(所在地)佐賀県東松浦郡七山町
九州自動車道(長崎道)の佐賀大和ICで下車。
323号線を佐賀県の唐津方面へ進む。
途中、山間の川上峡温泉、古湯温泉を経由し、
嘉瀬川を右に見ながら遡つていくと、観音峠に
さしかかる。ここを過ぎて、10分ほど車を走
らせると、七山町集落に至る。
七山町役場を通り過ぎ276号線を”観音の滝”
の案内板に沿って上がっていくと、”ペンタ共和国”
の看板が目に付きます。この周辺が駐車場となって
おり、ここに車を止めて山道を下っていくと、10分
くらいで滝に辿り着きます。駐車場からすぐ。P25台位。
滝へ通じる入り口には、石灯篭があり、遠くの杉林
の美しさに見とれながら歩いて行くと、道路脇に”滝の
観音”の紹介板が立っています。
七山町が立てたこの紹介板の説明によると、
『文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が肥前の名護屋城
へ来て、自ら朝鮮へ向う将士の指揮に当たったが、秀吉
の名護屋陣中、身の回りの世話をしたのは、名護屋越前
守経述の妹(広)であった。広は美人で気立ても優しか
ったので、秀吉に可愛がられ、「広沢局」と呼ばれた。
「広沢局」は文禄3年(1594年)2月に眼病を患い
治らなかったので、5月に七山御滝川を訪れて、聚福院
の観音菩薩に21日間、眼病平癒の願をかけたところ、
快癒したと伝えられている。その観音様が「滝の観音」
であって、今もその御分霊が「広沢局」にゆかりのある
名護屋城山里丸の「広沢寺」に祭られている。滝壷の近
くに人間の目のような窪みがあって、そこに生目観音寺
が祭ってある。その水を汲んで供え、また、その水で目
を湿らすと、眼病がよくなるといわれている。』
と説明されています。
観音堂の境内には、広沢局の400周年記念の碑があり、
その先の堂門をくぐると、心地よい風に乗って、木々の
間をぬって、滝の轟音が聞こえます。
九州自動車道(長崎道)の佐賀大和ICで下車。
323号線を佐賀県の唐津方面へ進む。
途中、山間の川上峡温泉、古湯温泉を経由し、
嘉瀬川を右に見ながら遡つていくと、観音峠に
さしかかる。ここを過ぎて、10分ほど車を走
らせると、七山町集落に至る。
七山町役場を通り過ぎ276号線を”観音の滝”
の案内板に沿って上がっていくと、”ペンタ共和国”
の看板が目に付きます。この周辺が駐車場となって
おり、ここに車を止めて山道を下っていくと、10分
くらいで滝に辿り着きます。駐車場からすぐ。P25台位。
滝へ通じる入り口には、石灯篭があり、遠くの杉林
の美しさに見とれながら歩いて行くと、道路脇に”滝の
観音”の紹介板が立っています。
七山町が立てたこの紹介板の説明によると、
『文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が肥前の名護屋城
へ来て、自ら朝鮮へ向う将士の指揮に当たったが、秀吉
の名護屋陣中、身の回りの世話をしたのは、名護屋越前
守経述の妹(広)であった。広は美人で気立ても優しか
ったので、秀吉に可愛がられ、「広沢局」と呼ばれた。
「広沢局」は文禄3年(1594年)2月に眼病を患い
治らなかったので、5月に七山御滝川を訪れて、聚福院
の観音菩薩に21日間、眼病平癒の願をかけたところ、
快癒したと伝えられている。その観音様が「滝の観音」
であって、今もその御分霊が「広沢局」にゆかりのある
名護屋城山里丸の「広沢寺」に祭られている。滝壷の近
くに人間の目のような窪みがあって、そこに生目観音寺
が祭ってある。その水を汲んで供え、また、その水で目
を湿らすと、眼病がよくなるといわれている。』
と説明されています。
観音堂の境内には、広沢局の400周年記念の碑があり、
その先の堂門をくぐると、心地よい風に乗って、木々の
間をぬって、滝の轟音が聞こえます。