土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

「環状線の虹」(七)

2011-12-23 06:49:00 | 短編小説(創作)
 いつの間に、日が陰ったのだろう。山手線の窓から見える空は一面薄い雲に覆われている。朝方は晴れていた。白、薄紅、紅と、歩道を囲むように植えられたつつじが今や盛りと眩しかった。神保町で乗り込む時も目黒に降り立った時も、空は普通に明るかった。目黒で乗り込んだ時には……いや、暗かったのは構内だ。
 JR目黒駅は駅ビルの中に有るため地上駅や高架の駅のようにプラットホームが外に開かれていない。線路の両端から射し込むわずかばかりの日射しと、間引きされた照明のホームは薄暗く、曇天の夕暮れ時のようだった。電車が動き出してからも、掘割の壁が光を遮り、トンネルの中を通っているかのような感覚が暫く続いて。そして、開けたと思った先には、まるで逆戻りしたかのような薄暗い、空が広がっていた。
 それでも山手線の窓からは季節が見えた。通勤で使う地下鉄の窓に空は映らない。電源を落としたブラウン管のように自分の姿が映り込むだけで、発着の駅より他の、外の景色の変わりようなど知る由もなかった。
 足場が組まれネットが被せられた低いビル、ガムテープが縫い目のように並んでいる硝子窓、傾いた看板、更地、二階建ての古い木造の家、青々とした葉を茂らせる木々、天井の遥か先に続く高層ビル。眼下の、屋上公園。
 何年ぶりだろう、ここを通るのは。外回りなら渋谷から新宿、池袋から大塚、西日暮里と、何度も利用しているが。内回りは、新橋から上野あたりまでの区間しか、殆ど利用したことが無い。どうして東京に住んでいながら、こんなにも全く通らない駅が、場所が有るものかと思う。見覚えの無い街並は一体何が変わったのか変わらないのか、見るもの全てが新しく思えた。
 それにしても。天気予報は「晴れ」と、言ってなかったか? 車内にも長傘は見当たらないが。気にならないのか? それとも心配する、要がないのか。
 私は傘を持っていなかった。秋葉原に着くまでには上がって欲しい。まだ降ってもいない雨に、そう思わせる程、外は一気に暮れていた。

「……に行きたい」
 子どもが……ぐずってる。
「動物園にはパンダがいるぞ! パンダ見たいだろ、パンダ」
 近づいてくる、遠くから、キュッキュと小さな音が、止まった。濃い紅色が、うっすらと見える。小さなスニーカーが、揺れている。一度固く瞼を絞り、傾いた首を起こす。
 眠ってしまったのか。両隣の席が、乗客の姿が減っている。向かいの座席に、若い、夫婦と思しき男女と、子どもが二人、座ってる。真新しい靴が、ぶらぶら揺れて、隣の、ひとまわり大きな、褪せた薄紅色の、スニーカーは大人しく、揺れる靴の揺れる、膝を上の子が、その手を下の、母親が、振り向い
「おっきな虹だったね」
 虹? 天気雨。硝子に、雨の走った跡が残る。空が、ずいぶんと明るんだ。眠ってしまわなければ、電車からも虹が、見えただろうか。「はじめて、見た」と、下の子が、何度も、何度も、繰り返す。赤と白の、東京タワーは、なんて大きいんだろう。



最新の画像もっと見る