ブカレスト観光を終えた俺は、次の国、ウクライナのキエフに向かう。ウクライナに列車で行く方法はひとつ、朝6時過ぎに発車する、382列車こと「ブルガリア・エクスプレス」に乗ることだ。そう、あのブカレストを未明に歩かなくてはいけなかったのだ・・・。
5時頃にホステルをチェックアウトして、人気の全くない道を歩く。念のため、15秒に一回後方を確認しながら歩いた(笑)。このフレンズホステルは、ロマの居住区から近い。未明ならなおさら注意が必要だ。
なんとか、ブカレスト・ノルド駅に到着。駅構内は、外の静けさとうってかわって賑やかだ。マックも開店している。
そして、結局遅れている・・・。どうやら、80分ほど遅れている模様。ブルガリア国鉄、やってくれます。
僕の乗るブルガリア・エクスプレスは、ブルガリアのソフィアから、ブカレスト、キエフ、ミンスクを経由して、ロシアのモスクワまで行くかなりの長距離列車だ。運賃は、ブカレストからキエフまで11000円もした。クラスは、二等寝台の一択。ブルガリアの鉄道は、ルーマニアよりも整備が進んでおらず、よく遅れるとのことらしい。
暇なので、駅の待合室で待つ。警備員が、物乞いや置き引きなどが入ってこれないように見張っていて、乗車券を持っている人以外通さないようになっているらしいが、俺はすんなり通された。待合室も、今までのヨーロッパとは少し違う雰囲気が漂う。
待っているのも暇なので、そろそろ列車が来るかな~という頃合いに、撮り鉄を始めた。78型気動車と、40型電気機関車。ふたつとも、ルーマニア国産の車両だ。
東独製のダブルデッカーの先頭に立つ、82型スイッチャー。こちらもルーマニア製。
ルーマニアでも大活躍の、東独のダブルデッカー。中はけっこうきれい。
やがて、65型ディーゼル機関車にひかれて、俺の乗る列車が入線してきた。編成は、先頭にルーマニアの2等車が一両、うしろにウクライナの寝台車が一両、そのうしろにロシアの寝台車が2両つながってて、計4両だ。ただ、途中の長時間停車で降りたら、そのうしろの車両が切り離されていたので、もっとつなげて走っていたかもしれない。
ちなみに、ブカレスト・ノルドは行き止まり式ホームのため、折り返します。
ウクライナの車両。車掌のおばちゃんが髪真っ赤。
こちらの塗装はロシアの車両。どちらも、コルゲート巻いてて、いかにも旧ソ連的な車両だ。
ちなみに、窓の行先表示を撮ってたら、ロシア人の車掌のおばちゃんが「ニェット!ニェット!ニェット!」と飛んできた。やっぱり、ロシアは鉄道の撮影に厳しい。
切符を見せると、車掌のおばちゃんの隣にいた、パジャマみたいな服を着た超デブのロシア人っぽいおばちゃんについていけ、みたいなことを言われる。どうやら、このパジャマの、いかにもロシアの超デブおばちゃんみたいな女性も、列車の乗務員らしい。
で、案内された部屋がこの部屋。中国の軟臥そっくりだけど、寝具は上段にまとめて置いてあって、寝支度は自分でする。下段の下はトランクになっていて、荷物を収納できる。
同席の人は、ウクライナ人の男性が二人と、ルーマニア人の男性が一人。ルーマニア人の男性は、アレックスと名乗り、英語を話すことができた。これからビジネスでキエフに行き、そのあとブリュッセルに飛行機で行くのだという。この人は、けっこうおしゃべりな人で、メシもおごってくれたいいやつ。ウクライナ人Aも英語が話せて、昔サーカスの仕事の関係で、日本の静岡に行ったことがあるのだという。だけど、無口であんまり話してくれない。ウクライナ人Bはルーマニア語ができるが、英語は話せなかった。彼はずっとルーマニア人と話していた。
通路はこんな感じ。もう、旧ソ連臭がプンプンする。同席の人たちはみんなベッドメイキングをして寝てしまったので、通路のジャンプシートに座って、車窓を眺める。
相変わらず、ルーマニアの駅はボロい駅が多い。
車窓に広がる、巨大な石油コンビナート。こちらの工場は、元気に稼働している模様。
みなさん昼からお休みの様子。部屋には、ハンガーや読書灯、鏡があり、昇降用の梯子は、ドアの横に折り畳み式のがついてる。
電源プラグもあって、ちゃんと壊れていなくて充電も可能。ちなみに、車内の言語は全てロシア語。
デッキはこんな感じ。車両わたりしようとすると、「Don't move!」と言われて止められる。ちなみに、こっち側ではなくて、反対側のデッキには車掌室があり、その横には石炭ストーブがあって、鉄ちゃんなら香ばしいにおいが楽しめる!
なお、この列車、けっこう空いていて、コンパートメントは三つほどしか使われていなかった。両はじのコンパートメントのひとつは、ルーマニアの車掌の部屋、もう一つは、この列車にずっと乗っているロシア人の車掌の部屋として使われていて、4人ぐらいが交代で乗務している。だから、制服を着ていたり、パジャマを着ていたりする。
なんか絶壁みたいな景色が見えてきた。
便所。ぼろいけど汚れてはいない。これも垂れ流し式なので、停車中は施錠される。
ルーマニア国境の駅。ここで、ルーマニアの軍人っぽい人が乗ってきて、みんなパスポートを渡す。車内に緊張した空気が走る。軍人は、俺のパスポートを見ると、「Where are you from?」と言った。「Japan」と答えると、ハァ?みたいな顔をされる。どうやら、通じてないらしい。ルーマニア人のおっさんが、「Japoniaだよ」と通訳をしてくれる。それから、軍人は3回も4回も、俺の顔を睨むようにじろじろ見て、そのまま無事に出国のスタンプが押される。
やがてまた列車がゴトゴト動きだし、今度はウクライナ側の駅に到着する。この写真を撮っていると、「ここは国境だから、撮らないほうがいいよ」と、ルーマニアのおっちゃんに注意される。
やがて、ウシャンカを被って迷彩服を着た、屈強な兵士が二人乗り込んでくる。パスポートを回収するわけだが、日本人がめずらしいのか、二人は笑いながら、「見ろよ、日本人だってよ」といった風に、俺と俺のパスポートを見比べる。そのままパスポートは回収され、今度は女性の軍人が乗ってきて、入国審査が始まった。ルーマニア人のおっさんは、女性になにかを聞かれるが、「No Russian! No Ukraine!」と、答えていた。どうやら入国審査官は英語が通じないらしい。
まず荷物検査で、みんなの荷物が開けられる。それぞれ、荷物を開けられて、何か質問をされて、「ハラショ」と言われておしまい。最後に俺のザックが調べられたが、ここで俺のホッカイロが少し問題になった。麻薬だと思われているのだろうか。腹の中に入れて、こうやって温めるんだと身振り手振りで質問してもなんか通じてないっぽい。後ろから、ウクライナ人の男性がなにか言って、それでなんか納得して、「ハラショ」と言われた。
そのあとは、標準軌から広軌への台車の交換に入るわけだが、ここで入国カードの記入になる。俺のだけ英語のカードで、少しあとになって渡された。
台車の交換は、入国審査官とか兵士が車内をうろうろしてるので、あんまり撮れなかった。標準軌とロシアンゲージの違いは、10センチにも満たないのであまり大した違いはない。
1時間ほどで台車の交換と列車の再編成は終了し、無事にパスポートは返され、列車はウクライナの地をキエフに向けて走り出す。パスポートを見てみると、一番最後のページにウクライナの入国スタンプが押されてあった。旧ソ連圏の国々は、最後のページからスタンプを押していくのだ。
翌朝。
外では、エレクトリーチカの車両が見える。キエフも近い。
きれいな駅舎だ。もっと旧ソ連的な無機質で暗いのを想像していたんだが。
やがて、ルーマニア人のおっさんが起きだしてきて、「よく眠れたか?」ときいてくれる。そのあと、少し会話をする。ブカレストに住んでいるというおっさんは、「ブカレストは大丈夫だったか?」と聞いてきた。やっぱり、現地住民にも危険な都市という認識らしい。「ブカレストはいわれてるほど危険じゃなかったっすよw普通の街じゃないですかw」と言ったら、「それはお前さんがラッキーだったんだ。ブカレストは危険な都市だよ。たしかに、中心部はそこまで危険じゃないかもしれない。だけど、郊外はひどいところだ。」と返される。さらに、「これから行くキエフも危ないって話だぞ。ブカレストのギャングは銃を持っていないけど、キエフのギャングには銃がある。」と言う。俺は、「でも、俺の友達は、キエフは治安がいいと言っていたぞ?」と返すと、「俺は初めて行くけど、昨日途中で降りて行ったウクライナ人が言っていた。何はともあれ、十分に気を付けるんだ。」と話した。
広軌になったものの、列車のスピードはあまり早くない。60キロぐらいでゴトゴト走る。縦揺れもけっこうあって、安定性はあまりよくなさそうだ。中国の列車のほうがすいすい走る。
キエフに到着した。やはり、タクシーの客引きがホームに待ち構えている。どうやら、キエフ駅も改札はないらしい。
今までのヨーロッパの駅前と違って、どことなく中国の駅前と似た雰囲気がある、キエフ駅前。ここから地下鉄の入り口を探し、キエフに繰り出す。
しかし、ここの客引きは本当にやる気がない。ニコリともせず、死んだような声で「タクシー」という。無視したり、手でいらないと言っても、それ以上は全くついてこなくてあっさりしている。それで商売になるのか、逆に心配になってくる。
5時頃にホステルをチェックアウトして、人気の全くない道を歩く。念のため、15秒に一回後方を確認しながら歩いた(笑)。このフレンズホステルは、ロマの居住区から近い。未明ならなおさら注意が必要だ。
なんとか、ブカレスト・ノルド駅に到着。駅構内は、外の静けさとうってかわって賑やかだ。マックも開店している。
そして、結局遅れている・・・。どうやら、80分ほど遅れている模様。ブルガリア国鉄、やってくれます。
僕の乗るブルガリア・エクスプレスは、ブルガリアのソフィアから、ブカレスト、キエフ、ミンスクを経由して、ロシアのモスクワまで行くかなりの長距離列車だ。運賃は、ブカレストからキエフまで11000円もした。クラスは、二等寝台の一択。ブルガリアの鉄道は、ルーマニアよりも整備が進んでおらず、よく遅れるとのことらしい。
暇なので、駅の待合室で待つ。警備員が、物乞いや置き引きなどが入ってこれないように見張っていて、乗車券を持っている人以外通さないようになっているらしいが、俺はすんなり通された。待合室も、今までのヨーロッパとは少し違う雰囲気が漂う。
待っているのも暇なので、そろそろ列車が来るかな~という頃合いに、撮り鉄を始めた。78型気動車と、40型電気機関車。ふたつとも、ルーマニア国産の車両だ。
東独製のダブルデッカーの先頭に立つ、82型スイッチャー。こちらもルーマニア製。
ルーマニアでも大活躍の、東独のダブルデッカー。中はけっこうきれい。
やがて、65型ディーゼル機関車にひかれて、俺の乗る列車が入線してきた。編成は、先頭にルーマニアの2等車が一両、うしろにウクライナの寝台車が一両、そのうしろにロシアの寝台車が2両つながってて、計4両だ。ただ、途中の長時間停車で降りたら、そのうしろの車両が切り離されていたので、もっとつなげて走っていたかもしれない。
ちなみに、ブカレスト・ノルドは行き止まり式ホームのため、折り返します。
ウクライナの車両。車掌のおばちゃんが髪真っ赤。
こちらの塗装はロシアの車両。どちらも、コルゲート巻いてて、いかにも旧ソ連的な車両だ。
ちなみに、窓の行先表示を撮ってたら、ロシア人の車掌のおばちゃんが「ニェット!ニェット!ニェット!」と飛んできた。やっぱり、ロシアは鉄道の撮影に厳しい。
切符を見せると、車掌のおばちゃんの隣にいた、パジャマみたいな服を着た超デブのロシア人っぽいおばちゃんについていけ、みたいなことを言われる。どうやら、このパジャマの、いかにもロシアの超デブおばちゃんみたいな女性も、列車の乗務員らしい。
で、案内された部屋がこの部屋。中国の軟臥そっくりだけど、寝具は上段にまとめて置いてあって、寝支度は自分でする。下段の下はトランクになっていて、荷物を収納できる。
同席の人は、ウクライナ人の男性が二人と、ルーマニア人の男性が一人。ルーマニア人の男性は、アレックスと名乗り、英語を話すことができた。これからビジネスでキエフに行き、そのあとブリュッセルに飛行機で行くのだという。この人は、けっこうおしゃべりな人で、メシもおごってくれたいいやつ。ウクライナ人Aも英語が話せて、昔サーカスの仕事の関係で、日本の静岡に行ったことがあるのだという。だけど、無口であんまり話してくれない。ウクライナ人Bはルーマニア語ができるが、英語は話せなかった。彼はずっとルーマニア人と話していた。
通路はこんな感じ。もう、旧ソ連臭がプンプンする。同席の人たちはみんなベッドメイキングをして寝てしまったので、通路のジャンプシートに座って、車窓を眺める。
相変わらず、ルーマニアの駅はボロい駅が多い。
車窓に広がる、巨大な石油コンビナート。こちらの工場は、元気に稼働している模様。
みなさん昼からお休みの様子。部屋には、ハンガーや読書灯、鏡があり、昇降用の梯子は、ドアの横に折り畳み式のがついてる。
電源プラグもあって、ちゃんと壊れていなくて充電も可能。ちなみに、車内の言語は全てロシア語。
デッキはこんな感じ。車両わたりしようとすると、「Don't move!」と言われて止められる。ちなみに、こっち側ではなくて、反対側のデッキには車掌室があり、その横には石炭ストーブがあって、鉄ちゃんなら香ばしいにおいが楽しめる!
なお、この列車、けっこう空いていて、コンパートメントは三つほどしか使われていなかった。両はじのコンパートメントのひとつは、ルーマニアの車掌の部屋、もう一つは、この列車にずっと乗っているロシア人の車掌の部屋として使われていて、4人ぐらいが交代で乗務している。だから、制服を着ていたり、パジャマを着ていたりする。
なんか絶壁みたいな景色が見えてきた。
便所。ぼろいけど汚れてはいない。これも垂れ流し式なので、停車中は施錠される。
ルーマニア国境の駅。ここで、ルーマニアの軍人っぽい人が乗ってきて、みんなパスポートを渡す。車内に緊張した空気が走る。軍人は、俺のパスポートを見ると、「Where are you from?」と言った。「Japan」と答えると、ハァ?みたいな顔をされる。どうやら、通じてないらしい。ルーマニア人のおっさんが、「Japoniaだよ」と通訳をしてくれる。それから、軍人は3回も4回も、俺の顔を睨むようにじろじろ見て、そのまま無事に出国のスタンプが押される。
やがてまた列車がゴトゴト動きだし、今度はウクライナ側の駅に到着する。この写真を撮っていると、「ここは国境だから、撮らないほうがいいよ」と、ルーマニアのおっちゃんに注意される。
やがて、ウシャンカを被って迷彩服を着た、屈強な兵士が二人乗り込んでくる。パスポートを回収するわけだが、日本人がめずらしいのか、二人は笑いながら、「見ろよ、日本人だってよ」といった風に、俺と俺のパスポートを見比べる。そのままパスポートは回収され、今度は女性の軍人が乗ってきて、入国審査が始まった。ルーマニア人のおっさんは、女性になにかを聞かれるが、「No Russian! No Ukraine!」と、答えていた。どうやら入国審査官は英語が通じないらしい。
まず荷物検査で、みんなの荷物が開けられる。それぞれ、荷物を開けられて、何か質問をされて、「ハラショ」と言われておしまい。最後に俺のザックが調べられたが、ここで俺のホッカイロが少し問題になった。麻薬だと思われているのだろうか。腹の中に入れて、こうやって温めるんだと身振り手振りで質問してもなんか通じてないっぽい。後ろから、ウクライナ人の男性がなにか言って、それでなんか納得して、「ハラショ」と言われた。
そのあとは、標準軌から広軌への台車の交換に入るわけだが、ここで入国カードの記入になる。俺のだけ英語のカードで、少しあとになって渡された。
台車の交換は、入国審査官とか兵士が車内をうろうろしてるので、あんまり撮れなかった。標準軌とロシアンゲージの違いは、10センチにも満たないのであまり大した違いはない。
1時間ほどで台車の交換と列車の再編成は終了し、無事にパスポートは返され、列車はウクライナの地をキエフに向けて走り出す。パスポートを見てみると、一番最後のページにウクライナの入国スタンプが押されてあった。旧ソ連圏の国々は、最後のページからスタンプを押していくのだ。
翌朝。
外では、エレクトリーチカの車両が見える。キエフも近い。
きれいな駅舎だ。もっと旧ソ連的な無機質で暗いのを想像していたんだが。
やがて、ルーマニア人のおっさんが起きだしてきて、「よく眠れたか?」ときいてくれる。そのあと、少し会話をする。ブカレストに住んでいるというおっさんは、「ブカレストは大丈夫だったか?」と聞いてきた。やっぱり、現地住民にも危険な都市という認識らしい。「ブカレストはいわれてるほど危険じゃなかったっすよw普通の街じゃないですかw」と言ったら、「それはお前さんがラッキーだったんだ。ブカレストは危険な都市だよ。たしかに、中心部はそこまで危険じゃないかもしれない。だけど、郊外はひどいところだ。」と返される。さらに、「これから行くキエフも危ないって話だぞ。ブカレストのギャングは銃を持っていないけど、キエフのギャングには銃がある。」と言う。俺は、「でも、俺の友達は、キエフは治安がいいと言っていたぞ?」と返すと、「俺は初めて行くけど、昨日途中で降りて行ったウクライナ人が言っていた。何はともあれ、十分に気を付けるんだ。」と話した。
広軌になったものの、列車のスピードはあまり早くない。60キロぐらいでゴトゴト走る。縦揺れもけっこうあって、安定性はあまりよくなさそうだ。中国の列車のほうがすいすい走る。
キエフに到着した。やはり、タクシーの客引きがホームに待ち構えている。どうやら、キエフ駅も改札はないらしい。
今までのヨーロッパの駅前と違って、どことなく中国の駅前と似た雰囲気がある、キエフ駅前。ここから地下鉄の入り口を探し、キエフに繰り出す。
しかし、ここの客引きは本当にやる気がない。ニコリともせず、死んだような声で「タクシー」という。無視したり、手でいらないと言っても、それ以上は全くついてこなくてあっさりしている。それで商売になるのか、逆に心配になってくる。