏の陣」について予備知識を得ておいた方がいい。その方が楽しめる。間違いない。


  つゆとをち つゆときへにし わかみかな
  なにわの事も ゆめの又ゆめ

豊臣秀吉が死を前に詠んだ辞世の和歌。天下統一を果たし、朝鮮進出も目論んだ偉人が残す「ゆめの又ゆめ」の言葉の重さと言ったらない。

2日目の夜は居酒屋で大変おいしい料理を頂きながら、生中を空ける。極上の幸せの一時だった。


3日目は学会会場へも行かず、早々と名古屋に帰る。特急を使わずにのんびり帰ろうと思ったのはよいが、降りしきる雨の中、青山町とかいう山の中にある駅に放り出されるとは思っていなかった。飽きるほどの深緑と立ち込める霧が、迫力をもってその自然の悠久を伝えてくる。特急電車の窓越しには決して感じられない圧倒的な緑と水が、そこにはあった。

伊勢中川を越えて近鉄名古屋線に入ると、少しずつ建物が多くなる。雨も上がり、車内も賑やかになる。急行と鈍行を乗り継ぐのは時間がある時にしかできない贅沢だったのだろうか。特急を使わずに帰ろうと思うこともなくなるのだろうか。そうだとしても、あの青山町駅で、乗ってきた電車がホームから離れていくその後ろ姿は忘れないだろう。忘れたくはない。何となくそう思う。



……うたた寝をしながら研究室で資料作成に励んだ深夜、取れなかったの電話の代わりになるものは何だろう。目下当面の悩みを抱えつつ、帰ります。どうぞよい週末を。






……取れなくてごめん。

静寂

2008年09月19日 22時48分21秒 | 日記
生きてます。週末に向けてソフトランディングを目論んでいるところです。しかし再来週の木曜の輪読ための準備に手こずってます。予定があればあったで忙しいと文句を言い、無ければ無いで退屈だとほざく。いつものことです。

研究室は夜になっても何かしらの機械が動いているため、静かであっても音が完全に消えることはない。個人的には、overnightでの反応で、撹拌子がコロコロと回る音が好きだ。さらに農学部の周りは自然が沸いているために、この時期はリンリンと鈴虫やコオロギの鳴き声が聞こえてくる。静寂の中にあって寂しさを感じないのは、本当に感じていないのか、感じないと思い込んでいるだけなのか分からない。しかしその本質に関する考察は、コオロギの羽のように繊細であって、きっと触れない方がいいに違いない。としておく。


明日は歯医者に行かなきゃならないし。早いとこ寝ます。

そんな気がする

2008年09月13日 20時05分29秒 | 日記
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少しでも書き残したいとは思うものの、なかなかログインする気にもなれず。一週間おきに書ければよい方かと慰める、土曜の夜。

今週は、学会の準備に忙しく、木曜金曜は集中講義があり、後輩は9時21時の初週だった。大きな不安もなく、小さな不安は時間が解決してくれそうなものが多く、晴天に暑さよりも清々しさを感じることができるぐらいの余裕はあった。そんな気がする。

古本屋で買った『第三の時効』(横山秀夫)が面白すぎて、ついつい夜更かししてしまう。警務部ではなく、刑事畑の癖のある人間を描き切る筆力と構成力に脱帽。昨日と今日の違いがたいしてあるわけではなく、同じようにご飯を食べ、同じように実験をする毎日の中で、唯一寝る前のあの本を読む15分だけが、俗世の全てのしがらみから解放してくれた。本だけでは生きられないが、本がなくては生きられない。そんな気、さえ、する。

人への関心が平均を下回る自分は、例えば晩御飯を食べに学食へ歩く間、隣の後輩に積極的に話しかけるわけではない。日々下がる気温と、増えるどんぐりに季節の変わり目をしみじみと感じているのみである。実験の話は……やはり研究室を出たらしたくはない。昔は「気にしないでと言わないから気にしないでと言わないで」などという綺麗ごとをしゃあしゃあと言ってのけたこの口からは、今となっては「気にしてくれなくていいから気にしなくていい?」などという言葉が出てきそうだから困る。一番面倒臭いのは、絡みのしつこい上司でもなければ礼儀をわきまえずに線を踏み越える後輩でもない、きっと自分のような、煮ても焼いても何のうまみも引き出せないような人間なのだろう。そんな気がする。

その時隣を歩いていた後輩の最初の一言は、

「秋ですねえ」

だった。何をかいわんや、である。気を遣わせたかもしれないな、悪いなと思う一方、その思いを湛えた表情を欠片ほども出さず、返した言葉は、

「そうですねえ」

だった。拍手喝采の賛同でもなければ、「ええ?そう?でもさ、」という反論でもない。他意のない同意こそがメンタルを支えることができる。そんな気がする。

その後の話のタイトルをつけるとするならば「下宿生の心の支え、それは家族」。実家っていいよねという同意を交換し合った。後で聞けば、その後輩は若干気を病んでいたらしい。「そうですねえ」は、鈍感だったのか。あるいは他意のない同意として支えることができたのか。夕暮れ時に吹く無味乾燥な風を受けたときに感じる不安に似た気持ちが今、少し、頭をもたげている。そんな気がする。


今日は早目に帰ります。どうぞ怪我なく、よい週末を。

思わず振り返る匂い

2008年09月06日 23時19分29秒 | 日記
布団を干し、シーツを洗い、んん、久しぶりになかなかよい天気。


と思ってごろごろしていたら、日が暮れていた。しまった。(汗)



研究室に置いてあるパソコンを取りに、夜遅く自転車を走らせる。昨日の院試打ち上げBBQは、どうにも炭の火力が弱く、空気にイライラが混ざっていた気がした。片付けもやらず、ソファで寝てしまっていた自分は、情けないというより虚しい。しかし何より、全員合格。これ以上の結果はない。お疲れ様でした。お粗末さまでした。

田舎育ちだからだろうか、父も好きだったからだろうか、赤くなった炭の匂いには懐かしさを感じる。赤々と静かに燃える様も、火がつき始める時の火花が舞うあの光景も、確かに美しいと言えば美しいのだが、匂いの方がより感覚に訴える気がする。

夏であれば、例えば、浮き輪に空気を入れようとしてキャップを開けた時のビニールの匂い。泳ぐ機会がない今となっては浮き輪など身近ではないが、一瞬で童心に帰らせてくれそうだ。あるいは、今日大学に行く時にも触れられたが、手持ち花火の火薬が燃える匂い。少し鼻にツンと来るが、あの匂いはあの瞬間にしか立ち込めない。小型の打ち上げ花火や線香花火が人気を集めるが、花火セットに何気なく入っているいたってシンプルな手持ち花火の火や匂いもまた、奥ゆかしいと思う。

2回目の春を迎えるまで順調に生きていられたのなら、社会人になっているはずだ。社会に出れば、例えばクロロホルムが皮膚に浸みるときのチクチクする感覚や、酢酸エチルの甘い匂いに、思わず意識を奪われるようになるのだろうか。そうであってほしくないような、そうであってほしいような……。

学会準備、雑誌会、輪読、輪講、実験、就職活動などなど。やるべきことは多くある。後回しにせず、貪欲に仕事を追いかけたい。頭から降り注ぐのはセミの鳴き声からどんぐりに移り変わる9月はきっと、4月と同じぐらい、正念場となるに違いない。頑張れ自分。