『日本の方言地図』(徳川宗賢編 中公新書)によると、全国的な「まな板」を表す語形は、サイバン類・マナイタ類・キリバン類等に分けられるという。
飯田弁で「まな板」のことを「キリバン」という人はずいぶんと少なくなった。40代後半以上の方であっても「キリバン」派は少数となり、ほとんどの方が「マナイタ」だろう。
「びちゃる」で紹介した『物類稱呼』には次のように記述されている。
俎板 まないた 駿河及上総にてきりばんと云 (後略)
江戸時代に駿河できりばんと言われていたということは駿河から秋葉街道をたどって、キリバンが南信州まで入り込んできたと考えることができる。
マナイタは、古くは魚を料理するときの道具として使われた。マナとは「真魚」(まな)で魚をさす古語であることから、名前通りの使われ方をしていたのが、マナイタだった。したがって、最初は、魚用のものであって、あとから魚以外の食糧を料理するための「まな板」が登場したらしい。魚以外の食糧を調理する板、それが「キリバン」だった。
おそらく、当初は、魚用の「マナイタ」と魚以外の食糧(主として野菜)用の「キリバン」とが使い分けられていたはずだ。『信州下伊那郡方言集』が編まれたころは、使い分けはあったとしても、語形としては、キリバンが優勢で「まな板」の総称として使われていたと想像できる。
日本の方言地図に示される「まな板」の県内の分布は、下伊那に「キリバン」の痕跡を残しているものの、圧倒的に「マナイタ」が優勢である。現在は、マナイタが共通語となってきていることの現れを分布図から垣間見ることができる。
飯田弁で「まな板」のことを「キリバン」という人はずいぶんと少なくなった。40代後半以上の方であっても「キリバン」派は少数となり、ほとんどの方が「マナイタ」だろう。
「びちゃる」で紹介した『物類稱呼』には次のように記述されている。
俎板 まないた 駿河及上総にてきりばんと云 (後略)
江戸時代に駿河できりばんと言われていたということは駿河から秋葉街道をたどって、キリバンが南信州まで入り込んできたと考えることができる。
マナイタは、古くは魚を料理するときの道具として使われた。マナとは「真魚」(まな)で魚をさす古語であることから、名前通りの使われ方をしていたのが、マナイタだった。したがって、最初は、魚用のものであって、あとから魚以外の食糧を料理するための「まな板」が登場したらしい。魚以外の食糧を調理する板、それが「キリバン」だった。
おそらく、当初は、魚用の「マナイタ」と魚以外の食糧(主として野菜)用の「キリバン」とが使い分けられていたはずだ。『信州下伊那郡方言集』が編まれたころは、使い分けはあったとしても、語形としては、キリバンが優勢で「まな板」の総称として使われていたと想像できる。
日本の方言地図に示される「まな板」の県内の分布は、下伊那に「キリバン」の痕跡を残しているものの、圧倒的に「マナイタ」が優勢である。現在は、マナイタが共通語となってきていることの現れを分布図から垣間見ることができる。