「方言」に対して、「標準語」という語が存在する。飯田・下伊那の「方言書」、町村誌(史)の記述、各種研究論考にもしばしば登場する語である。私は、かねがねこの語の用い方について、疑問を覚えてきた。「標準語」ではなく、「共通語」ではないのかと。
見坊豪紀『国語学辞典』(1955)によると、「共通語」とは、「一国のどこででも、共通に意思を交換することのできる言語」とされ、国語学界として定着した定義だと考えられている。一方、標準語について、同辞典は、「共通語を洗練し、一定の基準で統制した、理想的な言語」と定義する。
『標準語と方言』(1977文化庁)に収録された柴田武の論考によると、1949年以前には、共通語と標準語をこのように区別して使う習慣はなかったという。1949年以前には、標準語という用語しかなく、その定義は、神保格『標準語研究』(1941)による「東京の山の手の教養ある人々の言語」とされていたという。これに対して、石黒魯平は、著書『標準語』(1950)で標準語とは、「東京語を土台にして、能率的に、合理的に、情味的に、知性的に、倫理的に、それを高いものにして使おうと日本民族各員が追求する理想的言語体系」とし、神保と意見が対峙していたという。
これら対峙する定義は別として、標準語ということばの裏には、ことばによって国家の統一をはかるという時の政府の意思が存在していた。すなわち1902年に政府によって作られた国語調査委員会の調査方針のひとつに掲げられた「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」であり、『長野県下伊那郡方言調査書』(1903)もこの視点から調査が行われたに違いない。
そこで、「方言」とは何かを改めて問うてみたい。共通語が「一国のどこででも、共通に意思を交換することのできる言語」とするならば、方言は、地域に制約された言語であり、ある地域にしか通じない言語ということになる。一方で、1902年の国語調査委員会の調査方針、「ある地域にしか通じない言語(方言)を調査して標準語を選定する」ということは、国家がことばを作るということであり、標準語は、人工的なことばととらえることができる。先に引用した神保と石黒の「標準語」の解釈からすれば、神保のいう標準語は「方言」であり、石黒の定義は人工的なことば、つまりまさに「標準語」をさしている。
しかしながら、私が抱く疑問は、国語学界の「標準語」、「共通語」という解釈に関係なく、「標準」、「共通」という語感が与えるイメージからくるものである。そもそも、ことばはすべて人工的なものであり、標準語と呼ばれるものも共通語と呼ばれるものも、そして方言と呼ばれるものも人工的なものである。(もっとも先に引用した石黒の定義は、時の為政者が言語を統制するための国家的な人工化であり、方言や共通語が同じ人工的なものであってもその成立過程に違いがあること、根本的には統制のための言語である標準語とそうでない共通語と方言の違いを認めた上での「人工化」という使い分けであることを承知ねがいたい。)
そんな意識の中で思うことは、方言こそ、その言語が使われる地域の中ではもっともポピュラーな言語、すなわち「標準語」(いくぶん、矛盾を感ずる方もあるかと思うが、ここでいう「標準」には統制的な意味合いは存在しない。)なのではないのか、そうだとするなら、方言集などでしばしば用いる解釈部分は、共通語というべきではないのかという語感からくるこだわりである。
具体的には、私は、方言調査で話者と向かい合ったとき、話者には決して方言調査であることを伝えていない。つまり、話者が語ろうとする多くの言語は、まぎれもない方言であって、その中から方言語彙を収集することは十分に可能だということである。もし、そこで、方言調査と大見得でも切ってしまったら、話者は構えてしまい、無理をしてでも「共通語」で語ろうとする。そのため、私は、調査に出向いたときは、あえて方言調査とはいわずに昔話をふだんの話し方で語ってもらうことにしている。話者にとって、ふだんのことばこそ、彼らにとっての「標準語」なのである。国語的な定義にこだわる必要はないのである。
見坊豪紀『国語学辞典』(1955)によると、「共通語」とは、「一国のどこででも、共通に意思を交換することのできる言語」とされ、国語学界として定着した定義だと考えられている。一方、標準語について、同辞典は、「共通語を洗練し、一定の基準で統制した、理想的な言語」と定義する。
『標準語と方言』(1977文化庁)に収録された柴田武の論考によると、1949年以前には、共通語と標準語をこのように区別して使う習慣はなかったという。1949年以前には、標準語という用語しかなく、その定義は、神保格『標準語研究』(1941)による「東京の山の手の教養ある人々の言語」とされていたという。これに対して、石黒魯平は、著書『標準語』(1950)で標準語とは、「東京語を土台にして、能率的に、合理的に、情味的に、知性的に、倫理的に、それを高いものにして使おうと日本民族各員が追求する理想的言語体系」とし、神保と意見が対峙していたという。
これら対峙する定義は別として、標準語ということばの裏には、ことばによって国家の統一をはかるという時の政府の意思が存在していた。すなわち1902年に政府によって作られた国語調査委員会の調査方針のひとつに掲げられた「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」であり、『長野県下伊那郡方言調査書』(1903)もこの視点から調査が行われたに違いない。
そこで、「方言」とは何かを改めて問うてみたい。共通語が「一国のどこででも、共通に意思を交換することのできる言語」とするならば、方言は、地域に制約された言語であり、ある地域にしか通じない言語ということになる。一方で、1902年の国語調査委員会の調査方針、「ある地域にしか通じない言語(方言)を調査して標準語を選定する」ということは、国家がことばを作るということであり、標準語は、人工的なことばととらえることができる。先に引用した神保と石黒の「標準語」の解釈からすれば、神保のいう標準語は「方言」であり、石黒の定義は人工的なことば、つまりまさに「標準語」をさしている。
しかしながら、私が抱く疑問は、国語学界の「標準語」、「共通語」という解釈に関係なく、「標準」、「共通」という語感が与えるイメージからくるものである。そもそも、ことばはすべて人工的なものであり、標準語と呼ばれるものも共通語と呼ばれるものも、そして方言と呼ばれるものも人工的なものである。(もっとも先に引用した石黒の定義は、時の為政者が言語を統制するための国家的な人工化であり、方言や共通語が同じ人工的なものであってもその成立過程に違いがあること、根本的には統制のための言語である標準語とそうでない共通語と方言の違いを認めた上での「人工化」という使い分けであることを承知ねがいたい。)
そんな意識の中で思うことは、方言こそ、その言語が使われる地域の中ではもっともポピュラーな言語、すなわち「標準語」(いくぶん、矛盾を感ずる方もあるかと思うが、ここでいう「標準」には統制的な意味合いは存在しない。)なのではないのか、そうだとするなら、方言集などでしばしば用いる解釈部分は、共通語というべきではないのかという語感からくるこだわりである。
具体的には、私は、方言調査で話者と向かい合ったとき、話者には決して方言調査であることを伝えていない。つまり、話者が語ろうとする多くの言語は、まぎれもない方言であって、その中から方言語彙を収集することは十分に可能だということである。もし、そこで、方言調査と大見得でも切ってしまったら、話者は構えてしまい、無理をしてでも「共通語」で語ろうとする。そのため、私は、調査に出向いたときは、あえて方言調査とはいわずに昔話をふだんの話し方で語ってもらうことにしている。話者にとって、ふだんのことばこそ、彼らにとっての「標準語」なのである。国語的な定義にこだわる必要はないのである。