ここクラクフで、ウクライナから少しずつ疲れ始めていたのだが、ポーランドでバックパッカーなら一度は経験する、旅の中だるみに突入していた。
なんていうのか、感覚が麻痺してきて、旅に飽きてくる。旅のワクワクは消え、ドミトリーで目覚めたあとの朝の光景は、怠惰な日常風景と化し、起きるのめんどくせ、観光めんどくせ、などと考えるようになってきた。部屋にこもり、ベッドの上でもう帰りたい、もう何もしたくないなどと考えるようになってきていた。頭の中に「沈没」という二文字が浮かんでくる。
ヨーロッパ人は、英語をうまくはないが、ペラペラしゃべる。それで、ドミトリーでの会話が盛り上がる。僕は英語があまりうまくないので、仲間の輪に加われない。寂しい思いをするが、ここまでくると、人と関わるのもめんどくさくなってくる。
とにかく、動きたくない。疲れた。日本に帰りたい・・・。そう思うときが一度はあるものだ。ケータイのSDカードが壊れたのもあるのかもしれない。とにかくブルーになっていた。
翌朝、気をとりなおして駅へ。これは鉄オタなら見逃せない列車の編成表。
インフォメーションではなく、普通の窓口で切符を購入する。オバチャンに「To Oswiencim,1 way, local train」というが、オスウィエンチムしか通じてないらしく、余計なことを言うと「は!?」みたいな顔をされて、同じことを繰り返すと、「Oswiencim!? Oswiencim!?」と睨まれながら言われる。インフォメーションセンターの対応はいいけど、普通の窓口だとやっぱり旧東側だw
アウシュビッツまではバスでも行けるんだが、電車のほうが安いし、なによりも、普通電車に乗ってみたかった。今回乗るのは、このEN71型。1970年代にポーランドで生産された車両で、ユーゴスラビアやチェコスロバキアにも輸出されている。この電車のメーカーのPafawagという、ヴロツワフにあった国営企業は、今はボンバルディア・トランスポーテーションに吸収されている。
電車は、ボソボソとした田舎の単線地帯ををゆっくり進んでいく。
走っているときに、踏切をいくつか見つけたわけだが、ポーランドでは、今でも踏切は有人のところが多い。列車が通るたびに、踏切小屋からオバチャンが出てきて、列車を見送っているのが見える。
電車は駅でもないところに何度も停車しながら、この駅にたどり着いた。ここで、30分も停車していた。目的はこの電車の待ち合わせだ。こちらの電車と比べて、古めでさらに社会主義な感じがする電車である。
と思ったら、こっちと同じEN71型だった。コルゲートの有無や内装の違いなど、製造年代によっていろいろとバリエーションがあるらしい。
内装はこんな感じ。クロスシートで、デッキとトイレもある。常に電気が消えていて暗い。
多くの貨物列車とすれ違う。写真には取れなかったが、石炭列車が目立った。そう、クラクフとヴロツロフの周辺には、石炭がよくとれ、ポーランドの工業地帯にもなっているのだ。シロンスク炭田といって、大学入試の地理の勉強で出てくるところだ。
こちらは、PKP CargoのET22電気機関車だ。これも社会主義時代に、さっきのEN71型電車と同じ会社で作られたポーランド製である。
ポーランドの列車の頭文字はわかりやすい。Eはいうまでもなく電気のEなのだが、Pは旅客用、Tは貨物用、Uは併用といった感じである。電車の場合は、ENなら高床式ホーム対応電車、EWは低床式用、EDは長距離用といったように、日本のモハやクハ、中国のDFやYZのように、頭文字で役割がわかるようになっている。
詳しくは、こちらのウィキペディアのページを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Polish_locomotives_designation
ポーランドでは、少し大きい駅になると、こんな感じの管制塔みたいな建物が見られる。これは旧東ドイツでも見かけた。おそらく、駅のポイントなどを制御する、列車の管制室なのだろうが、独特である。
わかりやすい列車種別に、広大な国土、TLKといった格安急行の存在、有人踏切や管制塔など、ポーランドの鉄道は独特なところが多い。旧ソ連のように、写真撮影でとやかくいわれることはないし、ポーランドは鉄っちゃんにとって意外とおすすめの国なのかもしれない。
ただ、ひとつよくないところは、ポーランドの鉄道は治安があまりよくないことだ。外国人を専門に狙った窃盗団がいるという。ほかの東欧諸国もスリや強盗など、悪い噂が多いが、ポーランドは特に列車の治安がよくないらしい。なかでも、プラハとクラクフのルートが要注意なんだとか。
その後はオシフィエンチムに到着したが、帰りの列車は午後に3本ぐらいしかなかったような気がする。意外と不便なところにあるのだ。アウシュビッツを観光したあとは、バスでクラクフに戻った。
今日は短めの投稿。こちらはポーランドのビール。次は、いよいよドイツに戻ります。
なんていうのか、感覚が麻痺してきて、旅に飽きてくる。旅のワクワクは消え、ドミトリーで目覚めたあとの朝の光景は、怠惰な日常風景と化し、起きるのめんどくせ、観光めんどくせ、などと考えるようになってきた。部屋にこもり、ベッドの上でもう帰りたい、もう何もしたくないなどと考えるようになってきていた。頭の中に「沈没」という二文字が浮かんでくる。
ヨーロッパ人は、英語をうまくはないが、ペラペラしゃべる。それで、ドミトリーでの会話が盛り上がる。僕は英語があまりうまくないので、仲間の輪に加われない。寂しい思いをするが、ここまでくると、人と関わるのもめんどくさくなってくる。
とにかく、動きたくない。疲れた。日本に帰りたい・・・。そう思うときが一度はあるものだ。ケータイのSDカードが壊れたのもあるのかもしれない。とにかくブルーになっていた。
翌朝、気をとりなおして駅へ。これは鉄オタなら見逃せない列車の編成表。
インフォメーションではなく、普通の窓口で切符を購入する。オバチャンに「To Oswiencim,1 way, local train」というが、オスウィエンチムしか通じてないらしく、余計なことを言うと「は!?」みたいな顔をされて、同じことを繰り返すと、「Oswiencim!? Oswiencim!?」と睨まれながら言われる。インフォメーションセンターの対応はいいけど、普通の窓口だとやっぱり旧東側だw
アウシュビッツまではバスでも行けるんだが、電車のほうが安いし、なによりも、普通電車に乗ってみたかった。今回乗るのは、このEN71型。1970年代にポーランドで生産された車両で、ユーゴスラビアやチェコスロバキアにも輸出されている。この電車のメーカーのPafawagという、ヴロツワフにあった国営企業は、今はボンバルディア・トランスポーテーションに吸収されている。
電車は、ボソボソとした田舎の単線地帯ををゆっくり進んでいく。
走っているときに、踏切をいくつか見つけたわけだが、ポーランドでは、今でも踏切は有人のところが多い。列車が通るたびに、踏切小屋からオバチャンが出てきて、列車を見送っているのが見える。
電車は駅でもないところに何度も停車しながら、この駅にたどり着いた。ここで、30分も停車していた。目的はこの電車の待ち合わせだ。こちらの電車と比べて、古めでさらに社会主義な感じがする電車である。
と思ったら、こっちと同じEN71型だった。コルゲートの有無や内装の違いなど、製造年代によっていろいろとバリエーションがあるらしい。
内装はこんな感じ。クロスシートで、デッキとトイレもある。常に電気が消えていて暗い。
多くの貨物列車とすれ違う。写真には取れなかったが、石炭列車が目立った。そう、クラクフとヴロツロフの周辺には、石炭がよくとれ、ポーランドの工業地帯にもなっているのだ。シロンスク炭田といって、大学入試の地理の勉強で出てくるところだ。
こちらは、PKP CargoのET22電気機関車だ。これも社会主義時代に、さっきのEN71型電車と同じ会社で作られたポーランド製である。
ポーランドの列車の頭文字はわかりやすい。Eはいうまでもなく電気のEなのだが、Pは旅客用、Tは貨物用、Uは併用といった感じである。電車の場合は、ENなら高床式ホーム対応電車、EWは低床式用、EDは長距離用といったように、日本のモハやクハ、中国のDFやYZのように、頭文字で役割がわかるようになっている。
詳しくは、こちらのウィキペディアのページを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Polish_locomotives_designation
ポーランドでは、少し大きい駅になると、こんな感じの管制塔みたいな建物が見られる。これは旧東ドイツでも見かけた。おそらく、駅のポイントなどを制御する、列車の管制室なのだろうが、独特である。
わかりやすい列車種別に、広大な国土、TLKといった格安急行の存在、有人踏切や管制塔など、ポーランドの鉄道は独特なところが多い。旧ソ連のように、写真撮影でとやかくいわれることはないし、ポーランドは鉄っちゃんにとって意外とおすすめの国なのかもしれない。
ただ、ひとつよくないところは、ポーランドの鉄道は治安があまりよくないことだ。外国人を専門に狙った窃盗団がいるという。ほかの東欧諸国もスリや強盗など、悪い噂が多いが、ポーランドは特に列車の治安がよくないらしい。なかでも、プラハとクラクフのルートが要注意なんだとか。
その後はオシフィエンチムに到着したが、帰りの列車は午後に3本ぐらいしかなかったような気がする。意外と不便なところにあるのだ。アウシュビッツを観光したあとは、バスでクラクフに戻った。
今日は短めの投稿。こちらはポーランドのビール。次は、いよいよドイツに戻ります。