二十歳を過ぎたころ

小さなことに一喜一憂する二十歳を過ぎた学生の軌跡。
→いつの間にか社会人4年目。二十歳を過ぎたころからのブログです

桜も見ごろな週の後半に

2016年04月01日 00時31分52秒 | 日記

ついに最後の記事から1年が経過してしまった。今日を逃すと完全にブログがつぶれるような気がするので頭に浮かんだ文字をただただ落としていく。

早く帰るという目標は外された。引っ越しして気分を変えれば風が変わる、かもしれない。一年前の自分の記事は今読むとなかなか辛辣。環境を変えようとしない自分自身を厳しく攻めるあたりは、今はそのなりはひそめてしまっている。なんにせよ忙しすぎるのだ。好きじゃなきゃできないのではない。やらなきゃいけないなと思う度量が広い人が頑張っているだけに過ぎない。

ふてくされていた後輩はといえば、さまざまな葛藤を抱えながら、少しずつ成長しているように見える。彼から学ぶことも多い。友達だと思うからこそ言えることを自分は本気でぶつけることはできていない。だから結局会社以外の人との付き合いが希薄になりがちになるといえば、それだけではないが、それもあるのだろうとつくづく反省する。彼に話を戻せば、最終的には、どこに行っても、過去の自分を否定することなく、前を向いて生きていってほしいと思う。

1年前にはこの状態になっていることはとても想像がつかない。7人を束ねるリーダーとなるとは。そうそうないチャンスだと思って頑張らなければならないが、鼻が高いとへし折られる。痛いことを言う人の言葉ほど、ぐっとこらえて聞かなければいけない。一年前の自分に教えられて再認識する。

ひとまずあと2日。その次の海外出張と引っ越し。頑張ろう。

一年後の自分へ。覚えていなくていいけど、忘れちゃいけないことを忘れていないよね?


3月度人事考課シート、桜の咲く週の初めに

2015年03月30日 23時04分36秒 | 日記

 早く帰る という年初の目標が嘲笑っている。そういう年度末。中国出張に2週間。前後の1週間は這うように捻るようにすり抜けるようにやり抜く。自己評点は低い。前月比横ばい。

 先週末の月一の全社会議も、週初めの今日も、朝、起きられない。仕事へのモチベーションが高いわけでも低いわけでもない。体調が良いわけでも悪いわけでもない。なぜなのだろうと思ったが、書いている途中に、だからなのかもしれないと思い直す。

 出社してみると、後輩が休んでいる。出身は他県、出身大学も他県。勤務先の県に友達がいるわけではなく、同期の面子は週末一緒にどこかに遊びに行くような輩でもない。手掛けるテーマの目的も見えにくく達成感も得られにくい。上司は放置気味。難しい。状況がそうさせなくても心に闇を抱えがちな気質のある彼ではあるが、ここに居る意味というか、生きがいというか、そういったものを見い出しにくいのかもしれない。
 自分自身は、大学時代、今となってはよくわからない情意を基にして、得意でもないバドミントンをするために部活動に入った。3年も務め、努めたが、能力は向上しなかった。それまでの自信やプライドが折れに折れた。ひたすら酒を飲んでばかみたいに騒いで、酔いつぶれる部員を介抱することに意味を見出すことは、今から思えば、難しかった。それでも3年も続いたのは、意味を見出すことが難しかったとすら当時は考えることすらなく、そこにいる意味を自問自答するのでもなく、望んで入った環境を与えられた環境だと思い込み、その中で自分の存在価値を模索しようともがいていたからだと思う。技量で後輩に教えられることは全くなかった。それでも何かを学んでくれるといいと思って、部活のホームページを整え、試合では誰よりも大きな声で応援し、創部50周年記念の記念誌の編集に携わった。もう一度大学入学からやり直すなら、バドミントン部には入らないのは間違いない。ただ、バドミントン部で得たこと、学んだことは、今に生きているのも、間違いない。
 心に闇を抱える彼は、注意するとふて腐れる態度をあからさまに取る。彼自身、分かってやっていてそうなってしまうのを止められないのか、止めようとも思っていないのか、あるいは分かっていないのか、それは分からない。ただ、うがった見方かもしれないが、今いる環境の中で価値を見出していく力は磨いてこなかったのかもしれない。そういう環境にいなかっただけなのかもしれないし、それは今となっては幸か、不幸か、分からない。何と声をかけるべきか分からないが、もう少し、様子を見ようと思う。自分だけの都合を言えば、彼にお願いしている仕事もあり、やってもらわないと困るのだが、急いては仕損じる。待つ。待つこととする。
 つくづく思う。嫌なことを言われるときこそ耳を傾けなければならない。耳に痛いことを言ってくれる人ほど大切にしなければならない。楽なほう、心地よいほうへ、流れていくだけでは、成長は無い。

 もう一つ思う。「望んで入った環境を与えられた環境だと思い込み、」と書いていて思う。環境を変える勇気は、当時も、今も、ない。結局自分も、「楽なほう、心地よいほうへ、流れて」いるだけなのだと反省する。

 桜が咲く季節。目線を下に向けても上に向けても花が目に入る。きっと誰もを応援してくれている。そう思いたい。そう思ってくれるといいと思う。


1月度人事考課シート

2015年01月30日 23時33分53秒 | 日記

毎月月末に書くものがある。人事考課シートというものだ。今月の売り上げ目標、売り上げ実績、達成率、累計達成率を書いた上で、今月の目標、結果、考察、次月の目標を書く。一日は長いがひと月が終わるのは早い。本当にそう思う。

今年の個人的な目標は4つ掲げた。早く帰る。早く起きる。本を読む。運動する。これらに対して評点を付けるなら、いずれも欠点で不可。いつまでたっても何も変わらない自分は、もう変われないのだろうか。お前が一番偉いんやな。お前は天皇か。どれだけのもんや。前の上司の言葉がよみがえる。本当にそう思う。自分がなんぼのものだと。

これから帰りますというLINEを送るたびに、反吐が出る。どんな思いをさせて、気を付けて帰ってきてねと言わせているのか。誰のためでもなく、家族を守るために、働いているのではないのか。これで、今年の春に結婚する後輩が父親になったとしたら、自分は自我を保てなくなる自信がある。言った者勝ちやった者勝ち。互恵互助など、聞いて呆れる。

諦めれば楽になると負けそうになる弱気を立て直すにはどうすればよいのか。まだ恵まれている環境なのだと思えるまでに心を落ち着けるには何をすればよいのか。分からない月末。

 

一つのヒントは、やはり本にあるのかもしれない。やはり生きていこうと思わせる材料にしてはならないとは思うが。外へ外へ、気持ちを向けていきたい。

○ 蠅の帝国  


2014年 年末

2014年12月31日 20時14分40秒 | 日記

終わってみれば早い1年だった。きっと毎年そう言うのだろうと思う。

一番楽しかったこと、嬉しかったこと、衝撃的だったこと、悲しかったこと、思い返せば今年起こったことなのだと気づかされることに驚く。それだけ濃密な1年だったということか、あるいはそれだけ忘れていることに気づいていないということか。

仕事面では上半期の衝撃的な人事が最大の事件だった。その前までの圧倒的なプレッシャーは後から思えば相当なものだったことと、それを過ぎてからの自分の力不足とを思い知ったこと、に尽きる。残業代がもらえなくなったとしても、仕事の後始末だけはつけておかなければならない。そう思うのは、義務感なのか、使命感なのか、分からないけれども。

家庭面では、不可の成績なのは間違いない。ごめんなさい。来年の目標の第一は、早く帰ること。そして来年願うことは、家族全員の健康。普段お参りをしない自分の願いは身勝手だと分かっていてもお願い神様仏様。どうか健康で暮らせますように。

戦力外通告されたプロ野球選手を追った番組に出ている方々が自分と同じぐらいの年代であることが、生々しい事実を突きつける。プロとして生きるには、まだまだ自分は甘い世界で生きているのだと。歳を重ねるごとに成長できるように、精進していきたい。

1年間お疲れ様でした。ありがとうございました。天気は荒れ模様ですが、どうぞよい年末年始を。


29歳

2014年12月13日 21時00分35秒 | 日記

29年間生きることができました。一つ一つ重ねられる歳の重みを感じる1日でした。多くの人の支えに心から感謝申し上げます。

昼は友人の結婚式二次会の幹事打ち上げ、穏やかで優しい空気が流れる昼食でした。それぞれの道で頑張っているのだと思うと励まされます。

夜は妻と共に初めて行く和食料理屋へ。大変おいしい。何て贅沢。いつも隣にいるからこそ忘れがちに思われるけれども、感謝の念を忘れたことはありません。ありがとう、これからもよろしくお願いします。

ふと思う。目をつぶって次に開けたとき、時間が40年ぐらい過ぎていて、見送るべき人を見送って、子供を独り立ちさせて、家を片付けて、平均そこそこまで生きられる健康体であれば、何て幸せなのだろうと。残りの人生は処理すべき作業なのだろうか、何てつらいことなのだろう、しかし茫洋な時を前にしてもそれでも何とか一日一日を乗り越えられるのは、自分だけでは生きられないのが明確であるからなのだ、と。

冷える週末ですが、お体どうぞ大切に。