「方言集」は、ある地域特有の言語語彙を収集し、それに共通語による注釈を加えた形が一般的である。
稲垣成夫らが2001年に刊行した『飯伊方言-中国語対訳集』は、そんな「方言集」の概念を覆す試みであった。
方言は、その風土が生み出した言語であり、その地方で生きる人々が生活の中から生み出した知恵の結晶である。それゆえにその地域特有の感覚から生まれたものが多く、共通語では言い表すことができない難しさがある。
飯田弁では、「ミヤマシー」などはその代表格である。私たちは、「ミヤマシー」という感覚は持ち得ているが、それを共通語でどう言うのかと問われれば、おそらく多くの人たちはこの答を出すことはできまい。その困難をあえて承知の上で、方言を外国語に訳すというのが稲垣らの取り組みであった。筆者が知り得る範囲において、地方の言語-方言を外国語に訳した例は、おそらく稲垣らの取り組みが最初であろう。
「方言集」の果たす役割は、単に日本国内へ地方の言語を発信することのみにとどまらなくなってきたといえよう。
稲垣成夫らが2001年に刊行した『飯伊方言-中国語対訳集』は、そんな「方言集」の概念を覆す試みであった。
方言は、その風土が生み出した言語であり、その地方で生きる人々が生活の中から生み出した知恵の結晶である。それゆえにその地域特有の感覚から生まれたものが多く、共通語では言い表すことができない難しさがある。
飯田弁では、「ミヤマシー」などはその代表格である。私たちは、「ミヤマシー」という感覚は持ち得ているが、それを共通語でどう言うのかと問われれば、おそらく多くの人たちはこの答を出すことはできまい。その困難をあえて承知の上で、方言を外国語に訳すというのが稲垣らの取り組みであった。筆者が知り得る範囲において、地方の言語-方言を外国語に訳した例は、おそらく稲垣らの取り組みが最初であろう。
「方言集」の果たす役割は、単に日本国内へ地方の言語を発信することのみにとどまらなくなってきたといえよう。