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ブログ版「泥鰌の研究室」

 信州飯田周辺の方言(飯田弁)を発信しながら、日本語について考えていきます。

方言ブーム?

2006-01-25 | 方言(飯田弁)一般
産経新聞ENAKのサイトに「響き新鮮、想像する楽しみ」という見出しで次のような記事が掲載されている。

 「方言」が今、脚光を浴びている。都会の女子高生たちが各地の 方言を会話に織り交ぜたり、混じり気のない方言を用いた歌が人気を集めたり。標準語に慣れた人々に、地方独特の言葉の響きがむしろ新鮮に感じられるようだ。…(中略)…
 方言ブームに、出版、テレビ業界も過熱。主婦と生活社は今夏、全国の方言約2000語を収録した『ちかっぱめんこい方言練習帳!』を出版した。…(中略)…テレビ朝日は、「マシューズベストヒッ トTVプラス」のコーナーとして「なまり亭」を放送中。8月31日のスペシャル番組では柳葉敏郎、田中麗奈がそれぞれ秋田、福岡弁を披露すると深夜にもかかわらず視聴率15%を獲得した。…(以下略)…

 飯田・下伊那のことばに興味を持って20年ほど過ぎた。今のブームと呼ばれるこの現象にとまどいを覚える。
 幼少の頃に身に染みこんだ方言は都会などへ出て使わなくなったとしても、その人のどこかに残っているはずだ。だから、故郷の旧友などに出会ったり、電話をすれば、お国訛りは出て当然だ。
 私に方言研究の手法を教えてくださった、故福沢武一先生がその著書「北信方言記」の中で次のように述べられている。

 方言を集めるだけでは学問でない。面白がって眺めているだけでもならない。

 今のブームと呼ばれている現象は、方言を聞いて、面白がっているだけのように私の目には映る。
 会話の中にお国訛りが出てなぜおかしい?、方言を使うことに、恥ずかしさをどうして感じる?。
 ブームの中で出てくるものは、疑問ばかりである。
今、日本語が正しく使われていないという指摘がなされ、日本語が喪失の危機にあるとも言われている。方言は、日本語の原点というべきもので、それを面白がっているようでは日本語が失われていくのも当然という思いがする。
 
 子どもたちには、将来、故郷を離れることとになっても、どうか故郷のことばに誇りを持って生きていってほしいと思う。それが、私たちの母語である日本語を大事にすることにも通ずるはずである。

私家版の2冊の本

2005-04-27 | 方言(飯田弁)一般
飯田地方で、この3月、方言(飯田弁)に関する私家版が相次いで発刊された。
ひとつは、「千代の方言」。飯田市千代の方言研究家、萩元育夫氏の労作である。萩元氏とは、数年前から手紙のやりとりをしてきた。氏からはずいぶんと飯田弁についての教示を受けた。そんな氏の労作は、方言語彙をひとつずつ丁寧に解説しているすばらしい方言集である。おそらくこれほどまでにひとつひとつの語彙を丁寧に扱った飯田弁の方言集は、いままでに例がなく、必見に値する。

もう一冊は、故宮下正人氏の夫人、宮下清美さんがまとめられた「地名と方言-宮下正人遺稿集」。宮下正人氏との面識はないが、飯田市内のある町の自治会長さんを務められているときに、祭礼の連合青年の会合でお顔を拝見した程度である。氏が亡くなられて、清美夫人とお子様たちが氏の残された遺稿を整理され、このたびの発刊に至った。発刊には南信州新聞社の出版局が面倒を見られ、その出版局から氏が残された「飯田下伊那方言語彙集」の原稿を送っていただいた。内容をみてほしいというものだった。下伊那教育会が発行した「下伊那方言集(中間報告)」を継承発展させたものが本稿だった。そのことを出版局に伝え、後世に残しておく価値があると付け加えた経過があった。

2冊の本は、これからの飯田下伊那のことばを研究する者にとって、貴重な財産になるのではなかろうか。

それぞれの本の入手先、問い合わせは当ブログ管理者までメールでお願いします。

上田女子短期大学公開講座「楽しい方言」

2005-02-25 | 方言(飯田弁)一般
長野県の上田女子短期大学総合文化学科では、「楽しい方言」をテーマに公開講座を開講しています。
詳細は、下記のURLからどうぞ。
すでに第1回の講座が終了しています。途中からの参加は難しいかもしれません。
上田近郊にお住まいの方で方言に興味のある方はぜひどうぞ。

http://www.uedawjc.ac.jp/news/25hougen.shtml

古語から方言を追う

2004-11-26 | 方言(飯田弁)一般
福沢武一の研究手法は、古語から方言を解明する方法が主流であった。
日本方言学の母と呼ばれた東条操が昭和30年に「とんぼ名義考」という論文を発表している。「とんぼ」を古語から追い、みごとにそのことばの成立を解明している。古語から方言を追う手法をこの論文から学びたい。

とんぼ名義考        東条 操
 語源を考える事は楽しいが、誰しも一通りの思いつきは述べるものヽ、さて成程と人に思わせるほどの説は一寸出せないものだ。やさしいものヽ名ほど一層むずかしいようである。
 「とんぼ」の語源なども「大言海」には「とんばうの約」とあって、「とんばう」の条には、「飛羽の音便延…」とある。俗間語源説の「飛棒」は、仮名づかいも違っていて問題にならないが、この飛羽の説も、命名の心理から考えてみるとすぐにはいたゞけない説である。ある大学の試験で「とんぼ」の語源を求めた時、面白い答案が二つあった。一つは、この虫は垣根の先や竿の先や物の「とんぼ(先端)」にとまる習癖があるから附けたというのである。もう一つは、とまっている「とんぼ」に子供が、「飛べ々々」という意味で「飛ばう々々々」といったのがもとだという説である。前説は、「とんぼ」の古形が、とんばう」と長音であった事実と矛盾するし、後説は、子供が「飛べ々々」と囃すのがおかしい。馬鹿げた答案のようであるが、命名の手掛りを兒童語に求めて、あまりむずかしい理屈を考えない点に大学生の答案の価値がある。しかし、やはり思いつきだけで、これを証明する程のものはない。そこで、ちよっと方言の事実と蜻蛉の古語とを較べて考えて見よう。いうまでもなく、「あきつ」が奈良時代以前からある古名である。一応「秋っ虫」の義と考えられている。今日は、国の南北、即ち岩手及び南奥と宮崎、鹿児島、南島にあって、いかにも古語らしい分布である。次に平安朝では、倭名抄に「かげろう」と「ゑむば」が出ている。「かげろう」はあるかなきかに飛び交うさまが、陽炎に似ているからだという。奈良時代にも、万葉仮名の「蜻火」「蜻蜒火」を「かぎろい」と読んでいる。現在の方言で「とんぼ」を「かげろふ」という例は聞かない。ことによると、今日の「とんぼ」とはちがう虫か、又はある一種の「とんぼ」の名かもしれない。童蒙抄に「かげろふトハ、黒キとうぱうノチヒサキヤウナルモノナリ」とある。とにかく疑問のものである。「ゑむば」も倭名抄には蜻蛉の小なるものとしてある。語源は、白石は「八重羽」かと云っているが、あやしい。今日の分布では、九州の西北部、福岡、佐賀、長崎、熊本などに色々な形で行われている。昔は東国にもあった事は、仙覚の万葉集抄に見える。これは分布から見ると「あきつ」の内側にあり、やヽ新しい言葉らしい。
 さて、「とんぼ」は平安末期に「とうばう」「とむばう」(発音はおそらく「トンバウ」か)として諸書に現れている。これも兒童語としてはもう少し古くからあったのではないかと思う。「とんばう」という音形を考えると、漢語か又は冩声語と見るのが至当であろう。平家物語延慶本に「東方」という漢字があてヽある。これにもとづいたのか、徂徠は、この「東方」の漢語から来たといっているが、これは漢学者のでたらめである。
 そこで、いよ々々最后の「とんばう」冩声語源説となる。倭訓栞「とんぶり」の條に「津軽の辺には、蜻蛉をどんぶりといふ。信濃にてどんぶといふ。杜詩の點水蜻蛉欸々飛の意なるべし」とあるのがこれである。「とんぼ」はしば々々水辺に飛び来って産卵する特徴をもって知られている。青森、秋田、岩手で現在「だんぶり」「たふり」「だんぶりこ」岩手の下閉伊では、これと並んで「ざんぶり」といヽ、また「ざんぶ」「ざぶ」「じやんぶ」「じゃぶ」というそうである。変な落語のさげだが、「とんぼ」の語源は存外こんな所にあるのではなかろうか。
 柳田先生の御説や、秋田大学の北条忠雄教授の説も、この説とちょっと似た所もあって面白いが、これは両先生から伺っていたヾきたい。
   (昭和30年8月27日 森林商報 新44号)

方言雑感

2004-11-26 | 方言(飯田弁)一般
○「ガンボジ」「ガンボ」「ガンボチ」「ガンボッチ」「ガンモジ」「ガンポポ」「カンボー」
「ガンボージ」
○「オジーオバー」「ジンジーババー」「ジジババ」「ジンジババ」「オジオバ」「ジジババノキ」
「ジンジバンバ」「メン  アカジ」「メンヤカブリ」「メーヤカメ」「ハッコリ」「ヂヂーババー」
○「インキバナ」「トテコッコバナ」「インキグサ」「ハナガラ」「ハナガレ」「ヒデリソー」
「ヒャクニチソー」「ホタルグサ」「ホータロバナ」

以上は、それぞれ同一の植物の名称である。それぞれ、どんな植物を指しているか、想像がつくだろうか。

 植物は、私たちのもっとも身近にあるもので、それゆえに生活の態様や、草花の色彩や容貌から、様々な異称がつき、それが方言として語り継がれてきたと言える。
 興味深い一冊の調査記録がある。「長野県下伊那郡南信濃村の植物名方言と植物民俗」という浅野一男先生による調査記録である。
 浅野先生の調査によると南信濃村に限って言えば、いくつもの植物に異称があることがよく分かる。
 たとえば、「ジャガイモ」には、イモ、ジャガタ、ウマノスズイモ、ジャガタラ、ジャガタライモ、ニドイモ、ジャイモ、コーボーイモ、バレーショ、バレイショ、コーシューイモ、コーシーイモといった異称があり、「サトイモ」には、ヌルイモ、ホイモ、ハイモ、イモ、メイモといった異称があるとしている。
この調査に登載された植物は、65種類に及ぶ。南信濃村一村内のみの調査にもかかわらず、実に様々な異称があり、ことばの持つ不思議さがおもしろい。南信濃村一村からさらに枠を広げ、下伊那郡内、長野県内とエリアを拡大していくといったいどのくらいの異称が集まるだろうか。

冒頭の三つの植物は、「タンポポ」、「シュンラン」、「ツユクサ」の異称である。
シュンランとツユクサについては、私の祖父が「伊那方言雑記(一)」(昭和9年89月「山邨」創刊号)、「鴨跖草…伊那方言雑記(二)…」(昭和9年12月「山邨」第二号)でそれぞれ述べている。それによると、冒頭にまとめたもののほか、ツユクサについては、さらにいくつかの異称があることが分かる。

 動植物や昆虫等は、同一地域にあってもさまざまな異称がある。それは何故であろうか。
生活態様の違い等々、様々な理由が考えられる。
 調査に出向いてどうして「○○」と呼称するのかを問うと、ほとんど、その答えを得ることはできない。なぜなら、父祖代々、受け継がれた結果、現在に残る方言の歴史であって、成立過程は、その誕生段階にさかのぼらないとわからないというのが私の考えである。しかし、福沢武一先生のような古語にさかのぼる方法での解明は可能である。いくつかの方法を試行しながら、方言を追いかけていきたいと思っている。