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ブログ版「泥鰌の研究室」

 信州飯田周辺の方言(飯田弁)を発信しながら、日本語について考えていきます。

方言集の役割を考える

2004-11-22 | 方言(飯田弁)一般
「方言集」は、ある地域特有の言語語彙を収集し、それに共通語による注釈を加えた形が一般的である。
 稲垣成夫らが2001年に刊行した『飯伊方言-中国語対訳集』は、そんな「方言集」の概念を覆す試みであった。

 方言は、その風土が生み出した言語であり、その地方で生きる人々が生活の中から生み出した知恵の結晶である。それゆえにその地域特有の感覚から生まれたものが多く、共通語では言い表すことができない難しさがある。
 飯田弁では、「ミヤマシー」などはその代表格である。私たちは、「ミヤマシー」という感覚は持ち得ているが、それを共通語でどう言うのかと問われれば、おそらく多くの人たちはこの答を出すことはできまい。その困難をあえて承知の上で、方言を外国語に訳すというのが稲垣らの取り組みであった。筆者が知り得る範囲において、地方の言語-方言を外国語に訳した例は、おそらく稲垣らの取り組みが最初であろう。
 「方言集」の果たす役割は、単に日本国内へ地方の言語を発信することのみにとどまらなくなってきたといえよう。

方言は文化である

2004-11-19 | 方言(飯田弁)一般
福沢武一は、「伊那」へ投稿した「方言はふるさと」(1991~94)の中で、「方言は理知と情念の産物である。方言は父祖たちの心の所在である。換言すれば方言は私たちのふるさとなのだ。」と、14回にわたる連載を締めくくっている。私は、だからこそ、方言は、その地方が生み出した文化であると考えたい。もし、そうでなかったら、方言がこうも人を郷愁にそそらせることはないと思うからである。

 松山義雄『山国のわらべうた』(1972)に下伊那の子どもたちが遊んだ後、あるいは夕方など友だちと別れるときの記述がある。「あばや、しばや、がんのんや」と呼び合い、うたいあいして、ふりかえりふりかえり、家へ帰っていく姿には、そこはかとないペーソスが流れると松山は記述する。「しばや」はやがて「ちばや」となり、新野では、「ちばや」は「ちょこよ」となり、「がんのんや」は「また来なよ」に変わっていったという。「がんのんや」は、松山によれば、「願文」(がんもん)の訛ったものというが、神仏に願をかけてでもまたあした遊ぼうという当時の子どもたちの願いが十分すぎるほどにじみ出ている別れの挨拶が「あばや、しばや、がんのんや」であった。それがいつの間にか飯田では、「あばや、ちばや、またあした」と変わってきたということは、「しばや」、「がんのんや」の意味がわからなくなってきたために身近なわかりやすいことばに置き換えられていったということであり、ことばが生き物であることを感じずにはいられない。方言は、その地域の文化であり、そして生き物なのである。

伊那谷の方言区画

2004-11-18 | 方言(飯田弁)一般
信州の方言区画の中で南信方言の細区画について触れたので、ここで私見を書き込んでおきたい。

南信方言の区画の地域は大きく分けて、下伊那及び上伊那郡南部と南安曇郡奈川村及び木曽地方の2地域である。前者は伊那谷で後者は木曽谷という区画である。
木曽谷に関しては、詳細を語ることは困難であるが、伊那谷について細区画を試みてみる。

伊那谷の方言区画は5つの地域に分かれると考えている。
1 上伊那南部、下伊那北部(松川町、大鹿村)
2 高森町、豊丘村、喬木村、飯田市、阿智村、清内路村
3 浪合村、平谷村、根羽村
4 下條村、泰阜村、阿南町、天龍村、売木村
5 上村、南信濃村

地域1について
 この地域は、伊那市を中心とする中信方言の南部の影響を色濃く受けている地域である。使われている方言の随所に伊那市の方言的特徴を散見することができる。この特徴は、南にいくにつれ、薄れていく傾向にある。

地域2について
 この地域で使われている方言をいわゆる「飯田弁」として私はとらえている。ただ、北の高森町、西の阿智村・清内路村では温度差があり、また、飯田市内の千代地区、千栄地区でも遠山谷に近い方言を見いだすことができ、必ずしも「飯田弁」でまとまっているわけではない。

地域3について
 この地域は、三河弁の影響が大きな地域である。とりわけ、最西端の根羽村は、今も、愛知県稲武町、足助町、豊田市、岡崎市などへの就労、就学(高校)が多く、こうした交流からもたらされる三河弁が多用されている。

地域4について
 愛知県豊根村、津具村等々と隣接する県境の地域である。民俗芸能など県境の地域と同じようなルーツをたどって生まれたのではないかと考えられるものもあり、いわゆる「飯田弁」(2の地域で使われているもの)とは異なる方言が散見される。

地域5について
 いわゆる「遠山谷」と呼称される地域である。この地域は、秋葉神社へ続く秋葉街道上にあって、遠州との交流が今もさかんな地域である。この交流の過程でたくさんの遠州弁が流入してきたものと考えられる。遠州の影響が色濃く残っていると考えている。

今後、さらに精査して、これらの地域の方言を追っていきたいと思う。

信州の方言区画

2004-11-18 | 方言(飯田弁)一般
信州の方言区画は、5つに区分されているのが一般的である。

1 奥信濃方言(東北部方言)
 新潟県との県境付近、下水内郡栄村一帯の方言。この地方は古くから越後との交易関係が深く、越後中越地方の方言に近いと言われている。
2 北信方言(北部方言)
 上高井、下高井、上水内、栄村を除く下水内、南部を除く更級・埴科各郡、長野市、飯山市、中野市、須坂市、更埴市一帯の方言。奥信濃に多く見られた新潟県中越地方の特徴はこの地方では減少している。
3 東信方言(東部方言)
 南佐久、北佐久、上田、小県、更級・埴科南部の方言。関東地方と共通する方言的特徴があると言われている。
4 中信方言(中部方言)
 奈川村を除く南安曇、北安曇、東筑摩、松本市、塩尻市、さらには行政区分では南信に属する諏訪、上伊那北部・中部各地の方言。木曽地域は、行政区分では中信に属するが方言区画では含まれていない。
5 南信方言(南部方言)
 上伊那南部、下伊那、南安曇郡奈川村、木曽の方言。西日本方言(西国方言)の特徴が他地方にくらべ、きわめて濃い。

このサイトで中心的に取り扱う飯田弁は、南信方言区画に属する。南信区画もかなり広範囲にわたっており、さらに区画を細分することができる。

馬瀬の研究手法「テキスト方言訳」

2004-11-18 | 方言(飯田弁)一般
馬瀬良雄の研究手法のひとつに「テキスト方言訳」という手法がある。

その手法について馬瀬は「信州のことば 21世紀への文化遺産」の中で次のように述べている。

地域の方言がどんな特徴を持つかを見るためには、基準となることばを決め、それをどう言うかを比較するのが便利である。長さを比べるのにメートルを単位とするのに似る。ここでは基準を単語にとらず談話を採用した。共通語談話テキストを作り、それを各地の方言に翻訳してもらうこととした。これを「テキスト方言訳」と名づける。信州各地のテキスト方言訳を比較対照することで、各地の方言の特徴が全体と部分の両面にわたり、鮮明に浮かび上がってくると考えたからである。

この手法は、方言比較論(比較方言学)の手法のひとつとも考えられよう。馬瀬の場合は、ここにさらに言語地理学や方言区画論の手法を加え、そして発声法を検討していく。馬瀬が編集にかかわった市町村誌(史)は、単に語彙を羅列しただけにとどまらず、馬瀬の研究手法によって独自の方言の解明を試み、その地方固有の方言を鮮明に浮かび上がらせている。