土星の輪っかⅡ

ΦΦΦ 団子に串もオツなものⅡ ΦΦΦ

大川端で夕涼み

2007年07月26日 00時09分52秒 | ミニ遠足

Sumidagawa07072501 隅田川です ( 写真の向きは上流の方向 )

この場所は JR総武線「浅草橋」駅近く。

写真の左側のほう こちら側の岸は 現在の町名「柳橋(やなぎばし)」です。

隅田川は こうやって 川岸を整備してあるところが多いですね。

ここだけでなく 下流の聖路加ガーデンのあたり や もうちょっと上流の浅草のあたりなどなど、 川岸を ブラブラしてみたくなる場所が たくさんあります。

桜の季節も 賑わいますけれど  今度の土曜日(28日)には 隅田川の花火大会も 催されるんじゃありませんでしたっけ?

おお! それなら ここなんて 特等席じゃないか! と 思ったら

やっぱり この川岸( ‘隅田川テラス‘というそうです )は 立ち入り禁止区域になってました。

Sumidagawa07072502 花火大会は ともかくとして  

今日は 水面を眺めながら ゆっくり散策。

対岸は 両国。 お相撲の両国国技館が すぐそこに。

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4 コメント

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おお、ここに御宿「かわせみ」があったのかもしれ... (冥王星)
2007-07-26 10:54:15
おお、ここに御宿「かわせみ」があったのかもしれない!

大川は、いま隅田川と名称がかわったんですね。
大阪にも、「大川」があります。
いまの淀川から、JR大阪駅北東にある毛馬閘門(けまこうもん)を抜け、
中ノ島公園、大阪市役所に抜けていく川。
旧の淀川にあたります。
中ノ島の両側でそれぞれ堂島川、土佐堀川と名を変え、
合流後、安治川と再度名を変えます。
堂島川の川岸には江戸時代の米相場の会所があったような。

奇しくもも昨日は、天神祭。
この川筋で、船渡御が行われました。
もちろん花火も。
ものすごい人出ですが、
そちらの花火大会も、人出はものすごそうですね。

ぱんぱんぱん、しゅる~るる~
ぽんぽん、しゅ~ ぽぉ~ん
「たぁ~ま~やぁ~」 
「かぁ~ぎ~やぁ~」

江戸時代の花火大会では、大尽たちは船からの眺めていたそう。
川を渡る夜風が気持ち良さそうです。 (^^ゞ
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隅田川の花火大会は パンフによると 打ち上げ場... (土星の輪っか)
2007-07-26 12:44:13
隅田川の花火大会は パンフによると 打ち上げ場所が2ヶ所。 
ちょうど 浅草からなら 上流の言問(こととい)橋の向こうと 下流に駒形橋のあたりの 2方向に見える位置。
と すると こういうお祭りには やっぱり浅草の吾妻橋界隈が賑わう となりますね。
隅田川には 橋がいくつもかかっているので  水上バスで その橋くぐりをするのも 楽しいですよ。
「勝鬨(かちどき)橋」 「永代橋」 「両国橋」 「蔵前橋」 「駒形橋」 「吾妻橋」 「言問橋」 などなど
江戸時代は 両国橋は「大橋」  吾妻橋は「大川橋」と 呼ばれていたそうです。
時代モノには このあたりが 頻繁に登場しますね。
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橋ものがたりですね。 (冥王星)
2007-07-26 18:10:51
橋ものがたりですね。
それぞれ由来がありそう~
小説では、橋はいろんな場面に書き込まれています。
橋の名前も小道具のひとつですが、
「橋」そのものがメタファーしているものはとっても多様。
こっちとあっちをつなぐものとして、
人は橋に惹きつけられるようです。

さて、勝鬨橋といえば、
両津勘吉のマンガ『亀有公園前派出所』に出てくる、
橋より高い船が通るときに
橋の真ん中が持ち上がって開く橋でしょうか。

一度その持ち上がるのを見てみたいです~ (^^ゞ
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隅田川の勝鬨橋は 今では 名前が残っているだけ... (土星の輪っか)
2007-07-26 22:33:46
隅田川の勝鬨橋は 今では 名前が残っているだけ ということらしいです。
実際に 橋の下を 水上バスでくぐったことも  橋を 歩いて渡ったこともありますけど  
隅田川にかかる橋の中では 一番下流にあるので かなり 大きい橋です。
でも 隅田川にかかっている他の橋も 水面からの高さが低いものが多いので、 
逆に 大きな船は航行できない と 決めたんじゃないでしょうか。
ところで 時代モノによく登場する 大事な橋を 忘れていました。
「永代橋(えいたいばし)」  これを渡ると 深川。 
機会があれば この深川や 佃島(つくだじま)も 行ってみたい場所です。
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