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ブログ版「泥鰌の研究室」

 信州飯田周辺の方言(飯田弁)を発信しながら、日本語について考えていきます。

オカシマ

2006-02-08 | 飯田弁語彙の解説と考察
 飯田弁で「正座をする」ことを「オカシマスル」という。
 県内の主流は、「オツクベ」系(「オツクベ」、「オツクンベ」、「オツンベコ」、「オツクバイ」など)で下水内から木曽にいたる駒ヶ根以南の伊那谷以外の各地で見られる。
 「オツクベ」系は、「ツクバル」、「ツクバウ」に起因すると考えられる。すなわち、「ツクバル」→「ツクベル」と転訛し、「ツクベル」がさらに「オツクベ」系へと広がっていったのではないかと思われる。それらが形を変えつつも県内へ広がっていった。伊那市周辺にみられる「オツンブ」、「オツンブリ」、「オツム」といった一見して特殊な感じを受ける語彙も元はといえば、「ツクバル」類と考えていいだろう。
 ところが、この「ツクバル」類を受け入れなかった地域があった。それが駒ヶ根市以南の伊那谷地域である。
 駒ヶ根市以南の伊那谷には、「オツクベ」系は皆無である。一部、飯田市の南西に「ツクバル」類が、愛知県境に「オチャンコ」、静岡県境に「ヒザマズク」が存在するものの圧倒的に「オカシマスル」、「カシマル」、「カシコマル」で、その中でも「オカシマスル」が絶対的に優勢にある。しかも、この「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北の各地域(北信、中信、東信、木曽)には存在しない。つまり、長野県内では圧倒的に優位にある「オツクベ」系を駒ヶ根市以南の伊那谷では受け入れず、「オカシマ」系が席巻していた。裏を返せば、「オカシマ」系は、駒ヶ根市以北へ進出することができず、以南の伊那谷にとどまったということだ。

 「日本方言大辞典」(小学館)には、「オカシマ」が採録されている。これには次のように記述されている。

  おかしま 正座すること。長野県上伊那郡 長野県下伊那郡

 この記述を単純にとらえるならば、「正座する」を「オカシマスル」と使っているのは、駒ヶ根以南の伊那谷のみということになる。
 どうして、「正座する」は「オカシマスル」なのだろうか。この成り立ちを推理してみた。いつもなら、福沢先生や馬瀬先生の著書を参考にしながら、一定の方向を導きだせるのだが、今回はそうはいかない。駒ヶ根以南の伊那谷にしか存在しない語彙ゆえに、先人の解説が極めて少ない。

 「信州下伊那郡方言集」(昭和11年 井上福實編 私家版)に「カシコマル」、「カシマル」という見出し語を見つけた。意味はともに「正しく座る」とある。先に引用した「日本方言大辞典」には「カシコマル」が採録され、次のような記述がある。

  かしこまる【畏】
 ①正座する。端座する。長野県 三重県志摩郡 島根県 山口県大島 香川県
     (かしくまる) 埼玉県秩父郡
     (かしかまる) 山口県玖珂郡 山口県大島 高知県
     (かしまる) 長野県南部 島根県鹿足郡
     (かしこねまる)島根県出雲郡(幼児語)
  ②座る。 兵庫県淡路島(丁寧語)
    (かしこむ)  香川県高見島
  ③ひざまずく。 島根県隠岐島

 さらに「日本国語大辞典」(小学館)には次のような記述があった。

  かしこまる【畏・恐】
 ①相手の威厳に押されたり、自分に弱点があったりして、おそれ入る。おそれつつしむ。
  ②高貴な人が自分に対して示した行為を、もったいないと思う。
恐縮する。また、礼を述べる。
  ③申しわけなく思うようすをする。また、わびをいう。
  ④目上の人の怒りを受けて謹慎する。
  ⑤つつしみを表わして、居ずまいを正したり、平伏したりする。
(以下、省略)

 ⑤の注釈として、「日本国語大辞典」は次のように記述する。

  宇津保物語
「君のおり給ふ所に五位六位ひざまづきかしこまる」
  平家物語(那須与一)
   「しげどうの弓脇にはさみ、甲をば高ひもにかけ、判官の前に畏る」
人情本・春色梅児誉美
   「その風俗の人々に似たりと思へばおそろしく、ふるへてわきへかしこまる」

 そして、興味深い記述が「日本国語大辞典」にあった。

  かしこまりだこ【畏胼胝】 正座した状態でいることが多いために、足のくるぶしの付近にできるたこ。すわりだこ。

 以上の引用を整理していくと、次の方向がおぼろげながら見えてきたような気がする。

 「カシコマル」→「カシマル」→「オカシマル」→「オカシマ」
 
 つまり、「カシコマル」とは、そもそも高貴な人などの前で、ひざまづき、威儀を正して座る姿であり、平安の昔から存在した語彙だった。それが地方へ伝搬する中で、やがて、きちんと座ることも「カシコマル」と表すようになった。そして、伊那谷では、「カシコマル」の「コ」が省略されて、「カシマル」となり、さらに飯田弁に見られる接頭辞「オ」がついて、「オカシマル」、ついには「ル」が略されて「オカシマ」という名詞形が生み出されたのではないか。

 一方、県内に広く分布する「ツクバル」類はどうか。「ツクバル」とは、①座る。②しゃがむ。蹲る(うずくまる)。③平伏する。④礼をする。と「全国方言辞典」(東京堂出版)には記述されている。そして、使われる地域として、②の「しゃがむ」、「蹲る」に「長野県下伊那郡」とある。「信州下伊那郡方言集」には、この「ツクバル」類のひとつと思われる語として「ツクナル」を採録している。その意味は「力を失って蹲る。へたばる。」とある。

 そこで、やや乱暴ではあるが、駒ヶ根以南の伊那谷に「正座する」ことを意味する「ツクバル」類がなぜないのか、推論する。
 「ツクバル」類が伊那谷に広がろうとしていたとき、伊那谷にはすでに「ツクバル」(「ツクナル」)が存在していた。しかも、それは、「正座」とはまるで違う意味で使われていた。そして、平安の昔につながる「オカシマ」があった。

ヒドロッコイ

2005-10-01 | 飯田弁語彙の解説と考察
 「長野県史方言編」に登載されている「長野県言語地図」は、県内の方言分布を知る上で貴重な資料である。
 その中のひとつに「まぶしい」を意味する方言分布地図がある。
 北信は、圧倒的に「カガッポイ」・「カゲッポイ」・「カエッポイ」系が多いが、中信から南信にかけては、「ヒ(シ)ドロッコイ」系が占拠する。
 「ヒドロッコイ」という表現は、共通語の「マブシイ」に押され、やがて消滅する可能性があるが、全国的にもこの辺がこの表現の占拠地(福沢武一「ずくなし 上巻」318ページ)であることから、大切にしたい語彙のひとつである。
 今回は、この「ヒドロッコイ」に焦点をあててみたい。

 「長野県言語地図」の「まぶしい」の分布図をみてみると、「ヒドロッコイ」のほか、「ヒドロッケー」・「ヒドロッタイ」・「ヒドロッテー」・「ヒドロイ」と「ヒドロ」+○○の形(馬瀬良雄先生は、これを「ヒドロ類」と分類する。馬瀬良雄「信州のことば」320ページ)となっている。
 この「ヒドロ」とは何を意味しているのだろうか。
 馬瀬先生は、「信州のことば」の中で次のように説明されている。
  
  ヒドロ類の語源を、伊那谷南部のヒズルシイと絡めて考える。(中略)
  私はヒズル類からヒドロ類が生まれたと考え、語源をヒジルイ(日著い)に求める。 この語は「静岡県方言辞典」にも載る。ヒジルイはヒズルイとなる。ここで音韻変化、 z>d、u>oを受けてヒドロ類は生まれる。(中略)青木千代吉もヒドロッコイの語源を  「日著し」とする。

もうひとり、福沢武一先生は、「ずくなし 上巻」で次のように述べている。

  では、ヒドロは端的に言ってなにか?
  長年とまどった後、南安曇奈川村の斎藤善一翁に貴重なヒントを恵まれた。(中略)
    ヒドレル (目がくらむ) 奈川
  とっさに思った。ヒ(太陽光線)にヨイドレたのだな、と。「酔い」は別として、余 りの明るさに感覚がシドロモドロになったのだ。

 以上、長野県の方言研究の大御所おふたりの解釈を何度も読み返してみたが、いっこうに「ヒドロ」の語源、意味が理解できずにいた。

 そこで、馬瀬先生、青木先生がおっしゃる「日著し」(ひじるし)とは何か考えてみた。
 残念ながら、「日本国語大辞典」、「新言海」に「日著し」という見出し語がないため、「日」と「著し」を分解した。
 「日」は、「太陽の光。日光。日ざし」、「著し」は、「明らかに知れ渡る。目にたってかくれない。明白である。」の意味をもつ。(いずれも「新言海」の解説による。)
 つまり、「日著し」とは、「日ざしが明るい」という意味であろうか。それが、「まぶしい」につながる。
 一方の福沢先生の説はどうか。
 改めて、「ずくなし 上巻」の記述に戻ってみた。

  同地域(筆者注 南安曇奈川村をいう。)の類語は次のようであった。
    ヒドロッコイ (まぶしい) 奈川
    ヒドロッタイ (同) 島々
    ヒドリッタイ (同) 稲核
  類似のものがこちらにもある。
    ヒドラッテー (同) 北部・三義
    ヒドラッタイ (同) 東箕輪
  ヒドリはヒドレルの血が濃い。ヒドロ・ヒドラは二次化している。タイは、「見た  い、聞きたい」のタイではない。古語イタシ(激しい)から来ている。そうしないでい られない、の意。(中略)
  やはりヨイドレのドレに心ひかれる。
    エヒドレ(酔人) エヒツブレ(酔漢)の略転。(大言海)
  ツブレは絶対ドレにはならない。が、語義として、堪えかねるものがドレに宿ってい る。

 ヒドロのドロは、ドレが原義であると福沢先生は説く。ヒドレルのドレルは、伊豆大島では「崩れる」という意味で使われる。つまり、「ヒ」、「ドレル」に分解するならば、「太陽の光によって崩れる」がヒドレルの語源ということになる。日ざしが強いゆえに倒れて(崩れて)しまう、すなわちそれが「まぶしい」ことを意味する。
 馬瀬・青木説と福沢説の接点をここに見いだすことができる。

 春先の日ざしは、光いよいよ濃く、まぶしさを増す。同様に夏の日ざしは、気温の上昇とともに光り輝き、その光を遮らざるをえないほどまぶしい。
 北信の「カガッポイ」の「カガ」は「照り輝く様」を表すと馬瀬先生はいう(「信州のことば」319ページ)。北信より温暖な中南信では、日ざしは、ただ単に照り輝くだけではなく、あまりの明るさに倒れかねないほどのもの、すなわち中南信の風土が「ヒドロッコイ」を生んだのではないかと思っている。

ウメル

2005-01-14 | 飯田弁語彙の解説と考察
ウメルとは、共通語でいう「埋める」ではない。
たとえば、風呂の湯を沸かしすぎて、熱くて、入浴できない場合は、「水でウメテ入りないよ(なんよ)」というように使う。風呂に限らず、熱いみそ汁、茶などの飲み物についても「ちょっとウメルかな?」などと使う、飯田では一般的な語である。

つまり、湯に水を入れて温度を下げるときに使う語である。

では、なぜ、「ウメル」のが、湯に水を入れるという行為なのか。

熱い湯に水を加えるということは、熱い湯の温度を下げることになるので、「薄める」ことにつながる。「ウスメル」の「ス」が失われた語かと推測していた。

明治14年に刊行された「言海」に「ウベ」という語が次のように解説されている。

 ウベ=増ス、加フルノ意。古語。

これを眼にしてはっと思いついた。
湯に水を加えるということは、量が増えることである。
「ウメル」とは、「ウベル」の転訛ではないか。

広島県山県郡の旧「戸河内町」の方言に「ウベル」があった。
意味は、「ウメル」と全く同じである。
(戸河内町は、平成の大合併で、2004年10月1日に加計町、筒賀村と合併し、安芸太田町となっている。)

やはり、「ウメル」は「ウベル」の転じたものであった。

ちなみにこの「戸河内」の方言には、飯田弁に通ずるものがいくつか散見される。ことばの伝搬過程等を考えると非常に興味深い。折りをみて、この地区のことばで飯田弁に通ずるものを取り上げていきたい。

戸河内郷土誌考をぜひごらんいただきたい。

キノドク(ナ)

2005-01-06 | 飯田弁語彙の解説と考察
年賀の客が進物を持参して年始のあいさつに訪問する。
進物を差し出した客に対して、家の主が「ごていねいにありがとうございます。キノドクだったなあ。」と答える。
年始に限らず、訪問客を迎え、進物等をいただいたときにみかける風景、ことばのやりとりだ。

「キノドク」は「気の毒」である。

「方言は絶滅するのか」(PHP新書 真田信治著)には、「キノドクナは「気の毒な」で、相手の気持ちを気づかって、感謝の意を表す北陸地方特有の表現形である。」(同書190ページ)と著者の真田氏は記述する。さらに氏は「「気の毒な」っていうのは北陸地方にある言い方ですけれど、やっぱりこれは相手に対して配慮する、「恐縮です」という意味ですよね。これはまさに日本的な表現だと思います。」(同書191ページ)と続ける。

「北陸地方特有」とされるこの表現は、実はわが飯田弁にも存在した。「すみません」という表現に通じた感謝の意を表す表現である。

…マイ(カ)

2004-12-24 | 飯田弁語彙の解説と考察
 「…マイ(カ)」という接尾語は、どのように使われているのだろうか。
 共通語の世界にあっては、この接尾語は、動詞の終止形・未然形などに接続して、①「…ないだろう」、「…はずがない」(打ち消しの推量)、②「…しない(つもりである)」、「…しないようにしよう」(打ち消しの意志)、③「…してはいけない」、「…してはならない」(禁止)、④「…しないほうがよい」、「…すべきではない」(不適当)といった意味で使われている。しかし、我が「飯田弁」は、「…ましょう」、「…ませんか」という意味で、「…マイカ」の形で相手を誘う気持ちを持って意志をあらわすものである。つまり、共通語では、打ち消し、否定といった場合に用いているが、飯田弁ではそうではないということである。
 同じような接尾語が飯田弁には存在する。
 それは「…ズ」である。この「…ズ」も「…マイ」と同じで、共通語では、活用語の未然形に接続し、「…ない」、「…ぬ」といった形で打ち消しをあらわす。しかし、飯田弁では、①「…う」、「…よう」という形で動詞の未然形について意志、勧誘の意をあらわしたり、②「…だろう」という形で用言の未然形について推量の意をあらわすものであり、「…マイ」同様にまるで反対の意味をもっている。

 隣接する上伊那ではどのように使用しているか。福沢武一氏の「上伊那の方言 ずくなし(上巻)」の「…マイ(カ)」に関する部分の記述を引用する。
  「…まいか」
   マイ 助動詞 四段活用動詞の終止形・連体形、その他の動詞の未然形(カ変、サ変で  は終止形にも)つく。(岩波国語辞典)     
南部では四段にも未然形にマイ(メー)がつく。
 ここでいう南部とは、上伊那南部のことであるが、下伊那北部と隣接していることから、この南部の影響は少なからず飯田弁に及んでいるはずだ。
 もうひとつの「…ズ」はどうか。「ずくなし」は次のように述べている。
  「…ズ (だろう)」
   イカズ(行こう) 
  自分の意志を表明している。相手があるとき、「さあ行こうよ」という勧誘になる。
シズ、ヤラズ
このズはもちろん文語の「ンズ」の血統である。
   …ズ ①推量「雨が降らズ」 ②意志「急いで行かズ」 ③勧誘「さあ行かズ」
 文語の「ンズ」について、「日本方言大辞典」(小学館)は次のように解説する。
  「ズ」助動詞
   助動詞「む」に助詞「と」動詞「す」が結合した「むとす」の転「むず」がさらに転じたもの

 以上の記述から、「…マイ(カ)」の接続について考えてみたい。
 私たちが日頃耳にする「…マイ(カ)」を「行く」という動詞を使って列挙する。
 「行カマイカ」
 「行キマイカ」
 「行クマイカ」
 「行コマイカ」
 このほかの接続例はない。
 冒頭に記述したように、方言にも文法があるとすれば、これらの接続例が「…マイ(カ)」の接続規則に適合しているか否かを実証していく必要がある。
 ここまで記述すれば、読者の皆さまにはもうおわかりのことと思うが、「行キマイカ」と「行コマイカ」以外の二つは、動詞の未然形あるいは終止形、連体形に接続しており、文法的には正しい用法である。
 しかし、「行キマイカ」と「行コマイカ」の場合は、いずれも動詞の未然形、終止形または連体形ではないので、文法的に考えると疑問符がつく。しかし、これらの使い方は現実には存在している。
 「…マイ(カ)」の意味を改めて問うてみよう。
 飯田弁の「…マイ(カ)」は、「…ましょう」、「…ませんか」という意味で相手を誘う気持ちを持って意志をあらわす。
 この意味から、「行コマイカ」は、「行こう」+「まいか」の形であって、勧誘の気持ちを強調したものだということがおわかりになるだろう。
 実際に「日本方言大辞典」には、次のような用例があげられている。
  富山県「行ってこまいか」
  石川県「ほんならへっからまいるまいか」
  越前、長野県「けそけそしてきた、さあしまふめいか」  
愛知県「料理ができたで食べよまい」
  三重県「早よ行こうまいか」
  滋賀県「山へ登ろまいか」
  明石「手すきやったら一緒にいこまいか」
 以上から、「行コマイカ」も文法的には正しい用法と言えるだろう。

 問題は「行キマイカ」である。「動詞の連用形」+「まいか」の形である。
 「行キマイカ」のほか、「ヤリマイカ」、「遊ビマイカ」、「シマイカ」、「守リマイカ」、「書キマイカ」、「読ミマイカ」等々、枚挙にいとまがない。
 文法的に考えるならば、これらは、「動詞の未然形」+「まいか」という形に照らすと、「ヤラマイカ」、「遊バマイカ」、「セマイカ」、「守ラマイカ」、「書カマイカ」、「読ママイカ」が正しい用法である。(「終止形・連体形」+「まいか」も同じように用例をあげることができるがここでは割愛する。)
しかし、実際に私たちは、日頃の会話で「動詞の連用形」+「まいか」という形の用例を耳にしている。文法的には、これらは間違った用法であるが、実際に存在する以上、「絶対に誤りである」というレッテルは貼りたくない。
 むりやりに、結論を導くとしたら、これらの用法は、「会話上は存在するが、文法的には本来あり得ない」ということであろうか。したがって、何かのキャンペーンなどで、この「…マイ(カ)」を使うとしたら、「動詞の未然形・終止形・連体形」+「まいか」という形で使うほうがそもそもの飯田弁のスタイルで、「動詞の連用形」+「まいか」は適当ではないのではないか。
 私は、常々、飯田弁は丸くてやさしいことばであると言ってきた。「行かまいか」と「行きまいか」、読者の皆さまにとって、どちらが丸くてやさしい使い方だろうか。