今回、取り上げるメダカについて、『大言海』は、次のように述べている。
めだか 小魚ノ名。淡水ニ産ズ。長サ一寸許リ。首、平タク大キク、目、大キクシテ高ク出ヅ。性、好ミテ水面ニ群遊ス。
この記述どおり、メダカを「目高」と表記する辞書や方言解説書は多い。
福沢武一先生は、「方言はふるさと」と題して『伊那』1991年7月号から1994年2月号まで14回にわたり、飯田・下伊那方言について解説された。
メダカに関する方言については、「ウキス」・「メンパ」の二語を、『伊那』1991年10月号(連載その3)で取り上げている。この二語の鑑賞は、先生の書かれた文章によることとして、メダカの方言をもうひとつ、考えてみることにした。
アカメス 目高(『下伊那方言集(中間報告)』)
オカメス メダカのことをこのあたり(筆者注 松川町旧大島村付近)ではオカメスという(『本多勝一のこんなものを食 べてきた!』朝日新聞社)
近隣に類語が見当たらない。旧大島村は上伊那と接している。『上伊那の方言 ずくなし』・『上伊那方言集』ともにメダカの方言名称についての記述がない。第一、『松川町の方言』(松川町教育委員会)、『伊那谷の方言歳時記』(郷土出版社)といった松川町の方言を解説している文献にさえも登場しない。さて、これはどうしたらいいだろうと途方に暮れた。
おかめっこ 丁斑魚、めだか 長野県南佐久郡(『全国方言辞典』)
隣郡どころか遠く離れた佐久で類語が発見された。前述した「方言はふるさと(その3)」で、福沢先生が「ウキスコ」(山形の方言)の「コ」について解説しているが、この「オカメッコ」の「コ」も同様の「コ」と考えられる。
ウキスコ めだか 山形
コは、ドジョッコ・フナッコのコであろう。で、ウキッコなら分かる。ウキスコでは分からない。
では、「オ(ア)カメ」とはなにか、『日本国語大辞典』をあたってみた。
おかみ(岡見) (中略)【語源説】うかがい見ることをいうウカミ(候見)を岡の上から遠くを見る意味に誤って考えた語 (塵袋)
おかめ(傍目・岡目)(「おか」は傍、局外の意)他人の行為を脇から見ていること。局外者の立場から見ること。傍観。ほ かめ。おかみ。(中略)【語源説】①ヲカメ(傍目)、ヲカミ(傍見)は同義。ヲカ(傍)は岡、陵の意から転じた(大言 海)。②ホカメ(外目)の転か(古今要覧稿・両京俚言考)。
どうやら、「オ(ア)カメ」は、メダカとは関係ないらしいとあきらめかけたところ、福沢先生の『おいでなんし 東信のふるさと方言集』(郷土出版社)にメダカ(本文では「目高」と表記されている。)に関する記述をみつけた。
私が伊那で少年時代に使ったのはメッチャでした。いずれも次のものに由来しています。
メチャコイ 小さい 宮城・山形
メチャッコイ 同 千葉東葛飾
ここから「小さいもの」の意で目高名が導かれて来たのです。
メチャ 目高 石川鳳至
メチャコ 同 高知高岡
メチャッコ 同 上水内
使用地が東西に離れすぎているのではないか、といわないでください。類同の名称が各地に散在しています。
メッチャイ 小さい 山形西置賜・福島中部
メッチャコ 小さい物、ごく小さい物 山形村山・山口防府
メッチャコイ 小さくてかわいい 青森三戸・宮城仙台
次のものも縁者です。
メメチャンコ 極めてわずか
メメッチョ 同 富山下新川・出雲・岡山児島
同じものを伊那でアカメメッチョと呼びます。アカは、アカの他人、アカ裸など、「全く」の意です。
『下伊那方言集(中間報告)』に採録されている「アカメス」の「アカメ」は、福沢先生の前掲書によると上伊那で「アカメメッチョ」と呼ぶことから「メメッチョ」が省略されたもので、「オカメス」は、「アカメス」の「ア」が「オ」に転じたものと考えられる。しかしながら、「ス」がわからない。福沢先生も「ウキス」の解説で、「ス」が不明だという。今後の課題としておきたい。
メダカに限らず、生物や植物の名称は、さまざまで、そのときどきの見方などからいろいろな異称が生まれた。明治36年の『下伊那郡方言調査書』に始まる飯田・下伊那の方言集には、一つの動植物のさまざまな異称でいっぱいである。それら一語一語の語源などを解明していくことで、父祖たちの生活の一端を思い浮かべることができるかもしれない。しかし、それらの語を知り得る人たちがどんどんといなくなっている。メダカのことを「ウキス」、「メンパ」、「オカメス」などと呼ぶ人に会えるのなら、ぜひお会いしてみたいと思う。
ところで、『本多勝一のこんなものを食べてきた!』には、次のような記述があった。
最初にとれたオカメスを生きたまま口に放り込み丸のみにする。これはオレたちの一種の強壮剤。そしてこれでその日の漁 がうまくいく気がするのだ。
湖沼や小河川のコンクリート化、汚染などの理由からメダカは消えつつある。
「少年たちがメダカを生きたまま口の中に放り込む」、とても信じられない光景である。私が生まれるよりずっと以前の、ある意味では現代より「よき時代」、「のどかな時代」の光景かもしれないが、自然からメダカが消えつつある今、こうした光景に出会いたいと願ってもそれは到底叶わない。
めだか 小魚ノ名。淡水ニ産ズ。長サ一寸許リ。首、平タク大キク、目、大キクシテ高ク出ヅ。性、好ミテ水面ニ群遊ス。
この記述どおり、メダカを「目高」と表記する辞書や方言解説書は多い。
福沢武一先生は、「方言はふるさと」と題して『伊那』1991年7月号から1994年2月号まで14回にわたり、飯田・下伊那方言について解説された。
メダカに関する方言については、「ウキス」・「メンパ」の二語を、『伊那』1991年10月号(連載その3)で取り上げている。この二語の鑑賞は、先生の書かれた文章によることとして、メダカの方言をもうひとつ、考えてみることにした。
アカメス 目高(『下伊那方言集(中間報告)』)
オカメス メダカのことをこのあたり(筆者注 松川町旧大島村付近)ではオカメスという(『本多勝一のこんなものを食 べてきた!』朝日新聞社)
近隣に類語が見当たらない。旧大島村は上伊那と接している。『上伊那の方言 ずくなし』・『上伊那方言集』ともにメダカの方言名称についての記述がない。第一、『松川町の方言』(松川町教育委員会)、『伊那谷の方言歳時記』(郷土出版社)といった松川町の方言を解説している文献にさえも登場しない。さて、これはどうしたらいいだろうと途方に暮れた。
おかめっこ 丁斑魚、めだか 長野県南佐久郡(『全国方言辞典』)
隣郡どころか遠く離れた佐久で類語が発見された。前述した「方言はふるさと(その3)」で、福沢先生が「ウキスコ」(山形の方言)の「コ」について解説しているが、この「オカメッコ」の「コ」も同様の「コ」と考えられる。
ウキスコ めだか 山形
コは、ドジョッコ・フナッコのコであろう。で、ウキッコなら分かる。ウキスコでは分からない。
では、「オ(ア)カメ」とはなにか、『日本国語大辞典』をあたってみた。
おかみ(岡見) (中略)【語源説】うかがい見ることをいうウカミ(候見)を岡の上から遠くを見る意味に誤って考えた語 (塵袋)
おかめ(傍目・岡目)(「おか」は傍、局外の意)他人の行為を脇から見ていること。局外者の立場から見ること。傍観。ほ かめ。おかみ。(中略)【語源説】①ヲカメ(傍目)、ヲカミ(傍見)は同義。ヲカ(傍)は岡、陵の意から転じた(大言 海)。②ホカメ(外目)の転か(古今要覧稿・両京俚言考)。
どうやら、「オ(ア)カメ」は、メダカとは関係ないらしいとあきらめかけたところ、福沢先生の『おいでなんし 東信のふるさと方言集』(郷土出版社)にメダカ(本文では「目高」と表記されている。)に関する記述をみつけた。
私が伊那で少年時代に使ったのはメッチャでした。いずれも次のものに由来しています。
メチャコイ 小さい 宮城・山形
メチャッコイ 同 千葉東葛飾
ここから「小さいもの」の意で目高名が導かれて来たのです。
メチャ 目高 石川鳳至
メチャコ 同 高知高岡
メチャッコ 同 上水内
使用地が東西に離れすぎているのではないか、といわないでください。類同の名称が各地に散在しています。
メッチャイ 小さい 山形西置賜・福島中部
メッチャコ 小さい物、ごく小さい物 山形村山・山口防府
メッチャコイ 小さくてかわいい 青森三戸・宮城仙台
次のものも縁者です。
メメチャンコ 極めてわずか
メメッチョ 同 富山下新川・出雲・岡山児島
同じものを伊那でアカメメッチョと呼びます。アカは、アカの他人、アカ裸など、「全く」の意です。
『下伊那方言集(中間報告)』に採録されている「アカメス」の「アカメ」は、福沢先生の前掲書によると上伊那で「アカメメッチョ」と呼ぶことから「メメッチョ」が省略されたもので、「オカメス」は、「アカメス」の「ア」が「オ」に転じたものと考えられる。しかしながら、「ス」がわからない。福沢先生も「ウキス」の解説で、「ス」が不明だという。今後の課題としておきたい。
メダカに限らず、生物や植物の名称は、さまざまで、そのときどきの見方などからいろいろな異称が生まれた。明治36年の『下伊那郡方言調査書』に始まる飯田・下伊那の方言集には、一つの動植物のさまざまな異称でいっぱいである。それら一語一語の語源などを解明していくことで、父祖たちの生活の一端を思い浮かべることができるかもしれない。しかし、それらの語を知り得る人たちがどんどんといなくなっている。メダカのことを「ウキス」、「メンパ」、「オカメス」などと呼ぶ人に会えるのなら、ぜひお会いしてみたいと思う。
ところで、『本多勝一のこんなものを食べてきた!』には、次のような記述があった。
最初にとれたオカメスを生きたまま口に放り込み丸のみにする。これはオレたちの一種の強壮剤。そしてこれでその日の漁 がうまくいく気がするのだ。
湖沼や小河川のコンクリート化、汚染などの理由からメダカは消えつつある。
「少年たちがメダカを生きたまま口の中に放り込む」、とても信じられない光景である。私が生まれるよりずっと以前の、ある意味では現代より「よき時代」、「のどかな時代」の光景かもしれないが、自然からメダカが消えつつある今、こうした光景に出会いたいと願ってもそれは到底叶わない。