飯田弁で「正座をする」ことを「オカシマスル」という。
県内の主流は、「オツクベ」系(「オツクベ」、「オツクンベ」、「オツンベコ」、「オツクバイ」など)で下水内から木曽にいたる駒ヶ根以南の伊那谷以外の各地で見られる。
「オツクベ」系は、「ツクバル」、「ツクバウ」に起因すると考えられる。すなわち、「ツクバル」→「ツクベル」と転訛し、「ツクベル」がさらに「オツクベ」系へと広がっていったのではないかと思われる。それらが形を変えつつも県内へ広がっていった。伊那市周辺にみられる「オツンブ」、「オツンブリ」、「オツム」といった一見して特殊な感じを受ける語彙も元はといえば、「ツクバル」類と考えていいだろう。
ところが、この「ツクバル」類を受け入れなかった地域があった。それが駒ヶ根市以南の伊那谷地域である。
駒ヶ根市以南の伊那谷には、「オツクベ」系は皆無である。一部、飯田市の南西に「ツクバル」類が、愛知県境に「オチャンコ」、静岡県境に「ヒザマズク」が存在するものの圧倒的に「オカシマスル」、「カシマル」、「カシコマル」で、その中でも「オカシマスル」が絶対的に優勢にある。しかも、この「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北の各地域(北信、中信、東信、木曽)には存在しない。つまり、長野県内では圧倒的に優位にある「オツクベ」系を駒ヶ根市以南の伊那谷では受け入れず、「オカシマ」系が席巻していた。裏を返せば、「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北へ進出することができず、以南の伊那谷にとどまったということだ。
「日本方言大辞典」(小学館)には、「オカシマ」が採録されている。これには次のように記述されている。
おかしま 正座すること。長野県上伊那郡 長野県下伊那郡
この記述を単純にとらえるならば、「正座する」を「オカシマスル」と使っているのは、駒ヶ根以南の伊那谷のみということになる。
どうして、「正座する」は「オカシマスル」なのだろうか。この成り立ちを推理してみた。いつもなら、福沢先生や馬瀬先生の著書を参考にしながら、一定の方向を導きだせるのだが、今回はそうはいかない。駒ヶ根以南の伊那谷にしか存在しない語彙ゆえに、先人の解説が極めて少ない。
「信州下伊那郡方言集」(昭和11年 井上福實編 私家版)に「カシコマル」、「カシマル」という見出し語を見つけた。意味はともに「正しく座る」とある。先に引用した「日本方言大辞典」には「カシコマル」が採録され、次のような記述がある。
かしこまる【畏】
①正座する。端座する。長野県 三重県志摩郡 島根県 山口県大島 香川県
(かしくまる) 埼玉県秩父郡
(かしかまる) 山口県玖珂郡 山口県大島 高知県
(かしまる) 長野県南部 島根県鹿足郡
(かしこねまる)島根県出雲郡(幼児語)
②座る。 兵庫県淡路島(丁寧語)
(かしこむ) 香川県高見島
③ひざまずく。 島根県隠岐島
さらに「日本国語大辞典」(小学館)には次のような記述があった。
かしこまる【畏・恐】
①相手の威厳に押されたり、自分に弱点があったりして、おそれ入る。おそれつつしむ。
②高貴な人が自分に対して示した行為を、もったいないと思う。
恐縮する。また、礼を述べる。
③申しわけなく思うようすをする。また、わびをいう。
④目上の人の怒りを受けて謹慎する。
⑤つつしみを表わして、居ずまいを正したり、平伏したりする。
(以下、省略)
⑤の注釈として、「日本国語大辞典」は次のように記述する。
宇津保物語
「君のおり給ふ所に五位六位ひざまづきかしこまる」
平家物語(那須与一)
「しげどうの弓脇にはさみ、甲をば高ひもにかけ、判官の前に畏る」
人情本・春色梅児誉美
「その風俗の人々に似たりと思へばおそろしく、ふるへてわきへかしこまる」
そして、興味深い記述が「日本国語大辞典」にあった。
かしこまりだこ【畏胼胝】 正座した状態でいることが多いために、足のくるぶしの付近にできるたこ。すわりだこ。
以上の引用を整理していくと、次の方向がおぼろげながら見えてきたような気がする。
「カシコマル」→「カシマル」→「オカシマル」→「オカシマ」
つまり、「カシコマル」とは、そもそも高貴な人などの前で、ひざまづき、威儀を正して座る姿であり、平安の昔から存在した語彙だった。それが地方へ伝搬する中で、やがて、きちんと座ることも「カシコマル」と表すようになった。そして、伊那谷では、「カシコマル」の「コ」が省略されて、「カシマル」となり、さらに飯田弁に見られる接頭辞「オ」がついて、「オカシマル」、ついには「ル」が略されて「オカシマ」という名詞形が生み出されたのではないか。
一方、県内に広く分布する「ツクバル」類はどうか。「ツクバル」とは、①座る。②しゃがむ。蹲る(うずくまる)。③平伏する。④礼をする。と「全国方言辞典」(東京堂出版)には記述されている。そして、使われる地域として、②の「しゃがむ」、「蹲る」に「長野県下伊那郡」とある。「信州下伊那郡方言集」には、この「ツクバル」類のひとつと思われる語として「ツクナル」を採録している。その意味は「力を失って蹲る。へたばる。」とある。
そこで、やや乱暴ではあるが、駒ヶ根以南の伊那谷に「正座する」ことを意味する「ツクバル」類がなぜないのか、推論する。
「ツクバル」類が伊那谷に広がろうとしていたとき、伊那谷にはすでに「ツクバル」(「ツクナル」)が存在していた。しかも、それは、「正座」とはまるで違う意味で使われていた。そして、平安の昔につながる「オカシマ」があった。
県内の主流は、「オツクベ」系(「オツクベ」、「オツクンベ」、「オツンベコ」、「オツクバイ」など)で下水内から木曽にいたる駒ヶ根以南の伊那谷以外の各地で見られる。
「オツクベ」系は、「ツクバル」、「ツクバウ」に起因すると考えられる。すなわち、「ツクバル」→「ツクベル」と転訛し、「ツクベル」がさらに「オツクベ」系へと広がっていったのではないかと思われる。それらが形を変えつつも県内へ広がっていった。伊那市周辺にみられる「オツンブ」、「オツンブリ」、「オツム」といった一見して特殊な感じを受ける語彙も元はといえば、「ツクバル」類と考えていいだろう。
ところが、この「ツクバル」類を受け入れなかった地域があった。それが駒ヶ根市以南の伊那谷地域である。
駒ヶ根市以南の伊那谷には、「オツクベ」系は皆無である。一部、飯田市の南西に「ツクバル」類が、愛知県境に「オチャンコ」、静岡県境に「ヒザマズク」が存在するものの圧倒的に「オカシマスル」、「カシマル」、「カシコマル」で、その中でも「オカシマスル」が絶対的に優勢にある。しかも、この「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北の各地域(北信、中信、東信、木曽)には存在しない。つまり、長野県内では圧倒的に優位にある「オツクベ」系を駒ヶ根市以南の伊那谷では受け入れず、「オカシマ」系が席巻していた。裏を返せば、「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北へ進出することができず、以南の伊那谷にとどまったということだ。
「日本方言大辞典」(小学館)には、「オカシマ」が採録されている。これには次のように記述されている。
おかしま 正座すること。長野県上伊那郡 長野県下伊那郡
この記述を単純にとらえるならば、「正座する」を「オカシマスル」と使っているのは、駒ヶ根以南の伊那谷のみということになる。
どうして、「正座する」は「オカシマスル」なのだろうか。この成り立ちを推理してみた。いつもなら、福沢先生や馬瀬先生の著書を参考にしながら、一定の方向を導きだせるのだが、今回はそうはいかない。駒ヶ根以南の伊那谷にしか存在しない語彙ゆえに、先人の解説が極めて少ない。
「信州下伊那郡方言集」(昭和11年 井上福實編 私家版)に「カシコマル」、「カシマル」という見出し語を見つけた。意味はともに「正しく座る」とある。先に引用した「日本方言大辞典」には「カシコマル」が採録され、次のような記述がある。
かしこまる【畏】
①正座する。端座する。長野県 三重県志摩郡 島根県 山口県大島 香川県
(かしくまる) 埼玉県秩父郡
(かしかまる) 山口県玖珂郡 山口県大島 高知県
(かしまる) 長野県南部 島根県鹿足郡
(かしこねまる)島根県出雲郡(幼児語)
②座る。 兵庫県淡路島(丁寧語)
(かしこむ) 香川県高見島
③ひざまずく。 島根県隠岐島
さらに「日本国語大辞典」(小学館)には次のような記述があった。
かしこまる【畏・恐】
①相手の威厳に押されたり、自分に弱点があったりして、おそれ入る。おそれつつしむ。
②高貴な人が自分に対して示した行為を、もったいないと思う。
恐縮する。また、礼を述べる。
③申しわけなく思うようすをする。また、わびをいう。
④目上の人の怒りを受けて謹慎する。
⑤つつしみを表わして、居ずまいを正したり、平伏したりする。
(以下、省略)
⑤の注釈として、「日本国語大辞典」は次のように記述する。
宇津保物語
「君のおり給ふ所に五位六位ひざまづきかしこまる」
平家物語(那須与一)
「しげどうの弓脇にはさみ、甲をば高ひもにかけ、判官の前に畏る」
人情本・春色梅児誉美
「その風俗の人々に似たりと思へばおそろしく、ふるへてわきへかしこまる」
そして、興味深い記述が「日本国語大辞典」にあった。
かしこまりだこ【畏胼胝】 正座した状態でいることが多いために、足のくるぶしの付近にできるたこ。すわりだこ。
以上の引用を整理していくと、次の方向がおぼろげながら見えてきたような気がする。
「カシコマル」→「カシマル」→「オカシマル」→「オカシマ」
つまり、「カシコマル」とは、そもそも高貴な人などの前で、ひざまづき、威儀を正して座る姿であり、平安の昔から存在した語彙だった。それが地方へ伝搬する中で、やがて、きちんと座ることも「カシコマル」と表すようになった。そして、伊那谷では、「カシコマル」の「コ」が省略されて、「カシマル」となり、さらに飯田弁に見られる接頭辞「オ」がついて、「オカシマル」、ついには「ル」が略されて「オカシマ」という名詞形が生み出されたのではないか。
一方、県内に広く分布する「ツクバル」類はどうか。「ツクバル」とは、①座る。②しゃがむ。蹲る(うずくまる)。③平伏する。④礼をする。と「全国方言辞典」(東京堂出版)には記述されている。そして、使われる地域として、②の「しゃがむ」、「蹲る」に「長野県下伊那郡」とある。「信州下伊那郡方言集」には、この「ツクバル」類のひとつと思われる語として「ツクナル」を採録している。その意味は「力を失って蹲る。へたばる。」とある。
そこで、やや乱暴ではあるが、駒ヶ根以南の伊那谷に「正座する」ことを意味する「ツクバル」類がなぜないのか、推論する。
「ツクバル」類が伊那谷に広がろうとしていたとき、伊那谷にはすでに「ツクバル」(「ツクナル」)が存在していた。しかも、それは、「正座」とはまるで違う意味で使われていた。そして、平安の昔につながる「オカシマ」があった。