緑皮車の客車区

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【セルビア】ベオグラード【散策】

2013年08月15日 21時30分30秒 | 2013年春 東欧
ベオグラードでの散策は、飛ばそうかと思っていたんですが、なんとなく、写真でも適当に並べて紹介してみようかと思いました。ちなみに、僕がベオグラードに滞在したのは、早朝6時半に列車で到着してから、次の日の10時半にミニバスで発つまでの約31時間のみです。

2時間か3時間ぐらい眠って、顔を洗おうと部屋を出ると、さっきの長身のボウズ男ではなく、ひげ面のおっさんがレセプションのソファーに寝転がってテレビを見ていて、僕を見るなり「チャオー!」と挨拶。なぜか、ここのホステルのこのおっさんは、いつもイタリア語の「チャオー!」という挨拶をしてくる。顔を洗った後、スーパーの場所などを聞くと、スーパーの場所だけでなくいろいろなところを身振り手振りで教えてくれた。英語があまりできないらしかった。シティを「チティ」と発音したり、ローカルを垣間見れたような気がして面白かった。

このホステル、夜はスタッフなのか近所の住人なのかよくわからない人が集まって、寝室のドアを開けてすぐのレセプションで大声で話をしていてうるさかった。ホステルというより本当の安宿な感じで、面白い体験だったが、オススメはしない。


おっさんからもらった地図をもとに、NATO空爆跡に。といっても、駅から歩いて5分もしないところにある。


コソボ紛争中のNATOによる「アライド・フォース作戦」で、ミサイルをぶち込まれた連邦国防省ビル。当時のままで残されている。建物の足元には兵士が立っていた。写真撮影をしていると撮るなと注意されると聞いていたから、遠くからコソコソ撮っていた。

15年ほど前、もう僕が生まれた頃には戦争をしていた国がこのセルビアだ。ユーゴスラビアは、さまざまな民族や宗教が入り混じっていて、複雑な状態だ。大学受験生のときに、地理の勉強でこのあたりの民族と宗教の分布が特に覚えにくかったのを覚えている。15年前に、「民族浄化」というものが行われていたのがこのユーゴスラビアなのだ。「この民族は邪魔だから追い出そう。追い出すといっても、外に出すのも面倒だし、どうせ少数で弱いんだから、この世から追い出してしまおう」というのが民族浄化だ。そんなことが15年前に実際に行われていたのだ。

しかし、この2棟のビルを除くとベオグラードには紛争の傷跡はほとんど残っていなかった。教科書でも紹介されている建物だけど、ほんとうに、これだけ?という感じだった。もっと、そこらへんに銃痕とかが残っているのかと思っていたが、空爆だけだったからかそんなものはなく、あとは普通に穏やかな平和な街だったのだ。ベオグラードは。15年前に戦争をしていたなんて信じられなかった。


このような旧式のトラムだけでなく、新型のアルストム製のトラムも走っている。


ベオグラードは、旧市街も、今までのヨーロッパの街とは少し違う顔をしている。黒ずんだ建物や、たまにソ連式っぽいアパートも見える。


そこそこ人が多い中心街で。レーニン像が残っているのかと思ったが、違うらしい。


元要塞のカレメグダン公園にも行ってみた。サヴァ側の向こう側の新市街を望む。顔を右に向ければ、サヴァ川がドナウ川に交わるのが見える。


サッカーをする子供をはじめ、いろいろな人で集まっている。


軍事博物館にも行ってみた。


軍事博物館の入り口にドヤ顔で展示されているNATO軍のハンヴィー。予想するに、戦争で奪った戦利品だろう。

この博物館では、古代から現代にいたるまでの、主にユーゴスラビアでの戦争の歴史を展示している。説明書はほとんどがセルビア語。ミリオタよりも、世界史が好きな人向けの博物館だ。入場料は150ディナール。

だが、細かいお金が用意できず、受付の軍服を着たお兄ちゃんに、「今はお釣りが用意できないから、先に中をまわってきて。」と言われた。だが、展示を見終わってまわってきても、「今回はお金を払わなくていいよー」と言って、外に出してくれた(笑)。これは受付のお兄ちゃんがいい人だったのか、めんどくさがりなのかよくわからなかったが、ユーゴに渡航暦のある先輩は、「お金儲けをする気がないからだと思うよ」と言っていた。


ベオグラードの中心街。全体的に穏やかな地方都市みたいな感じだけど、ここは活気で溢れている。ほんとうに、戦争があったなんて信じられない。ちなみに、ベオグラードはハンガリーやチェコと比べ、治安もよさげな印象だった。

あと、セルビアに入った途端に、アジア人を全く見なくなった。ドイツやチェコは、卒業旅行やツアーの日本人観光客、どこでも声がデカい中国人観光客ばかりだったのだが、東にいくほど減っていき、セルビアでは見た記憶がない。そういえば、東欧諸国に入った途端に、中東系や黒人などの人種もめっきり見なくなった。見るとしても、移民ではなく観光客だった。


なんとなく、旧サヴァ橋を渡って、新市街側に行ってみようと思った。貨物駅が見えたが、列車が来る気配はないし、コンテナや貨車もところどころ錆び付いている。鉄道輸送は、貨物も盛んではないようだった。


なんとなく、この写真を見ると、橋の上で感じた孤独感を思い出す。

サヴァ川の上で、よくわからない孤独感に陥っていた。日本人どころかアジア人のいないこの街に、一人でやってきて、アパートの一室にある、外国人が泊まらないような宿に一人で泊まっている。もう日は沈もうとしている。橋の上は、車やトラムがひっきりなしに通るけど、歩道の歩行者は誰もいない。そもそも、日本人でセルビアという国がどこにあるのか知っている人はどれぐらいいるのだろう?僕がここにいるということを知っている人はいない。明日はルーマニアに現地人と混ざってミニバスで揺られていく。旅はまだ半分も過ぎていない。これからどんどん東に行く。

旅をしているときに感じる、心地よい孤独感だった。一人で外国を旅して、こんな気持ちになったのは初めてだった。


宿に帰って、セルビアの国民的ビール「ゼーレン」を飲む。正直、苦くてあまり好きではない。セルビアディナールは、結局ほとんど使わなかった。

自分だけかと思っていた宿の客は、新しく二人入ってきた。若い男性と、30歳ぐらいの女性で、二人ともセルビア人のようだった。宿泊客まで全員セルビア人で、最後まで超ローカルホステルだった。

次回は、ルーマニアに突入です。



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