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菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

田峯菅沼家その後

2009-05-26 21:59:14 | 菅沼家ルーツ

 田峯城主の菅沼新三郎定忠(さだただ)は、家老の城所道寿(きどころどうじゅ)らを率いて武田方に従軍するが、武田軍は織田・徳川連合軍の前に大敗を喫する。菅沼定忠は敗れた武田勝頼(かつより)を案内して田峯城までたどりついたが、武田氏の敗報を受けた留守居の菅沼定直と家老の今泉孫右衛門道善(どうぜん)らが謀反をおこし、城門を堅く閉ざしてしまい入城できなかった。菅沼定忠は武田勝頼とともに支城の武節城(稲武町)を経由して信濃国に逃れた。天正4年(1576年)復讐を誓った菅沼定忠は、田峯城を急襲し、謀反の一族96名を惨殺し、首謀格の今泉道善は鋸引きの刑(生きたままノコギリで首を切り落とす)に処された。田峯城のすぐ西の丘には、今泉道善処刑の地が残る。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、菅沼定忠は徳川氏に赦免を願い出るが許されず、信濃国伊那郡知久平にて牛久保城(豊川市)の牧野康成(やすなり)に誅殺され、田峰菅沼家は滅亡する事になった。

と記されています。

田峯菅沼家の一族郎党も路頭に迷ったのでしょうね。「岩松寺」この存在を私は知りませんでした。このブログにコメントをいただいている「ジョン・カモンさん、チェリーさんの書き込みで、初めて知りました。田峯菅沼一族のたどり着いたのが岩松寺のようです。千手観音もありますね。私の家の墓所は昔、千手院といったようです。今は廃寺になってしまって家の墓になっています。何か縁を感じますね。

 


山法師

2009-05-26 06:23:09 | 菅沼家ルーツ

雑木林の中にヤマボウシの花が見事に咲いていました。

名前の由来は、中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞらえたのだそうです。