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ブログ版「泥鰌の研究室」

 信州飯田周辺の方言(飯田弁)を発信しながら、日本語について考えていきます。

オカメス(めだかのこと)

2012-07-31 | 方言(飯田弁)一般
 今回、取り上げるメダカについて、『大言海』は、次のように述べている。

  めだか 小魚ノ名。淡水ニ産ズ。長サ一寸許リ。首、平タク大キク、目、大キクシテ高ク出ヅ。性、好ミテ水面ニ群遊ス。

 この記述どおり、メダカを「目高」と表記する辞書や方言解説書は多い。
 福沢武一先生は、「方言はふるさと」と題して『伊那』1991年7月号から1994年2月号まで14回にわたり、飯田・下伊那方言について解説された。
 メダカに関する方言については、「ウキス」・「メンパ」の二語を、『伊那』1991年10月号(連載その3)で取り上げている。この二語の鑑賞は、先生の書かれた文章によることとして、メダカの方言をもうひとつ、考えてみることにした。

  アカメス  目高(『下伊那方言集(中間報告)』)
  オカメス  メダカのことをこのあたり(筆者注 松川町旧大島村付近)ではオカメスという(『本多勝一のこんなものを食       べてきた!』朝日新聞社)

 近隣に類語が見当たらない。旧大島村は上伊那と接している。『上伊那の方言 ずくなし』・『上伊那方言集』ともにメダカの方言名称についての記述がない。第一、『松川町の方言』(松川町教育委員会)、『伊那谷の方言歳時記』(郷土出版社)といった松川町の方言を解説している文献にさえも登場しない。さて、これはどうしたらいいだろうと途方に暮れた。

  おかめっこ  丁斑魚、めだか  長野県南佐久郡(『全国方言辞典』)

 隣郡どころか遠く離れた佐久で類語が発見された。前述した「方言はふるさと(その3)」で、福沢先生が「ウキスコ」(山形の方言)の「コ」について解説しているが、この「オカメッコ」の「コ」も同様の「コ」と考えられる。

  ウキスコ  めだか  山形
       コは、ドジョッコ・フナッコのコであろう。で、ウキッコなら分かる。ウキスコでは分からない。

 では、「オ(ア)カメ」とはなにか、『日本国語大辞典』をあたってみた。

  おかみ(岡見) (中略)【語源説】うかがい見ることをいうウカミ(候見)を岡の上から遠くを見る意味に誤って考えた語        (塵袋)
  おかめ(傍目・岡目)(「おか」は傍、局外の意)他人の行為を脇から見ていること。局外者の立場から見ること。傍観。ほ   かめ。おかみ。(中略)【語源説】①ヲカメ(傍目)、ヲカミ(傍見)は同義。ヲカ(傍)は岡、陵の意から転じた(大言   海)。②ホカメ(外目)の転か(古今要覧稿・両京俚言考)。

 どうやら、「オ(ア)カメ」は、メダカとは関係ないらしいとあきらめかけたところ、福沢先生の『おいでなんし 東信のふるさと方言集』(郷土出版社)にメダカ(本文では「目高」と表記されている。)に関する記述をみつけた。

   私が伊那で少年時代に使ったのはメッチャでした。いずれも次のものに由来しています。
    メチャコイ  小さい  宮城・山形
    メチャッコイ  同  千葉東葛飾
  ここから「小さいもの」の意で目高名が導かれて来たのです。
    メチャ  目高  石川鳳至
    メチャコ  同  高知高岡
    メチャッコ  同  上水内
  使用地が東西に離れすぎているのではないか、といわないでください。類同の名称が各地に散在しています。
    メッチャイ  小さい  山形西置賜・福島中部
    メッチャコ  小さい物、ごく小さい物  山形村山・山口防府
    メッチャコイ  小さくてかわいい  青森三戸・宮城仙台
  次のものも縁者です。
    メメチャンコ  極めてわずか
    メメッチョ  同  富山下新川・出雲・岡山児島
  同じものを伊那でアカメメッチョと呼びます。アカは、アカの他人、アカ裸など、「全く」の意です。

 『下伊那方言集(中間報告)』に採録されている「アカメス」の「アカメ」は、福沢先生の前掲書によると上伊那で「アカメメッチョ」と呼ぶことから「メメッチョ」が省略されたもので、「オカメス」は、「アカメス」の「ア」が「オ」に転じたものと考えられる。しかしながら、「ス」がわからない。福沢先生も「ウキス」の解説で、「ス」が不明だという。今後の課題としておきたい。

 メダカに限らず、生物や植物の名称は、さまざまで、そのときどきの見方などからいろいろな異称が生まれた。明治36年の『下伊那郡方言調査書』に始まる飯田・下伊那の方言集には、一つの動植物のさまざまな異称でいっぱいである。それら一語一語の語源などを解明していくことで、父祖たちの生活の一端を思い浮かべることができるかもしれない。しかし、それらの語を知り得る人たちがどんどんといなくなっている。メダカのことを「ウキス」、「メンパ」、「オカメス」などと呼ぶ人に会えるのなら、ぜひお会いしてみたいと思う。

 ところで、『本多勝一のこんなものを食べてきた!』には、次のような記述があった。

   最初にとれたオカメスを生きたまま口に放り込み丸のみにする。これはオレたちの一種の強壮剤。そしてこれでその日の漁  がうまくいく気がするのだ。

 湖沼や小河川のコンクリート化、汚染などの理由からメダカは消えつつある。
「少年たちがメダカを生きたまま口の中に放り込む」、とても信じられない光景である。私が生まれるよりずっと以前の、ある意味では現代より「よき時代」、「のどかな時代」の光景かもしれないが、自然からメダカが消えつつある今、こうした光景に出会いたいと願ってもそれは到底叶わない。

すもも

2012-07-31 | 方言(飯田弁)一般
3年ぶりの投稿です。
長い間、放置していて申し訳ありません。
また、少しずつ書いていきます。


「すもも」

バラ科サクラ属の落葉高木。中国原産。日本への伝来は古く、万葉集などにも登場する。果実は生食するほか、ジャムや果実酒などにする。

語源
 「モモ」は、「スモモも桃も桃のうち、桃もスモモも桃のうち」という早口言葉があるように、果実が桃に似ていることによる。
 「ス」は、酸味が強いことから「酸っぱい」意味を表す「ス」が有力とされる。うぶ毛のない桃の意味で「素桃」を語源とする説もあるが、漢字で「酢桃」と表記されるように、この果実は毛のないことよりも酸味のほうが印象深いため、酸っぱい桃と考えるほうが妥当である。
 スモモの漢字「李」は、「木+子(実のこと)」で、果実がたくさん実る木を表している。

異称
「ハタンキョウ」(巴旦杏)
 方言と考えられる向きがあるが、スモモの一品種である。実は大形で先が尖ることから、トガリスモモ、牡丹杏(ぼたんきょう)ともいう。こちらが異称と言える。
 この「ハタンキョウ」、「ボタンキョウ」の転訛が各地にみられる。
    ハランキョ(広島、福岡)  ハザンキョ(淡路)  バタンキョウ(宮城)
    ハタンキョ(北海道)
    バタンギョ、バタンキョ、ハダンキョ、ワダンキョ、ワタンキョ(茨城、栃木)
    ハタンキ、ハッタンキョ(青森三沢)など
スモモが転訛したと考えられるのは、
 スモンボ(長野開田)、「~ボ」という表現は、「アカンボ」、「ハダカンボ」の「~ボ」と同じ。
   変わったところで、
    トウボウサク(島根、鳥取)、どうやら中国の故事「東方朔」とも関係がありそうな異称だ。
    イクリ、イグリ、イクリモモ、イクイ(九州各地)
     イクリを漢字で表記すると「郁李」、まさにスモモを意味する異称だった。
    スイメ、シーメ、スーメ、スンメ(鳥取) 「酸い梅」の転訛と思われる。
 梅のことを英語で説明するのに「plum」を使うことがあるが、plumは正しくは、セイヨウスモモのことであり、梅ではない。Japanese apricotと言い方もあるようだが、apricotは、杏。ハタンキョウ、ボタンキョウの「キョウ」は「杏」の漢字を当てることから、Japanese apricotが適当か?
 サンタロウ、これは、聴き慣れない。北原校長先生の口から出たということは、下伊那のスモモの異称か? 調べてみたら、スモモの品種に「サンタローザ」という品種があるらしい。どうやらそれが転訛して、サンタロウ(三太郎)になった?


Wikipediaより抜粋
すもも
 スモモ(酢桃、李、学名:Prunus salicina)はバラ科サクラ属の落葉小高木。また果実のこと。中国原産。
スモモの果実はモモに比べて酸味が強いことが、和名の由来となっている。火事では「李」と書かれる。英語では「prune(プルーン)」、「plum(プラム)」などと呼ばれる(ただしウメも「プラム」と呼ばれることがある。)。地域によっては、ハダンキョウあるいはハタンキョウ(巴旦杏)とも呼ばれる。古くから日本に伝わっており、和歌などにも詠まれる。農園で栽培される他、自生しているものもある。
特徴
 花期は初春で白い花が咲く。花芽分化は7~8月頃。果実はスモモ系が6月下旬から8月中旬、プルーンの系統は9月頃収穫できる。果実は紅や黄色、果肉は淡黄色や紅色など品種によって異なる。代表的な品種としては「大石早生」、「ソルダム」、「サンタローザ」、「メスレー」、「太陽」など。比較的新しい品種では「紫峰」、「月光」、「貴陽」、「秋姫」、「いくみ」などがあり、これらの品種は従来種より糖度が高く、生食用に品種改良されている。葉が紅色のハリウッドは受粉樹に向く。スモモは自分の花粉では結実しにくい自家不和合性なのでほとんどの品種で受粉樹が必要である。日本での主産地は山梨県など。
 「スモモも桃も桃のうち」という言葉があるが、桃とは異なる種である。同じバラ科サクラ属の梅、杏、桃の花粉を利用して人口授粉させることができる。長果枝は開花しても結実しにくいので、中短果枝および花束状短果枝を出させる剪定を冬季に行う。 開花期に霜にあたると、不完全花となり結実しないため、開花時期に晩霜に遭わない地域が適する。成木なのに収量が少ないのは受粉樹が近くにない、受粉樹との相性が悪い、低温晩霜にあたったのが原因と考えられる。発芽する前に石灰硫黄合剤を散布して葉や果実が膨れ上がるふくろみ病を防ぐ。アブラムシ、カイガラムシ、イラガ等がつく。

謹賀新年

2007-01-01 | 方言(飯田弁)一般
 旧年中は公私にわたり、お世話になりました。本年もよろしくご指導のほど、お願い申しあげます。皆様にとりまして、この1年が健康でよき年でありますよう、お祈り申しあげます。

 テレビなどの影響から、方言は急速に使われなくなっている、とは、今回、各地で聞かれた言葉である。…(中略)…
 地域への深い愛情が元になった活動は、自然に方言へとつながってくる。そして、方言を継承していくためには、一人ひとりが、自分が暮らす地域に誇りを持ち、面白いと感じられる文化的な盛り上がりが不可欠なようだ。 
(「月刊 日本語」2006年10月号 特集 より抜粋)

 この特集の中で、方言学者の真田信治氏は、「これからますます多様化する社会の中では、結局、個人が自分らしさを発揮したいと思うときに使う言葉が方言なのではないでしょうか」と述べています。
 親しんできた方言が消えていくのはさびしいという思いだけで、自分なりに方言と関わってきました。だからといって、ただ、方言を守ろうと言ってもうまくいかないのではないかと思うようになりました。
 「情報化時代」・「多様化社会」の中で、方言とはいったい何なのかを問いかけつつ、今年も多くの先達に学びながら、歩みを進めていきたいと思います。

椋鳩十作品における鹿児島方言

2006-07-04 | 方言(飯田弁)一般
 ネットサーフィンをしていて、みつけた「椋鳩十作品における鹿児島方言」という研究レポートは興味をひく内容だった。
 椋鳩十は、信州下伊那郡喬木村の出身である。
 したがって、信州を舞台にした作品も存在するので、ある意味、このレポートに倣い、氏の信州を舞台にした作品から飯田・下伊那地方の方言を見いだしてみるのも、飯田方言を研究する上で有効な手法かもしれない。

東西方言の境界は?

2006-02-21 | 方言(飯田弁)一般
中日新聞が組んでいる特集「この国のみそ 第2部 ナゴヤの成分」は、毎日、興味深く読んでいる。
本日の特集は、「真ん中の宿命「境界線地帯」西の方言堰き止め」だった。東西方言の境界は果たしてどこなのかを改めて問う記事だった。

(以下、記事の転載)

真ん中の宿命「境界線地帯」
西の方言堰き止め

 岐阜・大垣の辺りは一種、特別な場所らしい。「なかなか不思議なところ」と言うのは、国学院大学教授(方言学)の久野マリ子(56)だ。

 久野は約10年前、大垣市で10-80代の約70人に面接し、「書かない」をどうしゃべるか聞いた。

 結果は、最も多かったのが、京都などで使う「書かへん」。次が、西日本に多い「書かん」、僅(きん)差で標準語の「書かない」。大阪で優勢な「書けへん」などもあった。

 久野は言う。「これだけ語形が混用される地域はあまりない。西日本風でも、東日本風でもあるし…。本当に中間ですねぇ」

 大垣市出身で在野の方言研究家、杉崎好洋(45)によれば、大垣では、例えば東の「買った」と西の「こうた」の話し手が地域に混在するだけでなく、同じ人が併用することも。実際、実家を訪れた地元の僧侶が「歌をうとーて、うとーて。本当にうたったわ」と言うのを聞いている。

 大垣は、東海地方の典型かもしれない。ナゴヤ全体が、東日本と西日本の言葉が重なり、混じり合った地域といえるからだ。

 標準語づくりのために行われた1903年の大規模方言調査に基づく「口語法分布図」で、典型的な文法上の特徴による東西境界線を見ると、錯綜(さくそう)しつつ、だが、ことごとくナゴヤの中を走っている。他の資料で、モノの値段などが「高くなる」という時のしゃべり方を調べた地点ごとの調査結果を見れば、ナゴヤでの混じり合いは一層知覚しやすいだろう。

 だが、これを、少し違う方向から見るのは、国立国語研究所主任研究員の大西拓一郎(43)だ。

 大西によると、奈良時代の畿内で使われた文法的特徴が、九州・中国方面の辺境の方言に見られるなど、西日本には、畿内から波紋のように同心円状に言葉が広がったパターンがうかがえるのに、東日本の方言には、畿内の影響があまり残っていない。これは、畿内から東側への言葉の広がりが滞っていたことを示すというのである。

 つまり、ナゴヤ付近の境界線地帯は、東と西の影響が混じり合う場所というより、西(畿内)→東への言葉の伝播(でんぱ)が堰(せ)き止められた地帯とみることもできる、というわけだ。

 そして、前述の1903年と、80年代の調査で、境界線地帯の位置に大きな変化がないことから、そこには「東と西を分ける何か根本的な違いがあって、なかなか先に進めないんじゃないか」と大西。「だが、それが何かが分からない。そこが大問題」

 「伝播」「堰き止める」で連想するのは、例えば、弥生文化(稲作文化)をめぐる一つの謎。大陸から九州に伝わってから、たった数十年ほどで伊勢湾沿岸地域まで広がったのに、なぜか、尾張周辺で150年ほども「足踏み」してから、やっと東へ広がっていったというのである。

 ニッポンの根本にもかかわりそうな謎を解く鍵は、ナゴヤに埋まっているらしい。

(転載は以上ここまで)