第148回の芥川賞受賞作掲載の『文芸春秋三月特別号』をようやく読みました。かれこれ、一週間の積ん読期間を経てのようやくでした。
理由は黒田夏子さんの『abさんご』は読み始めたのものの、私の集中力が続かなかったのです。 理由は横組であったこと、次にやたらにひらがな表記が多用されていて、いちいち、頭の中で漢字に変換しないと、熟語として理解できずに、文章としてアタマに入らなかったこと、さらに、句読点の位置と数が日ごろ読み慣れている日本文とどこそこちがうところにありました。
つまり、黒田さんの文章に慣れるまで、行ったり、来たり読みをしなくては前に進めなかったのです。 そうはいっても、今の若者の文頭の1字下げがなかったり、特有のカタカナの外国語まじりはみじんもなく、日本語として韻を踏んでいるような文体の繊細さ、美しさはサスガでした。
さて、私には文芸作品としての『abさんご』を批評する力はありませんが、この作品を印刷・造本する立場に立ってみると、いろいろ考えさせられました。まず、作品発表が今でよかったというのが実感です。黒田さんの原文がもし、以前みたいに原稿用紙に書かれていて、それを文選工が拾って、植字が組む活版方式だったら、かなり、担当者は難渋したにちがいないと思うのです。印刷がDTP,デジタル時代で万歳です。
それと『文春』の場合でも、『abさんご』は414ページから始まりますという案内ページがあって414ぺージから375ページまで左から右へページを繰る横組みの受賞作が掲載されているわけですが、なにか1冊の中での異質感は免れません。本誌が右アキ縦組みですからやむをえませんが、字詰・行間など組指定をされたレイアウトマンも苦労されたことでしょう。
やがて、単行本化されて店頭に並ぶでしょうが、組体裁や造本装丁がどんなになるのか楽しみです。書店の平台に並べられるときも、お隣の右アキ、縦組みの本とはちょっとちがいますから。まだまだ、文芸書は縦組みがほとんどです。
黒田さんは校正マン経験が豊富だと聞きます。また、ご年齢の上から縦組み時代に育って来られています。なのに、どうしてだろうかと率直な疑問を抱きます。活字にする場合、活字になった場合の可読性をどの程度お考えになっているでしょうか。これからも横書きを続けられるとおっしゃっていますし、おそらく文体表記も『abさんご』のような形でしょうが、まだまだ文藝愛好家には縦書きに慣れている読み手が多いことですし、日本の活字があくまで縦組み用であったりすることも考えに含んでいらっしゃるのでしょうか。
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